「医療安全調」は政策決定の変革を象徴

【特集・第11回】 死因究明制度
東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム部門特任准教授・上昌広さん

 
厚生労働省は死因究明制度創設のため、「医療安全調査委員会(医療安全調、仮称)」設置について検討を進めている。しかし、行政処分や刑事手続きなどに調査報告書の活用を認めた第二次試案は委縮医療を進ませるとして、医療関連団体や学会などから反発を受けた。13回にも及んだ検討会は議論の錯綜(さくそう)が指摘され、第三次試案では、原因究明や再発防止に重点がシフトしたものの、警察や司法の介入などの問題は残っている。迷走する一連の流れから見る、厚労省の政策手法の問題点と今後の方向性は―。死因究明制度について、東大医科研の上昌広特任准教授に検証してもらった。(熊田梨恵)

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―厚生労働省が設置を検討している医療安全調は医療界から大きな反発を受け、第三次試案にまで至りました。この動きをどう見ますか。

 第三次試案まで進んだのは良いことだと思います。情報公開が進み、一般の医療者が意見を言い、マスコミもこの問題を取り上げ、内容も少しずつではありますが変わってきました。国会議員も名前を出して議論し、霞が関から政党や国民も巻き込んだ動きとなったのは戦後初のことです。官僚が合意形成するという従来型の政策決定の在り方が変わってきたということでしょう。しかし、試案には問題が山積しています。

―どのような問題があるでしょうか。

 「過失」に対する判断を下すのは司法です。医療安全調は司法に対する強制力を持たないため、遺族が申し出れば警察は捜査できるのです。これには刑事訴訟法を改正する必要がありますが、厚労省はそこまでやるつもりはないでしょうから、形だけの組織になります。
 試案通りに医療安全調が動きだすと、患者が納得できるような原因究明や再発防止などではなく、医療者に対する「責任追及」として働くリスクを負っています。出来上がった組織は自己保存の論理で動きだすので、医療安全調は責任回避のため、グレーゾーンのケースで過失の可能性があれば警察に通報し、警察も責任回避のために医療安全調から案件が送られたことを理由に立件せざるを得ず、警察の介入が増えます。
 また、厚労省内に医療安全調を置けば、医師法7条の改正で既に医療現場への立ち入り調査権限を獲得している厚労省が、調査権と処分権を握ることになり、行政処分をするための「医療警察」となる危険性があります。このままでは委縮医療を増大させます。
 さらに、医療安全調は過失や重過失の判断まですると言いながら、損害賠償は民事訴訟を起こさなければ得られません。患者や遺族には、金銭的補償と医療、介護の補償が必要です。そのためにも、無過失補償制度の創設が必要です。

―厚労省の試案通りの医療安全調が設立されることによる、委縮医療などを危ぶむ声が大きいです。今後の動きをどう見ますか。

 第四次試案までいくでしょう。多くの学会や医療関係団体が反対を表明しましたが、これを押し切って厚労省が法案として提出しようとしても舛添要一厚労相が通さないのではないでしょうか。たとえ提出されても民主党が多数を占める参院で否決されるでしょう。肝炎問題などを見ていても、大きな問題については、厚労相直属のプロジェクトチームが打ち出す政策になる様子が見られるので、厚労相からの案が示される可能性もあるでしょう。

―新しい試案は、どのような内容にすべきでしょうか。

 患者のニーズに合った制度設計にすべきです。今の試案では、患者は届け出をするだけで、後はほったらかされてしまいます。医療安全調が作成した報告書を患者や家族が読むことができ、納得いかなければ何度でも調査を申し立てられる仕組みにすればよいのです。医療安全調の窓口には医師の資格を有する患者側の代理人を置き、事故の種類によって専門の医師に振り分けるなど、患者や家族の思いを十分に聞き取った上で調査に臨めるシステムが必要です。
 厚労省の示す医療安全調のモデルは中央集権型ですが、医療は地域ごとに実情が異なります。現場がフレキシブルに対応でき、地域に独自のノウハウがたまるような柔軟な制度設計にすべきです。中央の医療安全調は、厚労省ではなく内閣府の直下に置くべきでしょう。
 医療安全調とは別になりますが、ADR(紛争解決処理)システムも同時に整備が必要です。コストや時間がかかり、感情的にもしこりを残しやすい裁判型ではなく、医療者側と患者側の間で起こったトラブルを、話し合いによって解決することで相互理解に導く対話型のADRを医療機関内に構築することです。また、院内メディエーター(患者と医療機関の間のトラブルを話し合いで解決に導く仲介役)を育成する必要もあります。

―厚労省による検討会委員への根回しなど、検討会の進め方については問題点が指摘されていますね。

 厚労省は、昨年夏ごろから厚労相の医療政策に対する発言が多くなったことや、国会議員らも医療問題に対して積極的に動き始めたこと、オンラインメディアなどで検討会の問題点も暴露されつつある状況など、周囲の変化に気付いて行動すべきでした。しかし、医師会など団体への根回しで合意形成しようとする従来型の手法でやってしまった。当然うまくいくわけがなく、議論は迷走しています。しかも、「警察庁や法務省とすり合わせはうまくいっている」と言いながら実際はそうでなかった事実があり、医政局は厚労相から不信を買っています。
 厚労省は今回、医師の自浄作用などにもかかわる死因究明制度という「医療」の分野に手を出してしまったために、うまくいかずに立ち往生しています。厚労省は、増加する社会保障費の予算を確保し、インフルエンザ対策や年金問題などにきっちりと取り組むことです。医療界の抱える最大の問題は、財源不足です。それ以外に、医師不足対策として、地方公務員法を改正して公立病院の医師の働き方を柔軟にすることや、へき地医療対策など、早急にやらねばならないことがあるはずです。優先順位をつけて仕事をすべきなのです。

―政策立案の過程や合意形成の手法など、時代が変わってきたということでしょうか。

 医療関係者や国民は気付き始めました。御用学者や利益団体に根回しをするような、従来型の手法は通じなくなります。政策立案に関する合意形成は、今が時代の分岐点です。医療安全調に関する今回の流れが、その象徴でしょう。
 国民の行動についても、役所の前で陳情をする時代は終わりました。「県立柏原病院の小児科を守る会」の活動は、医師不足による地域医療の崩壊を防ぐため、一般の主婦たちが住民にコンビニ受診などを控えるよう訴え、マスコミや議員も巻き込んだ地域活動となり、医師が増えるという結果を生みました。大切なのはこうしたコミュニティーづくりです。従来の中央集権型のトップダウンの方法では、地域に合った政策はできないのです。医療者もインターネットなどを活用し、国民に事実を伝え続けてください。国が政策を決めていてはうまくいかないということが今回でよく分かったはずです。これからは霞が関ではなく、市民の間での合意形成の場をつくっていくべきです。

―国民の意識と、医療者側の隔たりも指摘されます。医療崩壊が叫ばれていますが、今後の日本の医療政策はどのようになるでしょうか。

 日本の医療は崩壊しません。医療者、一般国民は賢明ですから、情報公開が進んでコミュニケーションが活発になれば、必ず自ら動き始めるはずです。前回の参院選で、国民は民主党を選びました。行き過ぎた社会保障費の切り詰めへの反応でしょう。今回、民主党、社民党、国民新党などの議員が医療事故調問題に関心を示し、国会で質問を繰り返していなければ、医療安全調は二次試案で通っていたかもしれません。
 次回の衆院選では医療は大きな争点になるでしょう。国民がどのような主張を持つ候補を選ぶかによって大きく変わります。国民にはしっかりと情報収集してほしいです。今は生みの苦しみの時です。国民は必ず新しいものを生み出すはずです。


更新:2008/05/16 21:32     キャリアブレイン

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08/01/25配信

高次脳機能障害に向き合う 医師・ノンフィクションライター山田規畝子

医師の山田規畝子さんは、脳卒中に伴う高次脳機能障害により外科医としての道を絶たれました。しかし医師として[自分にしかできない仕事]も見えてきたようです。