2008-05-10
そもそも、生きる意味がなくても生きる、という立場のようです。私は。
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20080510/p2:tight 左記より引用
意味も分からず納得できてしまうとか言われても、こっちとしては呆れるしかない。あっこれは納得できる、これは納得できない式の選択をするのは自由だが、その意味を説明できないのなら迂闊にエントリなど上げるべきではない。ましてや人生の意味なんて大それたことなら尚更だ。
id:AntiSepticさん、おはようございます。新しいエントリ拝見しました。
呆れてくださって結構。私が迂闊なエントリを上げる自由はないのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20080510/p2:tight 左記より引用
これをひっくり返すと、もしも人生に意味がないとしたら、自殺という選択肢を捨てた以上、無意味な人生を過ごさなくてはならないという理屈になるから、やはり「人生に意味がある」ことの理由を明確に記述するべきということだ。
「『自殺しないと決める』ことと、『意味もない人生を無駄に過ごす』ことは直接関係あるでしょうか?」と書いているが、まさにそこがポイントで、こっちは自殺という手段を放棄することと、「人生に意味があること」とは直接関係あんの?と聞いたのだ。
お尋ねの件ですが、無いかもしれないですよ。私にとっては密接に関係していますが、人によって生きる意味は違うはずですから。
私は、元のエントリを書く際に、私が私の人生を生きる上での立場を表明しました。「意味がないと生きられない」のではなくて、「意味があろうがなかろうが生きるし、生きてみると意味が分かることもある」という立場ではないかと思います。
ある人は、「猫が好き。猫の餌買うために今日も頑張るか」という理由で人生に意味を見いだしているかもしれません、また別の人は「目標達成するまで死ねるか」という理由で生きているのかもしれません。ただ、だれもが納得する理由は存在しないのではないかと疑っています。id:AntiSepticさんも私も、あるいはこれらのやりとりをご覧になっている方も、あるいは数十年後の人たちも含めて、誰もが納得できる「人生の意味」をお書きになることはできますか?
なお、今回のエントリタイトル「本当に苦しいときに自殺すらできない人生なんて辛過ぎるでしょうに。」を拝見して気がついたことがあります。「辛すぎる」とお書きになっていますが、「苦しいこと」も「辛すぎること」も、私は生きる以上避けて通れないことだと考えています。もしかすると、生きる意味以前に、「辛すぎること」の捉え方が異なるのかもしれませんね。