帰納と演繹2008年05月16日 20世紀の科学は、帰納法を中心にして発展した。物理学を例にとれば、原子、原子核、素粒子と帰納分析していき、究極の素子の動作を解明することによって、すべての事象が説明できると考えた。大統一理論と呼ばれる。 しかしながら、20世紀も半ばを過ぎると、このような帰納的方法では解明できない問題があることが分かってきた。 例えば「株式市場の暴落」や「生命、心の問題」などである。帰納に帰納を重ね、分析に分析を行っても、これらは依然として謎のままである。 これらは全く共通点がないかのように見えるが、「多くの因子が複雑に絡み合った現象である」という点において同じ性格の問題だ。従来の帰納的な科学の対極にあるもので、演繹(えん・えき)的方法論が必要になってくる。「複雑性の科学」と呼ばれる。 問題は科学の領域に限られたことではない。近代社会の建設においては、帰納的方法論が万能であると信じられ、問題を分析、解明する帰納的人間が社会的エリートとして幅を利かせてきた。 しかし、現在の経済、政治などは多様な因子が、複雑極まりない相互作用をしながら展開している。とても帰納的人間の手に負える状況ではなくなってきた。現在の日本の混乱は、まさにこの点にある。 振り返ってみれば、歴史的な節目で世界の経済、政治を動かしてきたのは、帰納的な人間ではなく、細かなデータに惑わされることなく、大局的な決断ができる演繹的人間であった。 こう考えてくると、現在の日本に必要なのは、帰納的才子ではなく、西郷隆盛のごとき演繹的な人間なのだろう。(可軒) PR情報 |
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