日々の暮らし、気になるハイテク、音楽。映画、本、最近始めた趣味などについて、気ままに書き留めます。
ワシントンポストのスタッフライター、カールソン(Peter Carlson)の記事、題して「 ベルはライバルの電話のアイディアを盗んだのか」を興味深く読んだ。今年1月末に刊行された表題に関する書籍を紹介したものである。ここでは記事の流れに従い、電話が発明された当時の事情を俯瞰してみることとする。
ここに記す内容の多くはカールソンの刺激的なエッセイからの抜粋である。しかしながら私の勝手な意訳と要約、さらには個人的な意見や感想を織り交ぜて適当に脚色してある。したがって元記事を正確に伝えることを全く意図していないことを予めお断りしておく。原文はここにある氏の記事(The Bell Telephone: Patent Nonsense?)を参照のこと。
ここに記す内容の多くはカールソンの刺激的なエッセイからの抜粋である。しかしながら私の勝手な意訳と要約、さらには個人的な意見や感想を織り交ぜて適当に脚色してある。したがって元記事を正確に伝えることを全く意図していないことを予めお断りしておく。原文はここにある氏の記事(The Bell Telephone: Patent Nonsense?)を参照のこと。
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※ ベルとグレイは電話に関する特許を1876年の同じ日に申請している ※
さらにウィルバーは、グレイの特許申請書を$100でベルに不法に見せたと主張した。この直後、ベルは「ウィルバーを買収した事実はない」とする自身の調書に署名している。当時ワシントンポストは、この件を「驚くべきストーリー」として、センセーショナルに報じている。
それから122年、その驚くべきスクープ記事に続報が加わることとなった。シャルマンによる新刊書、“The Telephone Gambit: Chasing Alexander Graham Bell's Secret”(電話発明の機先を制す:アレキサンダー グラハム ベルの秘密、セス・シャルマン著)のことである。
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整理のため、1876年当時の出来事を以下に時系列に列挙してみよう。【2月14日】ベルの弁護士(代理人)が、いくつかの電報を同時に送ることができるということに関しての特許を申請する。その余白には「音声を電信で送る」ことについての、恐らく後に書き込まれたと思われる記述があった。
同日、グレイは「人の声を転送するための発明」についての”cabeat”(発明特許権保護願い)を申請する。cabeatとは、「(まだ実物は無いが)これこれこういうアイディアがある」ことについて申請し、その発明の先取権を認めてもらうための方策である。ただし、その発明は「近々実現される」ことが必要条件である。
グレイの発明特許権保護願いによると、彼の機械は「酸の液体」を用いるもので、書類にはそのイラストも添付されていた。これはそのときのイラストが記されたグレイのノートである。日付は2月11日となっている。
特許局の電気を用いた装置を専門に審査する職員であったウィルバーは、「調査しなければならないある種の混乱」をグレイとベルの申請書に見いだす。数日後、ベルはワシントンに出向く・・・(ここでドラムが鳴り響く、しばらく間をおいて)・・・つまりワシントンの特許局へ!
【3月7日】この日、ベルに対して電話の特許権が認められる。申請から三週間後という異例の早さであった。翌3月8日、ベルはボストンに戻る。彼はノートにあるスケッチを描く。しかしその構図はグレイのノートのそれと、うり二つであったのである(上に示したグレイ氏のノートと見比べて欲しい)!
彼は「酸の液体」を用いた機械の実験に取りかかる。二日後それは稼働する! 最初に転送に成功した言葉は、あの有名なセリフ、「ワトソン君、こちらに来てくれたまえ」、であった。
当の新刊書の著者シャルマンは言う。「見れば見るほど、あらゆる点でそれは怪しい」。数ヶ月の調査の後、シャルマンはある重大な結論に達する・・・
「ベルは世界で最も有名な発明の一つを盗んだのだ」
と。シャルマンの主張に対し、グロスベナー(Edwin Grosvenor、ベルの伝記作家にしてその曾孫)は、今にも卒倒しそうな勢いで真っ向から抗議する。すなわち「(買収されたとする)ウィルバーは、それ以前の彼自身の供述と矛盾することを言っているにすぎない」。たしかにウィルバーが彼自身のかつての証言と矛盾することを供述している点についてはシャルマンも認めている。続けてグロスベナーは非難する「グレイのそれは、結局、稼動にはいたっていない」として。それも正しい。実際の動作原理も若干異なるものであった。グロスベナーは言う、「まったく忌々しいのは、このようなくだらない議論が何度も何度も蒸し返されることだ。このことについては、これまでに沢山の裁判が開かれている」。これもその通りだ。実際、1800年代だけで100件あまりの裁判がひらかれていて、その度に、ベル側に軍配が上がる結果となっている。
「ベルによる”電話の発明”」から5年ほど前、そう1871年のある日、イタリア移民のアントニオ(Antonio Meucci)は音声を伝える装置(それを彼はteletrophoneと呼んでいた)の発明特許権保護願いを取得していた。しかし彼はあまりに貧乏で、その発明特許権保護願いの効力を1874年以降も維持するために必要とされる経費 、$10、を支払うことができなかった。結局、電話の発明権はベルのものとなる。コラムの最後にカールソンはビト(Vito Fossella)が2001年に議会に提出した「Antonio Meucciが真の電話の発明者である」とする決議案を紹介している。議会での審議の後、 この決議案は認められた。その一文をここに引用する。
* 我々はAntonio Meucci による電話の発明に対して感謝する *
米国議会が公式に電話の発明者として認めているのはベルでもなければグレイでもない。イタリア移民のAntonio Meucci氏、ただ一人である。 しかしベルの曾孫のグロスベナーはもちろんのこと、さらには先の書籍の著者シャルマンさえも、この決議案には(個人的に)同意していない。動作原理が異なる、あるいは稼働するものではなかった・・・と。
電話を発明したのはだれか? 結局、ベルは、彼の「踏みならされた道の外」で、先人の足跡を見ていなかったのか・・・ あるいは・・・。
参考
- シャルマンの新刊書についてのDavid Meheganによるレビュー記事は、ここで見ることができる。
- 浅瀬野氏の -電話の発明にまつわるお話し-
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