2008年03月18日

佐賀・武雄 入院患者誤射殺人、宮元さんの妻、手記公開

 佐賀県武雄市の病院で、昨年の11月、入院患者の宮元洋さん(34歳当時)が暴力団関係者と間違われて射殺された事件で、殺人罪等で起訴された暴力団組員の今田被告の初公判前に、誤射で殺された宮元さんの奥さんの篤きさんが手記を公開したのである。

 私は、それをネットで検索し、読んでみた。被害者の哀しみが、文章に現れていた。これ以上、何もいうことはない。私も人の親である。そして、親に育てられた子でもある。あふれる涙を止めることが出来なかった。

 間違われて射殺された宮元さんには、何の落ち度もないのである。そもそも、犯人とは関係がないのである。残された遺族の気持ちを想像するだけで、やりきれなくなる。これ以上、ここで書くことはない。

 奥さんの手記はとてもいい文章である。これがすべてである。お幸せになってもらいたいと影ながらおもうだけである。下記に全文を添付します。是非、お読みください。これが、ひとつの真実だとおもいます。

「 あれから4カ月が経ちました。あの日の朝、病院で無念の死をとげた洋君は、司法解剖などに時間がかかり全部を終えて、家に帰って来たのは夜も遅くでした。 それから通夜を迎え、弔問客がお帰りになった後、私たち家族は洋君に取りすがって過ごしました。まんじりともしない時間でした。そのうち10歳になる長男が洋君の掛け布団の中に入り、直接洋君の身体にすがり付きますと9歳の弟も同様に掛け布団の中に入り、洋君の頬を撫で手を繋ぎすすり泣きました。そのまま私たちは朝になり葬儀会場へ行く時間を迎えました。
 
 想えば、あの夜が、私達親子4人で水入らずで過ごした最後の夜だったのです。今はすがろうにも遺体もありません。


 犯人はあの日、病院の駐車場から、真っ直ぐに玄関に入り、ホールを通り、階段を上り迷う事なく病室に入り、4発の銃弾を発射し、慌てる事もなく、落ち着いて駐車場に戻ったそうです。武雄まで同乗して来た女性には、事前にも、事後にも、殺人については気付かれず常に冷静に行動したとの事でした。また、拳銃の入手や、犯行に使った車を即座にスクラップするなどの処置は、組織暴力団そのものが冷静に計画し、準備されたことを犯人が実行したもので、単に個人が思いついて行動した時の興奮や、気の高ぶりも感じさせていないこと自体が組織犯罪であることを明確にしていると考えられます。
 
 あの朝、洋君は平穏な朝を迎えた事でしょう。前日、私と打ち合わせをした、先の仕事のことを考え、退院間近なこともあって、ハッピーな気分だったと想います。拳銃を向けられるその時までは…
 
 葬式の時も言いましたが、洋君は拳銃を向けられたその瞬間を、何が何だか判らなかったと思います。そして、自分が死ぬことも、死んだこともしらずに亡くなったでしょう。姑の母は大切な我が子を失い、2人の子供達は厳しく、優しい、大好きな父親を失い、私は、どんな時も味方してくれた、頼りになる夫を失いました。
 
 私達家族は、一家の主人を失ってしまったのです。環境が性格を作るとも聞いていますが、自分たちを守ってくれる、かけがえのない父親と一瞬にして死に別れさせられてしまった、私の子供達は、最悪の環境に置かれました。笑顔も減り、口数もめっきり少なくなりました。これからの将来、子供達がどうなるのか考えたとき、それは言葉では言い表すことが出来ないほどの苦痛と不安で頭がいっぱいになります。
 
 私達は運命を変えられました。
 
 あの世と言う場所があるとするなら、洋君はさぞ無念さでいっぱいになりながらそこに居ることでしょう。洋君には将来もあったし、夢もあり、仕事もようやく軌道に乗ったばかりの時でした。私は悔しいです…。
 
 洋君の生前、私は毎日の日課として出勤前と後に洋君の病室に寄っていました。あの朝、もしも私が病室に居るときに殺人者が来ていたら、私も殺されていたはずです。そうなっていたなら、私はともかく、残された子供達はどうなっただろうと考えるとゾッとします。
私だけでも生きていたから良かったんだと思わなければならないのでしょうか…。

 相手の弁護士さんは、とても優秀な人のようで、逮捕後すぐに佐賀に送るのではなく、20日間も福岡に留め置いたり、犯人と一緒に同乗してきた女性を入院させ、彼らの対応出来る時間を充分に与えて、事に当たられています。聞いた話によると、死刑以外は実刑を受けても、その量刑の半分くらいで刑務所から出れるそうですが、もし死刑で無ければ、犯人が私達が暮らす社会に出てくるのは5年後でしょうか? それとも10年後でしょうか?

 殺人者は、組の計画と指示を実行した者として組織内で出世するとのこと。今田と云う人の動機は、まさにそれだけだったでしょう。
 組織暴力団での出世のために、一般市民が今後私達のようなめに遭わないような判決が、殺人者に、そして、その組織に与えられることを私が願うのは許されると思います。
 
 最後に、この4カ月、私達家族を励まし、慰め、そして守ってくださった、洋君の同窓生の方達、仕事の関係の方、洋君のスポーツの仲間や消防団の方々、ご近所の皆様、それから子供が所属している野球チームの皆様。そして何より警察の方々のケアや励まし、相談事などへの対処に深く感謝しております。
  
 周囲の皆様の暖かなお心遣いのおかげで今日まで来れました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 2008年3月 宮元篤紀」



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この記事へのコメント

1. Posted by 厳重抗議    2008年05月16日 09:44
1 佐賀新聞に掲載してあった手記を、そのままパクってきて、自分のブログに掲載するなんて、あきらかに問題じゃないのか。

>株式会社 美粒 中野満代表取締役社長

一体、何を考えているのやら・・・。
ご本人に連絡をとり、掲載の許可を乞うぐらいの労さえ惜しむような、能天気なオツムの御仁なのか?

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