2008年5月15日 (木曜日)

「花まつり」の難しさ

 今回の「法話ライブツアー」は、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」という行事(法要)に招かれたものだった。

 しかし、実は、「花まつり」に招かれ法話をする場合、いつも少しヤッカイに感じる部分がある。

 お釈迦様の誕生にまつわる有名なエピソードとして、以下の話がある。

 産み月になったマーヤー夫人が故郷へ里帰りしようと向かう途中のルンビニーという場所で休憩をとった際、無憂樹という木に手を伸ばした母の右脇から赤ちゃんが生まれ落ちた。その赤ちゃんこそがのちのお釈迦様である。すぐに七歩あるいて、天と地を指さしながら「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と叫んだ。その誕生を祝い、天からは甘露の雨が降り注いだ・・・・

 この「天にも地にも我独り尊し」という解釈がヤッカイなのだ。もちろん、あくまでも伝説であり、赤ちゃんが生まれてすぐ歩くなど、嘘である。

 仏教系の学校や、お寺の「お説教」でよくされる解釈は、

 「唯我独尊とは今日では、独善的とか、ひとりよがり、という悪い意味でとらえられているが、本来の意味はそうではなく、私のいのちも、あなたのいのちも、みんな独りの人間存在として尊いのだ、だから、これは見失っているいのちの大切さを教える言葉であり、お釈迦様が生涯かけて教えられた内容のダイジェストであり、お釈迦様の誕生のエピソードからそれを学ぶのが、花まつりという行事なのですよ・・・・」

 僕も、仏教系の高校に通ったので当時そう聞いたし、その後もそんなふうに学んできた。

 また、自分が高校などで「法話ライブ」をする際に、以上のような「骨組み」で話す内容をまとめることができれば、カッチョよくまとまるのである。

 しかし、

 本当の「天上天下唯我独尊」の意味は違うのだ・・・・。

  35歳で真理を覚ったお釈迦様は、その覚りの内容を伝えるのを躊躇していた。やがて、インドの神々の代表として梵天(最高神ブラフマー)が、お釈迦様に「どうかその覚った内容をみんなに伝えてください」とお願いをする(梵天勧請)エピソードを経て、世の人に覚りの内容を伝える事(説法)を決意し旅に出た。その途中で、お釈迦様は、アージヴィカ教徒のウパカに出会う。お釈迦様の清らかな姿を見たウパカは、「あなたは誰を師匠としているの?」と質問する。すると、お釈迦様はこう答える。「自分はすべてを知る者であり、誰をも師匠とせず自力で究極の覚りを獲得した。神々を含めて、この世で自分に匹敵するものはいない。私は、目覚めたる者(覚者)である!!」 

 これこそが、「天上天下唯我独尊」の本来の意味なのである。もちろん赤ちゃんの時の言葉ではない。後代の仏伝作者が、35歳のお釈迦様のこの宣言を、生まれた時から偉大だったという意味をこめて、赤ちゃんのお釈迦さまに語らせた、という訳である。

 うん、やはりこの「唯我独尊」という言葉の意味は、「私(の覚った事)(それまでの)他とは違ってエライのだ!!」という宣言なのだ。そういうと聞こえは悪いけど、「輪廻転生」という永遠に止まらない「差別的構造」の連鎖の続くそれまでのインドの中にあって、お釈迦様が覚ったこと、引いてはお釈迦様が誕生されたということは、そういったそれまでの「輪廻的生存」という「構造」をはじめて打ち破った大きな意味があった、ということになる。

 なので、「すべてのいのちの大切さ、人間の尊厳を謳ったもの」という解釈は(結論として導き出される仏教的な結論かもしれないが)、学問的にこの言葉自体の解釈としては「珍解釈」ということになる。

 

  そのあたりを専門的に学んでいない僕は、色んなインド哲学の諸先生方の本で読んだ「受け売り」を語ることしかできない。しかし、曲がりなりにも大学で「インド哲学」を学んだ者としては、いくら聞こえがよくても「珍解釈」と呼ばれるものを自分の「法話ライブ」でお伝えする訳にはいきません。

  

 お釈迦様の「天上天下唯我独尊」という宣言は、独善・ひとりよがりという意味ではなく、

 「差別に歪む世界の中で、私は最初に真実に目覚めた者である。そして、目覚めた者として、あらゆる苦悩に苦しむ人々に安らぎを与えたいのだ!」

 というように、

「一切衆生の救済をお釈迦様自身の存在意義(出世本懐)とした」

 というふうに解釈し、

 さて、それじゃ、この僕自身という「存在意義」ってなんだろう? 

 誰にも変わってもらえない、一度きりの、限りのある命で、色んなつながり関わり合いの中に存在している僕自身の「人生」の意味って何だろう?? 

 単なる自分自身のせまい「枠組み」「物差し」だけで推し量るのではなく、お釈迦様の教えから学んでみる。

 

 「花まつり」とは、

 お釈迦様の誕生のエピソードを入り口に、その生涯を学びながら、そして、覚った内容である「縁起」というルール(法則)から照らし出されたこの私の「心の構造」(悩み・苦しみを生み出す仕組み)を知り、「自己点検」を試み、自分自身をまるごと受け取れる人間を目指すこと・・・・。

 

 そう解釈しての「花まつり・法話ライブツアー」でした。

 

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2008年5月13日 (火曜日)

春のライブツアー終了!(笑)

BOSANソングライターKONO
【☆花まつり・法話ライブツアー2008春☆  ルール~釈尊からの学び~】
本日の登別の高校でのステージをもちまして、
ツアー終了でございます。
(残る3カ所は、別な構成で考えたいと思います)
 
 
僕が人前で「BOSANソングライターKONO」を名乗って法話ライブをするキッカケ(デビュー?)となったのは今から15年前の24歳の時です。僕の京都の大学時代の同級生Nirei君が教員をしている高校の行事に僕を呼んでくれて、しかも通常は「お話」という内容を、自由に「ライブ」という形で歌わせてくれたのです。
それがキッカケとなり、その後、人前で歌う事がライフワークのひとつになりました。
   
今日、法話ライブをさせていただいた場所が、まさに私の原点となったその高校でした。もう5回目の訪問になります。
  
  
今日は、体育館のステージの上ではなく、下に降りた場所にセッティングをして歌わさせていただきました。
だから生徒さんが同じ目線で近い近い… サングラスをしてなかったら絶対歌えません(汗)
 
 
でもみんな聴いてくれてたなぁ。
  
 
終わった後、
校長先生やNirei君が私のステージを
「完成された感じ」
と評してくださいました。
嬉しかったな。
《BOSANソングライターKONO》を見守り、育ててくれた人の言葉だから素直に嬉しかった。
  
  
今日しみじみ思ったんだけど、
24歳の時、Nirei君が僕を呼んでくれてなければ、「法話ライブ」というスタイルで現在歌うこともなかっただろう。
そして、いつも僕の仏教の学びから生まれる「創作活動」を見守り、表現の場(ライブの機会)を与えてくれて、色々な意見を言ってくれるNirei君の存在が、ずっと僕の人生そのものを支えてくれているし、挫けずに現在を歩き続ける僕の「根っこ」になっているのは間違いない。
 
  
  
とりあえず、ツアー終了。
聴いてくださった皆様、
お世話になった皆様、
そして、このブログを通じて応援してくださった皆様、

ありがとうございました!

 

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「私を見ていて下さる人があり 

私を照らして下さる人があるので 

私はくじけずに今日を歩く」 (榎本栄一)

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2008年5月12日 (月曜日)

テーマ再確認

テーマ再確認
「法話ライブツアー」のハザマ。

先日たくさんの人の前で表現したことを、こんな日は、ひとりしずかに顧みながら、また次の表現の場へ向けて集中をする、そんな日にしたいと思う。

しかし、
葬儀が連続してしまい、明日の法話ライブと重なるスケジュールに……。それで葬儀の日程を1日延ばしてもらうことになった。


昨年5月に住職になってもうすぐ1年。
突然に連続して入る葬儀という事実にいつまでたっても覚悟が定まらない。
分かっていることなのに引き受けられない。
そして、
気がつけば、スケジュール調整のヤリクリにうんざりしながら愚痴が出ている自分がいる。

だから、
今日は、
そんな自分のココロの構造を確認しながら、また、表現する事、伝えたい事は何なのか、自分は何を学び、願い、生きているのか考える。

「いくら仏教を学んでも、いつまでも迷ってばかり…」と述懐するおばあちゃんの姿に、いや、迷ったままの人は自分が迷ってる事にすら気づかないまま、でも、おばあちゃんは迷ってる自分自身が見えるから素晴らしいのだ、と述べている本を読んだばかり。

完璧なスーパーマンになって「表現」するのではない。勘違いしてはいけない。偉いから人前に出るのではない。


仏教を通じ自己点検を試み、自分自身をまるごと受け取れる人間を目指す………これが今の、そしてこれからも続くテーマだ。


明日は、法話ライブの3箇所めになる。

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2008年5月10日 (土曜日)

法話ライブとお通夜と。

本日(10日)は、

BOSANソングライターKONO ☆花まつり・法話ライブツアー2008春☆「ルール〜釈尊からの学び〜2箇所め

 

勇払郡厚真町の仏教会主催の「花まつり法要」での「法話ライブ」でした。

今日の朝10時から開始、ということで、昨日の深夜のうちに会場のお寺に到着し、一泊させていただいたのでした。

今回の「法話ライブ」の内容は、

近所の幼稚園の園児たちに、まず15分くらいお話&歌。

そして、その後、

一般の参詣者の皆さんに約1時間くらいの法話ライブを

というご依頼でした。

で、僕にとっての問題は、ちびっ子相手sweat01の前半戦・・・・。

ライブ会場である本堂へ僕が入っていくと、ポカ〜〜〜ンと僕を見上げるちびっ子たち10名くらい。あとは、保護者の方と、一般参詣者の皆さんで本堂の中は満員状態。

いつものサングラスも、ちびっ子たちに「お坊さんコワイ〜〜〜!」という変な印象を持たれては困ると想い、レンズの色が薄めの目が見えるサングラスを装着。

そして、僕ができるであろう最高の笑みを浮かべながら、ちびっ子たちに語りかけてみた。ポカ〜〜ン。問いかけてみた。ポカ〜〜ン。笑いをとってみた。ポカ〜〜ン。最後にギターを抱えて歌ってみた。ポカ〜〜ン・・・・・。反応してたのは、子供に寄り添う若いママたちと、他の一般参詣者の皆さんだった・・・・。

それでもこの日だけの為に、ちびっ子向けに急遽作成した新曲「いのちの花」(童謡を作りたかったけど童謡になりきれなかった新曲)を歌い、ちびっ子の部が終了。

・・・・・・・必死でした。で、やっぱり「ちびっ子対象」に話すのは難しかったですcoldsweats01

 

休憩。(ちびっ子はオミヤゲをもらって帰る。残った一般の参詣者の皆さん)

そして、第2部。

先日の『ツアー初日』の高校でのメニューとほぼ同じ内容だけど、でも時間に余裕があったので、比較的落ち着いて話したいことも話せて、歌もシッカリ成立させて・・・・・、お昼過ぎ法話ライブ終了。

  

参詣者の皆さんと一緒に「お昼」をごちそうになりながら、色んな会話を楽しむ。91歳のオジイチャンにほめられて素直に嬉しかった。

その後、音響機材やギターを車に詰め込んで、快晴の空の下、気分よく出発car

  

 

夕方、ウチに到着し、機材を家の中に運び、僕は、すぐに夕方6時からの「お通夜」へ行く準備。

昨日亡くなったオジイチャンのお通夜。

お経の後、参列の皆さんに「お話」をした。昼間の「法話ライブ」とは全然違うテンションで、「人前」でお話をしている自分がいた。

テンションは違っても、語る内容は「仏教の話」。

さっきの法話ライブで話した内容を、違った角度から自分自身の中に確認するように、大切にお話をさせていただいた。

  

今日はそんな1日でした・・・・。

おやすみなさいsleepy

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2008年5月 9日 (金曜日)

今日の地元新聞に小さく……


昨日の高校での「法話ライブ」の記事が、今日の地元新聞(『室蘭民報』)の紙面上に小さ〜〜〜〜〜く掲載されてました。
 
小さいので写真部分をアップにしてみると…
 
ま、雰囲気、雰囲気(^^;)
写真撮られてたの気づかなかったなぁ。
 
記事の中の曲名が間違って表記されてますが、正しくは「独生〜独りを生きる〜」です(^^;)
 
 
 
今回の記事を書いてくださった記者さん、有り難うございました(^-^)

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2008年5月 8日 (木曜日)

課題だらけのツアー1日目を終えて・・・。

いやぁ、ツアー1日目、

近隣の高校の「花まつり法要」での法話ライブ終了。

あかんわ・・・、課題だらけの初日でした。

  

 

まず、

与えられた時間内に伝えたい事を表現する難しさ。

学校側から言われている私の講演時間は約1時間(でも、実は、セッティングとか講師紹介とか生徒さんの退場時間があるので、実質、全部で35分から40分のステージなのです・・・・)

で、さらに、その中で、「歌」を4~5曲歌うとすると、単純に1曲5分として20分~25分。

 でも、私の場合、オリジナルの歌自体1曲が長いのと、ノッてくると(陶酔してくるとcoldsweats01)リフレインが多くなるので、1曲7分もある???だから合計約30分弱くらい歌っていることになる。

 そうなると、しゃべり(法話)の部分がたった15分から20分くらいしかないことになり、自己紹介やら、法話の「核心」にいく前段階をしゃべっているうちに、時間がなくなってしまうのであります。

 なんとなく、自分では、「60分~90分」くらいのスケールの法話ライブ時間を設定してしまうクセがあるのだから、伝えたいことが伝えきれないうちに、時間切れ・・・

 今日も、ノッケに1曲歌って、自己紹介して、お釈迦様の誕生のエピソードを語って、そして、「本題」に入ろうと思って時間を確認したら、あと15分くらいしか残って無くて、焦る!焦る!!(苦笑)。でも、新曲はカットしたくないし、テーマソングは外せないし、必然的に、早口で、駆け足で語りました。昨日まで準備して、勉強したこと、考えたこと、半分も語れなかったよ~~~(泣)crying

あと2回のツアー箇所では、作戦を練ろう。しゃべる内容(伝えること)を絞ろう・・。

 

  

次に、音響関係に弱い私・・・。

去年に解散したバンドで使用していたアンプとミキサーを使わせてもらって法話ライブに出掛けるのだけれど、

 例えば、高校の「体育館」というスペースで歌う場合、音量のレヴェルをどのくらいにしたらいいのか、音質をどう作っていいのか、未だつかめない。また、ミキサー操作を学校の先生にお任せする訳にもいかないので、自分の手元に置いて操作しながら様子を見るのだけれど、「カエシ」のスピーカーもないし、今日も、音量のレヴェルを上げすぎたみたいで、歌とギターを盛り上げていく場面で、いきなり「ハイが飛んだ(つまり、アンプから高音域の音が急に聞こえなくなり、こもった音に変わった・・・・)のである。

 う~~ん、難しい。ほんと、音響はワカンネェ。。。バンドのコンサートの時は、プロの音響サンがいつも最高の「音環境」を作ってくれてたから、有り難かったなぁ・・・。

  

 

でも、今日、良かった点もある。

歌がノビノビ歌えたということ。ギターもうまく弾けたということ。シロウトな僕でも、今までライブの場数を踏んでいるなぁと思った。声もよく伸びていたし、感情を入れて、押したり、引いたり、緩急をつけながら、自分でも納得できる「歌」が歌えた、、、、と思ったのですが・・・・。さて、生徒さんはどう思ったかなぁ?

実は、ステージの上からは生徒さんの顔がよく見える。真剣に聞く子。メモをとっている子。寝ている子。ドンビキの子・・・。歓迎してくれてる子。興味があるのかギターを真剣にみている子。みんなそれぞれに、僕のステージに付き合ってくれて、嬉しかった。

法話ライブが終って、機材や楽器を撤収している際に、女子生徒さんが「握手してください!」と来てくれた。 あるいは、機材を運ぶのを率先して手伝ってくれた女子生徒さんもいた。

    

・・・・・・と言うわけで、 

生徒さん、先生、来賓の皆様、本日は大変お世話になり、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

  

「住職」になってから、法話ライブに出る為のスケジュールのヤリクリ調整も結構大変なのだけれど、「声をかけていただける有り難さ」を噛み締めながら、BOSANソングライターという「表現スタイル」をもっともっと追求していきたい、と思います。 

来月に、また2箇所、法話ライブの話をいただきました。

  

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2008年5月 6日 (火曜日)

春のライブツアー???

 時折、めまいに襲われるので、ちょいと体調が不安な最近ではありますが、人前に出ることによって元気になる、、という不思議なテンションになっている私であります。

 いよいよ8日(木)、10日(土)、13日(火)と、3箇所で「法話ライブ」に招かれてますので、まずは、それに没頭しようと思ってます。

 ※行く場所は、高校2箇所と、近隣のお寺の法要です。その後、20日(火)には、ウチのお寺の婦人会の法要でも「法話ライブ」をします。

 ・・・・・・・・・で、

 「ミュージシャン気取り」で、なんでも「コンサートツアー」に置き換えて考えてみる私・・・・。

  

 名付けて、

 ☆花まつり・法話ライブツアー2008 春☆

  ルール ~釈尊からの学び~

 3箇所だけど、ツアーなのであります(苦笑)

 さて、どんなライブになるのか?頑張ります・・・

 

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