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【さらば革命的世代】(3)秋田明大「まだ何もしていない」 (2/4ページ)
■年金あてにならん
日大全共闘の後輩(60)は当時の秋田さんについて「口数は少なく、演説がうまいわけでもなかった」と打ち明けながらも、「輝いていたというんでしょうか。人を引きつける魅力があって、何とかこのリーダーを支えたいとみんなが思っていた」という。
秋田さんは「自分でも、あんなことをやるとは思わんかった。たまたま社会科学研究会に入っとっただけで、最初は水泳サークルじゃったしね。革命とか言っとる者もおったけど、わしはマルクスもレーニンもかじっただけじゃし」。
当時の状況を尋ねても反応は鈍い。中枢メンバーの名前を何人か出しても、「はあ、昔のことじゃけえ、よく覚えとらん」。1万人もの学生を指揮したことについても、「あのまま号令をかけて、クワを持たせて農場でも始めれば違った道があったかもしれん」。そして学生運動そのものについてはこう述べた。
「何の感慨もない。わしの人生じゃけえ仕方がない。たまたま質問されているから、こうやって答えてるだけで、昨日生きとったことや、飯食ったことをどう思いますか、と聞かれとるのと一緒じゃな」。
唯一、反応したのは日大全共闘書記長で後に北海道知事選で「勝手連」をつくった田村正敏氏(故人)の名前を出したときだった。「週刊誌で彼の活躍をみてね。私なんか何もやってないと思いましたよ。このまま死ぬまで何もできんのじゃないかと…」。
最初の妻との離婚後は生活が荒れ、後妻とは結婚紹介所を通じて中国に赴き知り合った。日本語ができず、漢字を使った筆談でコミュニケーションを取った。少しずつ会話ができるようになり、最近では近所の食堂へパートに出ている。今一番の心配は、孫のような年の息子の将来という。
「子供が20歳になったとき、わしは80歳近い。年金もあてにならん。ものすごい不安じゃね」