反日デモの背景 ――日本と中国が対立している背景は何か。 古くからのライバル関係に根ざす国家としてのプライドと歴史的な確執がその背景にある。日中の対立は19世紀以来のもので、より直接的には1931年から45年まで日本が中国大陸を侵略し、支配していたことが現在の対立の背景にある。中国は第二次世界大戦中の戦争犯罪に関する日本の謝罪が十分ではないと主張している。さらに日中は、日本が尖閣諸島、中国が釣魚台列島と呼ぶ東シナ海の島をめぐっても領有権論争を抱え、歴史教科書問題、政治家の靖国神社参拝問題、東シナ海のガス田開発をめぐっても対立している。 ――2005年4月に中国で起きた反日運動の原因は何だったのか。 05年4月上旬に、日本の文部科学省は、1937年の南京大虐殺、強制労働、侵略地域の女性たちを従軍慰安婦として連行したことなど、第二次大戦期の日本軍の残虐行為を軽視するか、全く触れていないと中国側が主張する歴史教科書の検定を認めた。これに対して、その後3週間にわたって、数千人規模のデモが北京、広東省、四川省、その他の省の都市で起き、72年の国交正常化以来、最大規模の反日抗議デモが展開された。デモ参加者は、日本製品の不買運動も呼びかけた。 ――だれが中国での反日運動を組織したのか。 はっきりとしたところはわからない。何事にも社会を管理することを心がける中国の当局が抗議行動を自由に行わせたこと自体、共産党指導層が反日デモの実施に暗黙の了解を与えていたことを意味すると考える専門家もいる。アジアに関する数多くの著作をもつイアン・ブルマは、フィナンシャル・タイムズ紙で、「中国当局は、国内問題に民衆が目を向けないように、巧妙に反日感情を煽り立てた」と分析している。一方、民衆による自発的な反日運動の高まりを前に、中国政府は好きにやらせるしか手がないと考えたのかもしれないとみる専門家もいる。 ――これまでに第二次世界大戦期の日本の行動について日中はどのように対処してきたのか。 72年以来、日本の歴代首相と天皇は、第二次世界大戦期の日本の行動について謝罪と遺憾の意(反省とおわび)を表明してきた。エコノミスト・グローバル・アジェンダによれば、72年以降、日本は少なくとも17回にわたって中国に謝罪している。 しかし中国は戦争中の行動を謝罪する日本側の「言葉」と政治指導者が靖国に参拝し続けるという「行動」が矛盾しているとして、日本の謝罪を完全には受け入れていない。 ――日本は中国での反日デモにどのように対応しているのか。 ヘンリー・スチムソンセンターのアラン・ロンバーグは、日本国内では「すでに日本の過去については十分謝ったではないかという認識が高まっている」と語り、中国の教科書も歴史的にゆがんでいると指摘する。日本政府は、北京に対してデモにおける暴力行為への謝罪、及びデモによって生じた物的被害の補償を求めている。 ――中国の教科書はどのような内容なのか。 米海軍大学のマオチュン・ヤンは「ナショナリズムの高まりを受けて、中国では歴史を書き直し、現在のナショナリズムの高まりに即した歴史解釈が大がかりに試みられている」とCNNのインタビューで語っている。中国の教科書は国家的な犠牲者意識をあおり、共産党を称えるような内容になっていると指摘する専門家もいる。AP通信の報道によれば、中国の教科書は、89年の民主化運動と弾圧(天安門事件)、大躍進計画の結果膨大な数の人々が餓死したこと、そして中国とインドやベトナムとの軍事紛争には全く触れていない。 日中対立の質的変化 ――日中関係は深刻な状態にあるのか。 深刻な状態にあるとみる専門家も多い。米外交問題評議会(CFR)のアダム・シーガルは、日中関係はこれまでになく悪化しているとみる。 さらに深刻な見解を示す専門家もいる。ヘリテージ財団のジョン・タカシックは、中国の台頭は地域的な安定に対する脅威だとみる。「北京はいまこそアジアでの中国の影響力を行使するときだと考えたのかもしれない。中国は闘いを望んでいる。可能なかぎり相手を追い込むだろうし、いずれ闘いになる」とコメントしている。 ――なぜ、これまでの日中対立と今回の対立は違うのか。 CFRのエリック・ヘジンボサムは目の前の嵐はいずれ収まるとしながらも、日中関係の今後は楽観できないとコメントしている。「日中両国で次第にナショナリズムが高まりをみせ、しかも、政策決定にしめる世論の役割が高まっている」とみるヘジンボサムは、「残念なことに、歴史問題をめぐって日中双方の指導者が強硬姿勢をとることが政治的には好ましい状況にある」と状況を分析する。 ――戦後の日中関係はどのように推移してきたのか。 戦後における非公式の貿易関係を経て、72年に国交が正常化され、78年には日中平和友好条約も締結された。元米国務官僚のニール・シルバーによれば、ソビエトを敵視していた時代には、中国は日米同盟を評価し、日本の軍事力の増強さえ働きかけたことがある。だが、80年代に中国とソビエトとの関係が改善すると、中曽根首相の靖国神社参拝問題、日本の教科書問題をめぐって日中関係は冷え込み、中国は日米安保を問題視するようになり、冷戦終結後は、日本を脅威ととらえる見方もでてきた。 しかしその後、アジア経済の成長ととともに、日本、アジア各国と中国の経済相互依存は大いに高まり、日本企業の進出、投資、貿易を通じた互恵的な日中経済関係が築かれてきた。ただし、経済的にうまくいっても、中国での反日感情の高まりを前に政治的関係は冷え込み、いわゆる「政冷経熱」の状態にあるという声も多く聞かれる。 歴史認識は交渉カードなのか? ――日本の歴史認識を問うことが、中国側の交渉カードにされてきたという声もある。 そうした見方をする専門家もいる。ニール・シルバーは「中国は、日本から経済的譲歩を引き出そうと戦争中の歴史を利用してきた」と指摘する。ただし、中国経済の成長とともに、なぜ日本が中国に借款を与え続けなければならないかという声が高まり、日本政府は、2005年3月に中国向け政府開発援助(ODA)の大半を占める円借款の新規供与を08年の北京五輪をめどに取りやめることを正式に表明した。 ――中国は交渉カードとして歴史問題を利用してきただけなのか。 違う。ニコラス・クリストフは「不合理だとはいえ、簡単には消え去らない日本に対する恐怖心は本物で、現実の政策にも影響を及ぼしかねない」と指摘している。中国側は、日本の謝罪を完全には受け入れていないし、保守的な内容の教科書が検定合格とされたことに不信感を募らせている。 ――歴史認識、教科書問題は解決できないのか。 保守的な教科書を含め、「数多くの日本の右派による歴史解釈の多くは根拠に欠けるが、右派の言い分が的を射ている部分もある」とクリストフは語る。「南京大虐殺の規模が、現在考えられているものよりも小さかった可能性はある」と。アジア諸国や欧米が、こうした日本における右派の論争のすべてを批判するのは間違っているという立場をとるクリストフは次のように述べている。 「こうした戦争をめぐる右派系の議論の台頭は、方向性はともかく、先の戦争に関する論争をタブー視する風潮をうち破ることで、最終的に日本が過去と本当に向き合い、戦争への理解を形作り、深い後悔と反省ができる環境をつくることになる」。 ――なぜ中国の反日感情はなくならないのか。 教科書問題、靖国神社問題を別にしても、「たんなる戦争の余韻」以上のものが作用しているとクリストフは指摘する。第二次世界大戦期の占領を直接的に経験していない中国と韓国の若者の反日感情が高いのは、「アジア諸国の教科書その他における反日プロパガンダが大いに影響している」と。 元米国務官僚のニール・シルバーも「中国の指導者たちは、一般の中国人の日本に対する憎悪を利用し、それに訴えかけることで、自らナショナリストとしての名声を高めることができる」と指摘し、「共産党は1930年代と40年代の抗日戦争期に共産党が果たした役割をたたえる愛国主義的なプロパガンダをいまも繰り返し教え込んでおり、中国の若い世代は旧世代の中国人と同じか、あるいはそれ以上に強い反日感情を持っている」と指摘する。 日中のナショナリズムを検証する ――共産党による統治基盤が弱まっているとみる分析も多い。 経済の自由化、改革路線が表へと引きずり出した中国の社会的力学が、いまや硬直的な中国政治制度の抜本的な変化に向けた流れをつくり出していると専門家の多くがみている。 経済改革から恩恵を引き出すことに成功している中産階級は財産権の保障を含む、法の支配の確立を求め、恩恵を引き出せずに厳しい経済状況に置かれている農民や労働者は政府による救いの手を求めている。だが、中国における法の支配は確立されていないし、社会給付制度の多くはすでに崩壊している。民衆の不満は高まり、共産党の腐敗体質や統治能力を批判しだし、各地でデモが起きている。 リチャード・ハース(CFR会長)は「中国政府は経済面では自由化・開放化政策を続けながらも、政治面では可能な限り管理体制を維持しようと試みている。……経済的な自由化に見合った政治的な開放を進めてバランスをとるつもりがあるのかどうかが問題だ」と指摘し、「人権問題その他、政治面での開放化を外交的に中国に求めていく必要がある。……危険なのはこうした思想的・政治的空白が「ナショナリズムで埋め尽くされることだ」と語っている。 ――反日感情を煽ることで共産党の正統性が高まるのなら、日中は衝突コースにあると考えるべきか。 そうとはいえない。シルバーは、反日感情を煽りすぎると自らに火の粉が降りかかってくることを中国指導層は理解していると指摘する。事実、85年に、第二次世界大戦終結40周年を中国のメディアが広く報道した結果、意図とは逆に、北京では政府の不法な影響力の行使を批判するデモが起きている。ヘジンボサムも、国内に問題を抱える中国の指導層は基本的に民衆デモを警戒していると指摘する。「中国政府にとってデモは両刃の剣である」と。 経済の相互依存関係も衝突を回避する要因となる。日本経済の最近の成長は対中輸出で説明できるし、外資に依存している中国経済にとっても日本からの投資は非常に重要だ。前米通商代表のシャーリーン・バーシェフスキによれば、中国政府は国内的な不満、とくに失業問題を緩和しなければと躍起になっており、雇用創出と社会の安定を不可分の関係にあるとみている。日本からの投資、日本との貿易は、日本の利益であるだけでなく、中国の経済、雇用創出にとっても非常に重要だ。国境にも、国家にもとらわれない絆をつくり上げている世界各地のトランスナショナル企業の存在と増殖によって、政治対立に歯止めがかかり、紛争や戦争という古くから概念が淘汰されつつあるとかつて指摘したピーター・ドラッカーの議論が、今回の日中対立で立証されるとみる専門家もいる。 ――なぜいま中国で反日ナショナリズムが高まっているのか。 反日感情の高まりを別にしても、経済成長による中国の台頭に伴う民衆の国家意識、プライドの高まりをその理由にあげる専門家は多い。フォーリン・アフェアーズ誌の前副編集長のファリード・ザカリアは、「現在の中国は20世紀初頭のドイツを思い起こさせる」と指摘し「台頭するパワーは人々のナショナリズムを鼓舞し、この感情が近隣諸国に対して、あるいは近隣諸国と抱え込んでいる国境論争へと向かうように誘導される」と述べている。 ――日本のナショナリズムも高まっているのか。 日本人の多くは、第二次世界大戦期の行動についてはもう十分に謝罪したと感じており、政府は近隣諸国からの謝罪要求に対してもっと毅然とした態度をとるべきだと考えていると、ユージン・マシューズ(前CFRシニア・フェロー)は指摘する。クリストフも、中国や韓国は、過去の問題をあげつらうことによって有利な立場を得ようとしているという認識が日本で高まり、反発を生じさせているとみる。 ただしマシューズは、教科書問題、靖国問題ばかりに目を向ける近隣諸国のやり方への反発、中国の台頭、北朝鮮問題に対する危機感だけでなく、新しい日本、新しい国家像を求める日本の若者たちが、終身雇用制度、経済の独占体質など日本の古い体制に対して抱く反発も日本でナショナリズムの台頭を促している要因の一つだと分析し、新しい日本のナショナリストは経済・社会改革を支持していると前向きに評価している。 憲法改正に向けた動き、国連安保理入りを模索する外交路線も、日本の新しい国家意識の現れととらえる見方もある。リチャード・ハース次のように述べている。「日本はいまや第二次世界大戦後に課された特別の制約の一部をふりほどこうとしている。われわれの時代における静かで興味深い戦略上の進化の一つとは、日本が普通の国になりつつあること、この国のノーマライゼーションだろう」。 ――日中の対立はアメリカの外交政策にどのような影響を与えるか。 日米同盟はいまも堅固な基盤をもっている。だが、「中国と日本がいがみあっているのは、アメリカの利益にならない」とロンバーグは指摘し、「政治、経済、安全保障の側面からみても、日中がうまくやっていくことがアメリカの利益である」と語る。また、日中が対立すれば、韓国は中国に近づいていくと専門家の多くは指摘している。 海軍基地をシンガポールに持ち、中国の近隣諸国のほとんどと安全保障関係を結んでいるアメリカは、アジア地域でも支配的な軍事パワーである。ズビグニュー・ブレジンスキー前米大統領補佐官は最近のフォーリン・ポリシー誌で「今後当面の間、中国がアメリカをアジア地域から締め出せるとは思えない」と指摘し、「かりにアメリカを閉め出せるとしても、強大でナショナリスティックで、核武装した日本と対峙していきたいとは北京は思わないだろう」と指摘している。 ――日本は軍事的野心を持っているのか。 よくわからない。日本の憲法9条は戦争を放棄するだけでなく、日本が軍隊を持つことを禁じている。とはいえ、日本はすでにかなりの軍事力を持っている。年間の防衛予算は466億ドル。この額は国内総生産(GDP)の1%未満だが、世界的にみてもかなり大規模な防衛予算だ。日本はほぼ3千人の自衛隊員をイラクとアフガニスタンに派遣している。まだコンセンサスはないとはいえ、国会議員を含め、いまや日本では改憲論が主流になってきている。 ――今後の東アジア秩序はどうなっていくのか。 フランシス・フクヤマは東アジア秩序の変化要因として、アメリカの対テロ戦争へのシフト、米韓の関係が冷えこんできていること、日米の安全保障、軍事協調路線が強化されつつあり、中韓がこれに反発していること、中国が経済成長を背景に影響力拡大路線をとっていることを挙げている。中・長期的には朝鮮半島の段階的統一というシナリオも想定できる。一方シャーリーン・バーシェフスキは、中国の経済成長の多くは、日本、韓国、台湾、香港、シンガポールなど「アジアの豊かな国・地域」が中国に直接投資をしている結果であると、アジア経済の域内統合が進展していることを示唆する。 政治的にはアジアでの多国間フォーラムを形成し、接触を増やすことが紛争回避策となるとフクヤマは指摘する。また、バーシェフスキが指摘するアジアの経済的相互依存が政治的対立を緩和できるかどうかも、今後の東アジア秩序を左右する大きな要因となる。当面東アジア秩序は、各国の政治的配慮と経済的配慮間のつな引きによって形作られるとみる専門家は多い。●
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