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    ★oredocoの今日の一言★

2008-05-15

生きる意味と納得(物理法則の意味と納得)

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oredocoさん、こんにちは。じつは、シリーズ5まで進んでおりまして――。

TB先から引用

えぇ、何気にすごいなこの人。

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意味よりも納得
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20080507/1210126332
id:takoponsさんへ(4)
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20080515/1210802544

現状(4)ですけど、いくつまでいくのかなと個人的には興味があります。

この対話でどんな答えが導き出せるのか謎です。いうことで、108ぐらいまで

続くのかなと思います。両人とももう少し視野を広めないと堂々巡りのような。

オレドコ、他人事なので、無責任です。

オレドコBlog、自慰Blogですので、不快なら見ないでください。何かを期待しないでください。オレドコ、無責任なのでなんの責任も負う気もないです。この2人のどちらの味方でもないです。価値観違いますから。前置きおおいなぁ(苦笑)

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一休さん」の伝記の内容を思い出しました。悟りを開いたときに、悟りの内容を報告したが、それは「悟り」ではないとキッパリ切られました。しかし、一休さんは、それが「悟り」でなくても結構だと言い切った部分を思い出しました。

そういうもんなんです。論理的でないとか矛盾してるとか言われても、

それが当たり前なんです。当たり前でないのでしょうか?>はてな村の皆さん&そうでない皆さん

オレドコ(oredoco)とhrkt0115311氏は、別人格であり別々の一人の人間だということをお断りしておきます。また、お互い価値観が違うことも断っておきます。また前提として、「論理的に」生きる意味の答えを出せた人は人類始まって以来一人もいないと認識しております。その前提で話を進めたいと思います。


■hrkt0115311氏

ただし、価値観は千差万別ですから、私にとって意味があっても、どなたかにとっては意味がないこともたくさんあります。その逆もあります。ですから、意味があるかどうかよりも、生きている人が自らの人生をどう決めるか、どう納得するかの方が、重要で、そうした手続きを繰り返して生きていくこと自体も「生きる意味」に含まれるのではないかと私は考えています。

■オレドコ

オレドコは、生きることに意味はないと考えてるけど、

それでも、どこかに生きる意味が存在するかもしれないと考えて

生きる意味を探している。最悪、本当にないのなら、生きる意味を

自ら作り出そうと思う。生きる意味の答えよりも、生きる意味を探す

プロセスのほうがずーっと重要でないかなと思ってます。

オレドコ(oredoco)とhrkt0115311氏は、意見が違いますけど、人それぞれなんだということで認め合っていると勝手に思ってます。まず、生きる意味自体が人格と深く関わっている内容のため、その内容を否定する行為は人格を否定することにもなりかねないということもあります。で、互いに考えが違っても、お互い人格を肯定しあうことができます。しかしながら、この手の問題のややこしいことは、自分自身と違う考え方をする人がいることが自分自身の考え(人格)を否定されてると無意識に感じる人もいます。そういう人は、相手のその考えに不快感を示し、否定しようとします。もう、この段階になるとどちらかがスルーしないと、堂々巡りになります。相手が間違えましたといえば、納得できるのなら、なぜ納得できるかを良く考えてみたほうが良いと思います。

科学者にも2つの立場があります。法則に意味があると思う人たち(天才派に多い)と法則には意味自体はなくて後付理論だと考える人たち(普通の人に多い)に分かれます。

「生きる」->法則に変えてもらえれば、今回と同様のケースになります。

唯物論と科学

http://good-poet.cocolog-nifty.com/world/2007/06/post_1cd5.html

科学というものは、唯物論の立場を取っています。

この唯物論からはみ出す理論は、多くの科学者から批難をあびます。

科学には科学の作法があります。

<省略>

量子論が初めて発表された時も、多くの批判をあびました。

このような理論を認めると、唯物論自体が崩壊すると思われたからです。

その批判の先頭に立ったのは、アインシュタインでした。

彼はニュートンの「決定論」が絶対に正しいと思いました。

また、これもニュートンが確立したものですが、古典物理学には「因果律」というものがあります。

これは簡単に言えば、全ての結果には原因があると言うものです。

量子論においては、この「因果律」さえ くずれてしまうのです。

当然アインシュタインは、このことにも反対しました。

そうして、彼は素粒子について、時間と共に変化する存在確率しか分からないと言うのは、

観測方法が悪いのだと思いました。

そして、様々な観測方法を提案しました。

しかし、その全ての方法を量子論者に論破され、敗北したのです。

こうして、「量子力学」「量子化学」「量子物理学」などの分野の学問が確立されたのです。

#全文をここに書くと転載になるので、一部省略しています。読む価値があると思うのでURL先で全文お読みください。

論理的に矛盾してる?

ロケットの打ち上げの軌道計算にもアインシュタイン相対性理論じゃなくてニュートン力学をつかってるので、そんな適当でも良いのです。

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