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プロフィール:
玉塚 元一(たまつか げんいち)
1962年05月23日生まれ(42歳)
1985/03  慶応義塾大学法学部 卒業
1985/04  旭硝子入社
1998/08  日本アイ・ビーエム入社
1998/12  ファーストリテイリング入社
1999/11  同取締役
2002/11  同代表取締役社長
<インタビュアーの目線>
この会社は一体、どこを目指しているのだろう。ユニクロを経営するファーストリテイリングが、野菜の生産・販売事業を始めたころ、多くの人がそう疑問を持ったに違いない。英国へ本格的に進出したかと思えば、わずか1年半で21店舗を5店舗に縮小。そして鳴り物入りで参入した野菜の事業は、同じく1年半で撤退する結果となった。

若き玉塚社長が就任したのは、まさにその試行錯誤の最中。突然の交代というショック療法は、じわじわと効果を表したのか。2004年8月期決算では3年ぶりの増収増益にこぎつけた。

こうした中、「ユニクロは安売りをやめます」と宣言。さらには、既存店の2倍近い広さを誇る「ユニクロプラス」を大阪心斎橋にオープンするなど矢継ぎ早に新たな戦略を打ち出した。

しかし、足元には不安要因も残る。年末年始の増産を天候に裏切られ、2005年8月期の業績予想を下方修正した。それでも今年は「ユニクロプラス」を東京や愛知、福岡にも展開する予定だ。

いよいよ本格的な攻勢に出たユニクロは、どこへ行くのだろうか。まもなく43歳の誕生日を迎える玉塚社長に聞いた。
インタビュー内容
<丸川>“ユニクロは低価格をやめる”と宣言なさったが、その真意は?
<玉塚> あの真意は、我々が本当に、生産、モノ作り、素材まで、川上まで遡っていって、本当に良いモノを競争力ある価格で提供するということ。そのことが、あまり充分に伝わっていないという危機感を持っていた。単なる安売りの店というイメージがあった。  

<丸川> ユニクロは安くなくなるのですか?
<玉塚> いや、そんな事はない。価格だけでは、物を買って頂けない、厳しい市場になっていると思う。ただ安いだけじゃ駄目。そこに付加価値が有ったり、品質としての裏付けがあったり、ファッション性としての裏付けがあって、初めてお客様の財布が開く。そこに向けて努力していくということです。

<丸川> ユニクロプラスは何を目指していいるのか?
<玉塚> 僕らは日本初の世界で戦えるグローバルな製造小売りの衣料品店になりたい。今後、
世界を考えた時に、500坪とか、あるいはそれよりも大きい売り場面積で、それでいて非常に迫力のある品揃えが必要になる。そんな店の原型を創りたいという事が発想の始まりです。

<丸川> 2010年には一兆円の売り上げを目指すと言う事ですが、今年、見通しを下方修正しましたね。
<玉塚> そうですね。我々の商売、天候の要因とか色々なところで決して甘くない市場。毎シーズン、毎シーズン、お客様の求めるところを的確に投入していかないと、支持を得られません。
1兆円の売上を目指している。これだけ日本で支持されているブランドですから、地理的に拡大していうことで、海外への展開をする。 すでに、中国、イギリスに行きました。いまアメリカも考えています。 

<丸川> 一兆円の中の内訳というのは?
<玉塚> やはり2010年時点で、一番大事なのは、国内のユニクロ事業。少なくとも、1兆円の半分、もしくは6割くらいが、やっぱり国内のユニクロ事業と言う事になる。また、年内にアメリカに進出しますが、世界で戦えるような人材とネットワークを作りながら、組織の力をアップしたい。商品力とか商売の力を劇的に上げるよう、いまみんなで取り組んでいる所ですね。

<丸川> アメリカに目が向かっているという事は、ユニクロは完全復活したのか
<玉塚> 復活した復活しないというのは2年前、3年前に、急成長のあとに、少し減収減益の時が2期連続のところを指して仰っているだと思うが、確かにあそこで激しいのブームがあって反動は有ったけれども、そのあとはコンスタントに成長している。一回もユニクロは死んでいない。99年くらいの時のブームというのは、本当にひとつのブームだったと思う。ブームの反動があった。

<丸川> 成長のために大事な事は何?
<玉塚> 究極的に一つを言うとすると、会社の中にいる、人ですよね。人材。士気をあげて、最高のサービスを提供して、キチッとした品揃えを持つ。お客様にサービスを与えられるような、店長というのも、優れた店長というのを一人でも多く、作る事も大事ですよね。結局、人ですよね。経営者もそうだしね。

<丸川> 自分で自分を、経営者としてどう採点しますか?
<玉塚> 3年目でまだまだ始めたばかりだと思いますが、経営という仕事は、スポーツと同じで、おそらく実際にやって、いろんな事で悩んで、いろんなところで悩みながら、いろんな意志決定をしながら、それでうまく行く時も有れば、うまく行かない時もある。そして、もう一度、やり直して、と言うような事をコツコツとやっていき、少しずつ上達していくモノなんじゃないかな、と思う。
トップの横顔
ユニクロはフラットで見通しのいい会社だ。広いフロアに、つい立や仕切りがなく、誰もが自分以外の仲間を見渡すことができる。社長や取締役も文字通り、若手社員と机を並べて仕事しているのだ。話題の経営者が舵を取る会社が、昔の市役所のような眺めなので驚いた。

もちろん、ユニクロは市役所ではないので、ジーンズやTシャツ姿の社員ばかりだ。しかも若い。社長以下、役員といっても40代そこそこ。社員の平均年齢は実に28歳という。

だだっ広いフロアに400人ほどの若者がお互いを見渡しつつ仕事をする。まるで一人部屋を持たない大家族が、ひとつ屋根の下に暮らしているような環境だ。家族に隠し事はできないし、兄弟げんかだってある。でも気持ちはひとつ。そんな互いの理解が経営陣を支えているのだろうか。こちらは勝手な想像をしてしまう。

玉塚社長はそのフロア全体を見渡せる中央の奥に机を並べている。取締役と横一線に配置された机。これまたユニクロの経営の形をそのまま表しているようにも見える。

しかし、社内ではいざ知らず、世の中一般に玉塚社長はさぞや男性の妬みを買っていることだろう。慶応出身のラガーマン、背が高くて男前。転身のたびにステップアップして、MBAも取得している。

何より羨まれるのは、創業者・柳井正会長のバックアップのもと、39歳にして3千数百億円企業の経営を任されていることだ。起業して成功でもしない限り、この国ではそんな経験なんて出来ない。もちろん玉塚社長に、経営者として失敗すれば責任を負う覚悟があるのは当然だ。

しかし、だからこそ期待する声も少なくない。これだけ若くして貴重な経験を積んでいる玉塚社長。彼のことを同世代の闘士たちは、成功して欲しいとどこかで祈っている節もある気がする。

彼のように、才能に恵まれ、なおかつ自らそれを磨く努力をした人間が、得難いチャンスを与えられ経験を積む。これは欧米社会でよく見られるエリート教育だ。それが柳井会長の意図するところだったなら、玉塚社長の指名は、日本社会全体に対する問題提起だったのではないか。

社会の構造変化を見通せば、いまこそ経営のエリートが求められていると思う。これまでのように、サラリーマンの階段を数十年かけて上り詰め経営者となるシステムで、競争を勝ち抜く経営のプロが育つのかどうか。玉塚社長の存在は、壮大な日本社会の変革の一端なのかもしれない。

そんな勝手な思いを知ってか知らずか、玉塚社長は愚直なまでにユニクロの大きな夢を語る。オフィスの中には、社員の日常業務の達成目標が、壁にいくつも張り出されていた。身を乗り出して、ますます気迫のこもる眼差しには、試行錯誤をものとも思わぬような若さの力が溢れていた。

(丸川珠代)
記者の目
第二の創業目指す

半年ほど前からファーストリテイリングの動きが急に慌ただしくなってきた。昨年9月に「世界品質宣言」を打ち出したかと思えば、その直後には「ユニクロは、低価格をやめます」という衝撃的なキャッチコピーを新聞の一面広告に掲載。低価格から高品質への路線転換を猛烈にアピールした。さらに、10月には大阪に通常の3倍の売り場面積を誇る大型店「ユニクロプラス」を出店する。

当時はこの一連の動きが、まるでこれまでユニクロが作り上げてきたイメージをあえて打ち崩そうとしているように見えた。事実、ファーストリテイリング社内では、「第二の創業」が始まったとささやかれたという。一体ユニクロに何が起きたのか。

先日行われた2月期中間決算発表の席上。ファーストリテイリングは今年秋にユニクロをアメリカ・ニュージャージー州に出店することを正式に発表した。アメリカといえば、カジュアルの本場。「GAP」など国際的なブランドがひしめく「一番競争が厳しく、難易度の高い市場」(玉塚社長)だ。

その市場に乗り込んで、アメリカのトップ3に食い込み、ユニクロを名実ともにグローバルブランドに育てたいと意気込む。また、将来的にはアメリカでの事業を日本国内と同じ規模にまで拡大したい考えだ。今にして思うと、この半年間は、世界で戦える商品、世界で戦える店舗オペレーションを実験する、言わばアメリカ進出への土台作りの期間だったと言えるのではないか。

その一方で、この半年間の足元の業績はやや不安定だ。昨年8月期決算では3年ぶりの増収増益を果たしたが、一転してこの2月中間期決算では10%近い営業減益となった。昨年10月の既存店売上が大きく伸びたため、「年末年始で一気に拡販しようと増産を決意した」(玉塚社長)が、それが裏目に出た格好となった。暖冬の影響をもろに受け品物が大量に売れ残ってしまったのだ。

玉塚社長は「判断を誤った」と素直に自身のミスを認め、「同じことは二度と繰り返さない」と唇を噛んだ。ただ、そうした中でも高品質を謳った商品施策については、手ごたえを感じていた。新たに投入した温度調節機能を持つフリースや新たに定番となった感のあるカシミヤが予想を上回る好評を得たという。

半年後に迫ったアメリカ進出の先には、「2010年、1兆円企業」という大きな目標を見据えている。玉塚氏が社長に就任して今年で3年目。依然として、創業者・柳井正会長の存在感が色濃く漂う中で、果たして「第二の創業」者になれるのか。今年は玉塚社長にとってまさに正念場の一年となりそうだ。

(経済部 島本光規)
 
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