「支那」は「中国」の蔑称であるという誤解が一般に広まっている。 しかしそれは正しくない。 国語辞典の「大辞林」(三省堂)は以下の説明を付している。
しな【支那】 外国人が中国を呼んだ称。「秦 しん」の転という。中国で仏典を漢訳する際、インドでの呼称を音訳したもの。日本では江戸中期以後、第二次世界大戦末まで称した。
また、明治二十二(1889)年発行の「言海」という国語辞典では「支那」はないが「支那人」という項があり、以下のように「支那」という語の由来を解説している。
シナ-ん (名) |支那人| 〔支那、或ハ、震旦トモ記ス、印度ヨリ稱シタル名ニテ、文物國ノ義ナリと云、舊約全書ニSinoaトアルモ是ナリトゾ、或云、秦 ノ威、胡 ニ震ヒシカバ、其名ヲ印度ニ傳ヘタルナリト〕唐土 ノ人、カラビト。唐人 。
つまり、中国語の「秦」が梵語(サンスクリット語、インドの言葉)に入り、その言葉が仏典によって中国に逆輸入された時、中国人自身が「支那」と音をあてたのである。
従って、「支那」という言葉は、元々中国人の作り出した、まさに中国語なのであって、日本人はその中国語を借りているに過ぎないのである。
なお、「秦」は英語に入るとChinaとなり、現在でも中華人民共和国の正式英語名称はPeople's Republic of Chinaである。
戦前の本を読んでみると、ほとんどの本はChinaのことを「中国」でなく「支那」と書いている。
私は、当時の本を研究すればするほど、日本人は「支那」という言葉を侮蔑の意図をもって使い続けてきたのだとする説への疑念が、どんどん深まっていくのを感じる。
中国を蔑視するような文脈はむしろ少なく、ほとんどはごく普通に、中華民国や中国大陸の通称として使われていたことが、はっきりと読みとれるのである。
我々が「子ども」でなく「子供」と書くことに“差別的意図がある”なんて全く知らなかったのと同じで、当時の人々は、「中国」を「支那」と書くことが“差別表現”だなんて、全く知らなかった。中国を蔑視したくて「支那」と呼んだというよりも、「支那」という名前の方がより一般的だったので使っていた、ただそれだけのことだった。
それでは何故、「支那」という言葉をかように嫌がる中国人が多いのか。
「ガイジン、ガイジン」とからかわれた外人が嫌な思いをするのと同じで、「シナじん、シナじん」とからかわれた中国人も嫌な思いをしたのである。
「外人」も「支那人」も元々は差別用語でなかったけれど、からかいの言葉に悪用するなら人を傷つけることになってしまうのである。
また、日本では中国を公式には王朝名で呼ぶのが慣例であり、清朝時代には日本政府も「清」と呼んでいた。「日支戦争」でなく「日清戦争」という名前はそのためである。
とはいえ、政府という区切りではなく地域・文化的な区切りでは「清」でなく「支那」が使われた。漢民族は「支那人」と呼ばれ、漢民族の言語である中国語は「支那語」と呼ばれていて「清語」とは呼ばれなかった。中国の王朝は同じ民族とは限らなかったから(漢民族だけでなく、モンゴル人の元、満州人の清などあった)、王朝が変わるたびに言語名を変えては大変なことである。この場合は「支那」が使われた。
さて、1912年の辛亥革命で中華民国が樹立した時には、日本は中国を「中華民国」とは呼ぼうとしなかった。(日本政府は台湾の中華民国政府と国交を絶って以降、今でも中華民国政府を「中華民国」と呼ぶことは決してなく、ニュースなどでも通称の「台湾」が専ら使われている。これに少し似ているかもしれない。[しかし台湾という言葉そのものは支那と同じく差別表現ではない])「中国政府」という表現はほとんど見かけず、「支那政府」と呼ぶのが一般的であった。また、中華民国樹立以降〜日中戦争の時期、中国は様々な政権が乱立し内乱状態にあり、中国大陸内の複数政権を区別して呼ぶ必要がある場合は「南京政府」「武漢政府」「重慶政府」(日本の南京占領後の臨時政府は重慶にあった)などと政府所在地で呼ぶこともあった。しかし、政府に依存しない、中国大陸そのものの地理的な呼び名は「支那」であった。
ところで、国の名前を通称や略称ばかりで呼ぶことそのものは、必ずしも差別を意味するわけではない。イングランド・スコットランド・北アイルランドを含む「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」は専ら「イギリス」「イングランド」「英国」と呼ばれてイングランドで代表されている。「ネーデルランド」は日本語で専ら「オランダ」と呼ばれ、「スオミ」は「フィンランド」と呼ばれている。戦前の多くの日本人にとって、中華民国を「支那」と通称で呼ぶのは、それに近いことであった。
話を元に戻そう。この「中華」にはどんな意味があるだろうか。広辞苑(第五版)では以下の通り、
ちゅうか【中華】 クワ
中国で、漢民族が、周囲の文化的におくれた各民族(東夷トウイ・西戎セイジユウ・南蛮ナンバン・北狄ホクテキと呼ぶ)に対して、自らを世界の中央に位置する文化国家であるという意識をもって呼んだ自称。中夏。
また「言海」では
ちゆう-くわ (名) |中華| (一)四方ノ夷狄ニ對シテ、中央ノ開ケタル國。中夏。中國。(二)支那人ノ自國ヲ自稱スル語。
とある。(注目していただきたいのが、「言海」は、明治二十二(1889)年発行で日清戦争(1894-95)や中華民国樹立(1912)よりも以前だが、「中華」や「中国」というのは、中華民国樹立よりも以前から、中国人が自分の国を呼ぶ呼び名だったことがわかる。)
北狄 北方の遊牧民 | ||
西戎 西方の諸民族 | 中華 漢民族 | 東夷 満洲、朝鮮、日本、台湾など |
南蛮 東南アジア |
中国国王に貢ぎ物を贈り、中国の弟分のような存在だった時代の日本でさえ、一般には「中華」とか「中国」と呼ぶことは少なく、王朝名ないしは「唐土(もろこし)」「支那」と呼んでいた。日清戦争に勝利し、そのような立場から脱却しようとしていた日本に対し、自分を世界の中心で優れていて、日本を含めた周辺諸国が野蛮だという印象のある「中華」という言葉で自国を呼ぶよう日本に求めた時、日本はどう感じただろうか。そう、「中華」「中国」は「支那」とは比べ物にならないほど差別的な語源を持つ言葉なのである。
とは言っても、「中華民国」は当時の中国を支配していた政府の正式名称だったことに間違いはない。もともと「支那」という言葉そのものは差別用語ではなかったが、日本政府が正式名称を使わずに専ら通称のみで呼び続けたことが、結局中国政府の心証を悪くしてしまい、また「支那」に差別的な印象を抱かせてしまったらしい。これは残念なことである。
しかし逆に、「中華」「中国」という言葉については、今ではその差別的イメージはすっかり消え去ってしまい、今では中国大陸あるいは中国共産党政府を指す言葉として日本語にしっかり根を下ろしている。言葉のイメージというものは時代によって変わってしまうものである。
一方で「支那」という言葉が使われることは、戦後次第に減っていったが、天気予報で出てくる「東シナ海」とか、「インドシナ半島」、またラーメンの「シナチク」は現在も生き残っており、どれも「支那」のことである。中国人は「支那」という宛字を嫌っているという言い伝え(本当かどうかはわからない)のせいか、最近では「シナ」とカタカナで書き換えられることも多い。もっとも、「支那」と書こうが「シナ」と書こうが、単なる表記の違いに過ぎないというのが私の意見だ。昔「アジア」を「亞細亞」と書いたり「パリ」を「巴里」と書いていたのと同じことである。
最後に、日本は戦前に比べれば中国人差別は格段に減ったけれども、しかし「自分がアジア人である」と思っている日本人も減ってしまったのではなかろうか。戦後の日本は「大東亜共栄圏」よりも「脱亜入欧」だったとは……
【米国記事】 2000年9月20日 11:20 更新
中国系ポータルサイトのSina.comの名称をめぐって論争が起きている。China Youth Dailyによると,在日中国人から,日本での中国に対する蔑称と同じ言葉だとの指摘があり,怒りが広まっているという。Sina.comはNASDAQで株式を公開しているが,中国情報産業省は,正式な調査でこの名称が中国人に対する侮辱あるいは同国の利益に対して有害とみなされた場合はしかるべき措置をとるとしている。一方,Sina.com側は,いくらか苦情が寄せられているが,この名前は「China」と「Sino」を合体したもので中国の蔑称ではなく尊称であると主張している。
最大級ネットが改名拒否
【北京21日清水美和】中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を経営する新浪網公司は二十一日、本紙の取材に対し「シナ(支那)は中国へのべっ称」と一部の学者などから出ていた改名要求を拒否する方針を表明した。「シナは英語のチャイナを語源としており、それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが理由だ。
最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは国辱的だと、日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。北京大学の劉金才教授は「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるようになった。シナは支那と発音が全く同じであり、もし日本で中国のことをシナと呼べば中国人とけんかになる」と名称の再考を促した。
これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。中国の英語名を変える必要がありますか。シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする」と批判を一蹴(いっしゅう)。シナ・ネットにも「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」など同社を支持する意見が寄せられている。
それからね、まあ、これは何の意図もなしにですね、参考に申し上げますけどね、この間面白いことがあった。
あの、中国のね、まああの、代表的なネットワークの会社がね、情報のね、その、ホームページをね、通じて、世界中の人、在外の中国人も含めて情報を流してるわけなんです。
それでこれはナスダックにもね、株式を公開している、大きな会社ですけどね、その中国系ポータルサイトの、何て言うんですかね、こう、アプローチのイニシャルがね、シナなんだ、シナ。
それでね、それを聞いてね、見てね、けしからんと私のことも何か怒った人なんだか僕は知らんけども、日本にいる中国人が何でこういう中国に対するね、蔑称をですね、あえて載せるのかといったらばね、中国情報産業省は正式な調査で回答したの。
これはですね、チャイナ、シナのですね、シナの、要するに、Chinaと、シノSinoを合体したもので、中国への蔑称ではなく、尊称であるそうです。
で、逆に、その抗議した日本にいる中国人がたしなめられたようでありますが、ただ一つの情報としてお知らせいたします。
私は元々これはですね、その日本人だけが支那と言ってはいけない、東シナ海、南シナ海ったって、私が特に使うとけしからんと言われるけどね、これは孫文が作った言葉だとも言う人もいるし、元々まあ外国はそういう言い方してきましたが、まあそれ以上のことは申しませんけども、私は決して蔑称のつもりで使ったわけじゃありませんが、非常に面白いですね事実が判明いたしましたので、念のため皆さんもし、このホームページに興味があったら、ご自分でこの、何て言うのかな、アプローチしてみたらどうですか。
明日から支那の友達と/仲良く暮らしてゆけるのも/兵隊さんのおかげです
……北京の周圍はいまだ戰ひの跡生々しき折なれば、此の度の御赴任は、御主人様のみ御出立の御事かと存じ居候ひしに、日支の共存共榮の理想の實現には、まづ兩國の各個人の家庭同志の親交と理解からとの御主人樣の御意見にて、御おくさまもお子樣もみな御一緒に、はるばると遠きその御地へ、……
日本が中国大陸に進出した時、中国人と少なからぬ摩擦が生じたのは事実であり、最終的には当時大東亜戦争と呼ばれたいくさへと発展する悲劇を生む事になった。上の二つはどちらも「日支事変」つまり日中戦争最中のものである。
当時の日本人は中国人に関し「暴支膺懲(暴虐な支那を懲らしめろ)」ばかりを主張していたわけではない。中国ゲリラに当時多くの日本人が虐殺されたことや、アメリカやイギリスは「鬼畜米英」扱いだったことを考えると、たとえ「大東亜共栄圏」「五族協和(五族=日朝満蒙漢)」が為政者にとって大陸政策の大義名分に過ぎなかったにしても、戦争中の敵国人のことをこう好意的に言っていたのは、かえって気味が悪いくらいである。
もちろん、中国大陸に「日本式の政治」を押しつけるという“小さな親切”は中国人にとって“大きな御世話”に他ならず、日本の中国支配は失敗に終わった。しかし、この「五族協和」や「日支共存共栄」が単なる幻に終わったかというと、民間レベルでは必ずしもそうは言えないような気がする。当時の日本人は、我々が思っていたよりも、中国人との親密な交流があったのではないだろうか。私はそう考える。
中国(広く用いられる)・中華民国(1912年樹立、第二次世界大戦後共産党軍との内乱に破れ、台湾に逃れて臨時政府を置き、現在に至る。台湾は実際には中国大陸の中華人民共和国と分裂した、中華民国という国だが、大陸側は中華民国政府を認めていない)・中華人民共和国(1949年樹立、漢民族[かつて支那人とも呼ばれた]をはじめ満洲・蒙古・チベット等の多民族を抱える共産主義国家)・中共(中華人民共和国または中国共産主義[Communist China]の略とされる。日本を日帝[日本帝国主義]と呼ぶのに似て、共産党政府に対する否定的なイメージもある言葉かもしれない。中華人民共和国樹立以後、日中国交回復までの間、台湾の国民党政府と異なる、大陸の共産党政府を表すのにこの語が用いられた。中国共産党の略としても用いられる)・中華(中華料理・中華そば・中華鍋など料理用語に多い)・支那、シナ(支那そば・東シナ海・インドシナ・シナチクなど。シノワズリ[中国趣味]は仏語に由来、仏語で中国はChine。チノパンのチノも中国。英語でChino-あるいはSino-を語頭に持つ語は中国に関係あり、支那学は英語でSinologyと呼ばれ、日清戦争や日中戦争はSino-Japanese Warと呼ばれる)・チャイナ(チャイナタウン・チャイナドレスなど英語からの借用語に多い)・漢(漢字、漢語など)・契丹[キタイ・カセイ](キャセイパシフィック航空など)・唐土[もろこし](「諸越(中国の越の国)」の訓読が語源)・唐(唐辛子・唐茄子など。必ずしも厳密に中国を意味せず単に外来品の意味で使われることも)