移植学会等の見解に反論する(3)
米フロリダ大学移植外科医・藤田士朗准教授から
第3回「修復腎移植を考える超党派の会」
会合報告
(続きです)
(相川)日本臨床移植学会から参りました相川です。私は厚労省調査班の班長として病腎移植の摘出側の問題として御話し致します。腎動脈瘤というのは破裂する因子とは・・・大きいもの、石灰化がもの、嚢状(袋状)で無いもの、高血圧、妊娠中こういう物が破裂する危険性があります。ところが摘出されている物には2cm以下が2例ありますけど、一つは嚢状石灰化でまず破裂する危険が無い腎動脈瘤を腎臓と一緒に摘出してしまいました。普通、我々は動脈瘤を処理して動脈瘤をほぼ取って移植しますが・・・そのまま移植しました。
(まず、相川先生の施設で、そして、日本の他のすべての施設で、腎動脈瘤の症例のすべてがそのような手術をされているという証拠を見せていただきたい。一例も腎臓全摘出がされていない事を証明していただきたい。万波医師の症例は高血圧や日頃のミカン畑(急な斜面を上り下りする)での作業など、破裂を誘発する生活環境にあったことが、治療を進める要因となっていた。このような個人のおかれた生活環境まで考慮して治療を行うのが、実地医療。教科書の上での知識だけで治療方針を決めるのであれば、医師はいらない。)
そのまま移植したんだったらそのまま患者さんに残しておけば良いのと言う話しになってしまいます。これメッシュ???というので被ってあります。これは布状のものです。それを動脈の瘤の前に被ったと・・・被うだったら患者さんに被うってあげなさいと。移植した患者さんに被う必要はありません。何もその患者さんから摘出する必要無いんです。
(レシピエントには破裂のリスクが無くなるという利点があり、ドナーには、破裂のリスクを負う代わりに、透析から離脱できるという利点をもたらす。具体的には、この腎臓動脈瘤の症例は、バックテーブルで修復しようと試みたが、動脈瘤が腎臓のかなり内部に存在し、修復が不可能であった。無理矢理修復すれば移植には使えなくなる可能性があった。ここで、腎臓を破棄するか、それとも危険を覚悟で植えるかという事になるが、これまでの経験から、移植された腎臓の周りには強い繊維化が起こるので、破裂の危険は、ドナーの中にある時よりも少ないであろうと考えられたため、移植する事とした。しかし、そのまま植えるよりは、少しでも破裂を防ぐようにとの配慮から、腎臓動脈の周りをメッシュで多い移植した。移植を良く知っている実地医師としてのリーズナブルな考えと思われる。 詳しくは万波誠、簾介、光畑、西先生よりの説明を求めたい。)
だってそのまま植えちゃっているわけですか。もう一つは小さい物で、この患者さんは残念ながら入院中の計画書に生体腎移植のため入院と記載があるんです。
(このことに関しては、資料なし。 詳しくは万波誠、簾介、光畑、西先生よりの説明を求めたい。だが、患者が摘出した腎臓の提供を承諾していたのであれば、特に問題があるとは思えない。)
始から移植のために腎摘出が行なわれる事を決めていたんじゃないかと疑いが非常に強いです。我々はやはり治療上摘出する必要の無い腎臓を移植のために摘出してしまったではないかと?その様に心配している訳です。次の動脈瘤とはこの様に補修するんですね。動脈瘤は瘤があります。その瘤を取って縫ったり血管を縫って破裂しないようにするんです。普通はこの様にやって移植をするのであれば、まだしも・・・それをやらないで、そのままやってしましたのです。そう言う事であれば摘出しなくてもよいと言う事です。
(移植後の腎臓周囲は本当に繊維化が来て、破裂の危険が少なくなるのは事実である。移植術後数ヶ月後に腎臓を摘出し無ければならない症例があるが、その場合、腎門部(動脈、静脈、尿管などがある中枢部)はガチガチで剥離は困難。多くの場合、腎臓の皮膜下での、腎臓実質のみの切除を行うのが標準医療である。)
もう一つ問題点はこの患者さんなんですけれども、この下大静脈と大きな静脈があります。全身の静脈が帰ってきて心臓に返す静脈です。これを鉗子でかけてカッチと取っています。壁を取っています。だから埋め込んでいるんでしょうね。手術記録も残っているんですけれども狭くなっちゃってます。
(このことに関しては、資料なし。 詳しくは万波誠、簾介、光畑、西先生よりの説明を求めたい。だが、摘出した腎臓を移植に使用する事を患者が承諾している場合は、大静脈に鉗子をかけて取る事に特に問題を認めない上、実際には、より安全であり、我々も同様に手術を行っている。糸で縛る方法は左腎臓の場合はいいが、右の腎臓の場合、スリップして大出血する可能性があり、危険性が高い。(ハワード先生もそのような経験があり、必ず、鉗子をかけるとコメントしている。)私自身も極端に腎臓静脈が細く、くくるのが容易な症例を除いては、鉗子をかけてから、切除するように心がけている。血管外科の手術手技としての常識である。)
大きな静脈を・・・普通はこの様にやります。亡くなった方からは下大静脈の壁を取ってやりますよ。移植がやり易いから・・・だけど生きている方からやりません。この様に糸で縛って切り取るだけです。だから彼等は移植をやり易いような手術法をその患者さんの病気と関係無い方法で摘出したという事です。
(肝臓のドミノ移植の場合、治療を受けるべき(そして、また次の患者さんの為に臓器を提供する)FAP患者さん自身の肝臓動脈と門脈は、本来の治療の時とは違う場所で切断されている。つまり、FAP患者さん自身の治療のためであれば、肝臓動脈、門脈は肝臓のすぐ近くで切断するのが、本来であるが、ドナー肝臓として摘出をするため、もっと中枢側の十二指腸上部で切断する事になる。これは、上に述べられている手技と全く同じ事情である事をどう説明するのか。)
石灰化腎については先ほど寺岡先生から話しがありますので、これはいいと思います。この家族の方は非常に怒っておりまして当時の厚生労働大臣に抗議文が送られております。これは京都大学の泌尿器科の先生から手術の術???について同時にこれが講義文に付いて送られております。次のスライド・・・腎血管性筋脂肪腫という良性の病気がありますが両方に出る場合があります。普通、我々は最近では両方手術する事はありません。普通は部分切除。インターベーションと書いてあるのは血管の中に管を入れて腫瘍の部分に物を詰めるということなんです。だから手術する必要の無い症例が多いんですね。手術しても摘出した後に(じか)腎移植出来るんです。ところがこの患者さんは、この事について説明をされていないですね。(りょうそく)の腫瘍を一度にやっちゃったものだから・・・普通これは一つ一つやらなければならないといけない。やるのであれば。一緒にやっちゃったので一時的にこの患者さん透析になっちゃっているのです。透析やって元に戻っていますけど非常に危ない事ですね(注)。
注:(万波簾介医師の症例450歳代男性の両側血管筋脂肪腫の症例で、後輩の泌尿器科医に私が手術を頼まれました。CT、レントゲン写真をみさせていただき、相談にのらせていただきました。右側は巨大な腫瘍でしたので取ることになる可能性が高いと話し、もし取った場合修理して移植に使ってもいいかなど、全ての想定される局面について、つぶさに患者に先生から話しておいて欲しいと依頼しました。
後日、主治医より全ての可能性について話し書面で了承を得たという連絡があったので手術することにした。まず左をし(部分切除と思われる)、我ながらうまく出来ましたので右に取りかかりました。右腎及び腫瘍を血管、尿管をつけてうまく創外に出し、主治医及び泌尿器科医によくみえるようにした。ここで、主治医にどうするか決めていただきました。私の意見をもとめられましたので、「部分切除は可能だが、術後出血して再手術の可能性はあると思う」と申しあげました。見学しておられた先生は、腎摘以外の選択肢はないと申されました。最終的に主治医が摘出してくれと言われたので、摘出した後還流し、他院で腫瘍を取って整理後移植しました。レシピエントは、クレアチニン0.7~0.9で元気に退院し、社会復帰しました。)
尿管狭窄等も先ほど寺岡先生がおっしゃいましたけど、この患者さん直腸癌の手術で誤って尿管切っちゃったんですね。外科の先生が。その時にオシッコが漏れちゃった。それで腎臓の摘出がやっちゃった方がいいだろうと腎臓提供する様にと・・・。その人は直腸癌の手術できたわけで腎臓摘出するために来たわけじゃないですよ。それで奥さんは物凄く怒りました!ふざけるなと!ところが本人が入院期間2ヶ月もオシッコ漏れ漏れで如何し様にないという事で最後は承諾しましたけれど・・・これはやはり問題です。その様な方に腎臓頂戴と言ったわけですね。この場合も(じか)腎移植、その腎臓を戻してやって移植をすればいいです。腎機能が戻るのです。どうしてその事をやってあげないのか非常に残念な事です。
(相川先生の施設で、同様の症例で自家腎臓移植をされた症例をすべて、文章で報告していただきたい。また、同様の症例で腎臓を摘出された事が無い事を証明していただきたい。
これは、万波簾介先生の症例と思われる。(症例1)
約10年前、60歳代男性の左尿管が壊死、腎摘してその腎を移植した。ある病院で、早期直腸癌で手術を受けた。手術後、どういうトラブルがあったかは知らないが、この病院にパートで出入りしている先輩の泌尿科医より「尿がキズからもれて困っている。カテーテルを使用し、いろいろやってみたがダメだ。次は、開腹手術して、修復する以外ないので、一緒にやってくれ」と頼まれた。
X‐P(レントゲン写真)などみさせてもらい、先輩に「尿管が壊死になっている可能性があり、うまく尿管瑞々吻合は出来ないかもしれん」と告げた。
「色々経過があるので、お前が今後、前面に出てやって欲しい。ダメなときは、そのとき次の手を考えよう」と言われたので、やってみることにした。
お腹を開けると、後腹膜腔がガチガチで尿管をみつけることが出来ないので、上方目を転じ腎のところで腎盂を出し、これより下方に剥離をすすめた。下方に行くほど、尿管は白っぽく血が通ってないのがわかた。膀胱側でも尿管を探しだし、上方に剥離し、やっと尿管内にステントカテーテルを留置することが出来た。
手術後、患者及び家族に「やってみたが、一応つないだものの又尿がもれるだろう。尿管が壊死に陥っているので、根本的に考え方を変える必要がある。小腸で尿管を作る方法、自家腎移植の方法、腎摘する方法の3つが考えられる」と説明した。図を書いて、それぞれの利害得失について詳しく話して、決めて欲しいと説明した。
後日、「全て、あなたに任す。しかし、この病院では手術はしない。岡山協立病院でして欲しい。手術法は、腎摘にして欲しい」と言ってこられた。
「腎を捨てるのはしのびない。透析中の人にあげたらどうか、人助けと思うがな」と私が話した。
患者及び家族は喜んで「OK」と言われた。
腎摘をし、環流をし、4℃に冷やし、市立宇和島病院に運び、25年前後透析をしている人に移植したのである。
患者は尿もれから開放され、元気に退院し、移植された人は、透析から解放された。
後ほど「あなたのお陰で、一人の人が透析から開放され、元気でやっている」と告げると、とても喜んでくれた。
私の経験では、長い医師生活には、腎摘もせざるを得ない場面に出くわすものである。このとき腎を捨てるのではなく、移植して他の患者を救うことが医師として正しい選択と考えている。)
皆さん、これが問題だと思います。腎臓の癌です、腎臓の癌で大きさが4cm以下で被膜という浸潤のないところの癌はやってもいいのではと議論が出ています。この様な癌は部分切除すればいいんですよ。その患者さんの。それ全部切除するのが当たり前と言っていますが、そんな事はありません。腎機能を温存するという事は第一の問題です。その患者さんの腎機能を守る事が第一の問題です。慢性腎臓病対策で厚生労働省で3年前から行なわれますけど、これも一環としてどうしても必要。最近の大学では内視鏡でこれやっているんですよ。部分切除。内視鏡の手術でもこの手術行なわれているんですよ。大学で。だから50歳代以上のロートルの泌尿器科医は知りませんけど40歳代から50歳代の泌尿器科の専門医であれば先ほど高原先生が言った様に部分切除です。全て取るなんで今の普通の泌尿器科の経験のある先生であればやりません。
(
それでは手術の術式について御話し致します。癌の手術とは最初に血管を縛るんです。最初に縛らないと癌細胞が血管の中からぬけて何処かいってしまうから転移してしまうから危ない。でも腎臓の摘出術、腎臓の摘出では腎臓の細胞を活かさないといけないから最後に血管を縛るんです。だから決定的に手術の方法が違うんです。もし、ここに居られる皆さんが自分が実際に癌になった場合に『癌の標準的な手術をしますか?それとも先ほど言った様に下大壁を取られちゃうかもしれないけど再手術になるかもしれないけど腎臓をパッと取ってしまうけどやりますか?』と説明されたら皆さんどう答えますか?『先生やめてよ!自分が癌だったら癌の標準的な手術をしますか?それとも腎臓の再手術(腎臓をぱっと取っている手術)をやりますか?ときちんと話をされたら、自分が癌だったら、癌の手術をしてもらうに決まっているじゃないですか。透析で苦しんでいる人のために私は癌の治療をしなくて結構ですと言う人がいますか?これは問題だと思います。
(相川先生のところですべての症例でされているという部分切除の場合は、もちろん、血管を最初にクランプされているのであろうか、癌が飛ばないように。(こんな事はありえない。)相川先生より、ご返答いただきたい。)
市立宇和島病院の腎臓移植提供者の生存率、3年で1/4の方は死んでいるのです。???で4割の方は死んでいるのです。もし、ちゃんと癌の手術をしていたら助かっていたかもしれないのです。
(癌の再発で死亡した症例は尿管癌の1例を除いて確認されていない。)
実際尿管癌の患者さんなんて半年で亡くなっているのです。非常に危惧されるところだと思います。皆さんは腎臓捨てるからいいじゃないか、と思うかもしれないですが、捨てるのではないのです。腎臓というものを調べないといけない。特に尿管癌の場合はあちこち飛ぶので他に何かないかあちこち調べないといけない。血管やリンパ管等、癌がどこまでいっているのか、そういうことを調べないと治療法を決められないのに、この亡くなった患者さんには???をやっていないのです。提供者を大切にしない移植は望ましい移植ではなく、移植者が助かっても提供する人がひどい目にあわされたのでは医療として成り立たないというのが私の意見です。できれば死体腎移植を推進したい。
以上です。
(続きます)
by hiroyuki
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