<< 2008年04月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

移植学会等の見解に反論する(4)

2008/04/23 22:00

 



移植学会等の見解に反論する(4)
米フロリダ大学移植外科医・藤田士朗准教授から


第3回「修復腎移植を考える超党派の会」
会合報告





(続きです)




(両角)
では続きまして、腎臓学会の方から両角です。

ネフローゼ症候群の報告をします。ネフローゼ症候群、腎臓病です。蛋白の???の腎臓病で血中の蛋白が減る度に 非常にむくみがでます。大変つらい病気です。
一時性二次性と分裂するのですが、色んな治療法があります。その中でもう治療法が決まっています。よく治療に反応する人、難しい治療が要るな人、色んなセットがありますが、きちっとした治療を行いますとかなりの方はきちっと治療できます。その前にとても大切なことはどのタイプのネフローゼなのかということを診断すること、この人にはどの治療が効くかということを決めることです。それを行いますとかなりちゃんとした資料ができます。これは患者さんと一緒に根気よくやればかなり良くなります。


次に腎臓内科医の???です。泌尿器科医の疾患ではありません。泌尿器科医と腎臓内科医は似ていると思われますが違います。腎尿路の閉塞、???腫瘍とか???として扱われるのが泌尿器科であり腎臓内科医は腎炎ネフローゼ膠原病、色んなものを扱います。教育もトレーニングも全然違います。従いまして、難しい病気、難治性のネフローゼ症候群等に関しましては腎臓内科医の能力がないと解決されません。この、難治性のネフローゼ症候群の患者さんから今回腎臓が摘出されました。


ところが、難治性ネフローゼ症候群には2つの背景があります。1つは本当に難治性ネフローゼ症候群です。これは大変に難しい病気ですが、先程に私がお話しようと思ったのは、この疾患に対して色んな治療法を駆使して良くしていくのです。もう一つ側面がございます。それは偽りの難治性ネフローゼ症候群なのです。通常は難治性と診断するためには2~3ヶ月以上の治療をしっかり行って色んなことをやってもうまくいかないときに難治性と考えます。ところが正確に診断してベストな治療を選ばない、もしくは不十分な量十分な期間を治療しないで難治性と決めてしまうことは偽りのネフローゼ症候群ということになります。


これが難波先生の論文で???の万波病というものの本体です。専門医へのコンサルテーションが不可欠です。したがって、難治性のネフローゼ症候群というものはたいへん辛い病気ですが、かなりちゃんとやれば治療はできます。

(両角先生の施設では、すべてのネフローゼの患者さんが、内科的治療で治り、腎臓機能を廃絶させる必要があった症例は一例も無かったという事を文章で報告していただきたい。)


もし良好な腎臓を両方持っている段階で腎臓を取りますと両方腎臓を取りますからその瞬間に患者さんは尿毒症の患者さんで???透析療法をしなくてはならない患者さんとなってしまう訳です。幾つか、難治性ネフローゼ症候群の末期に腎摘をしたと論文がありますが、全部腎機能が下がった上で生命を維持するもしくは???ということで、腎機能が良い人から腎臓を取るということは治療放棄です。


さらに大切なことは、両側腎摘は末期腎???を作ってしまったことだけではなくして、実はその患者さんはその後で移植を受けることがあるわけですけれども、移植後にこの病気は再発する可能性が高いのです。

(ネフローゼの患者さんも移植の適応である。すべての腎臓疾患は移植で再発する可能性があり、例えば、糖尿病性腎症は100%再発するとされています。それでも、移植を行います。)


再発すると50%以上、もらった腎臓が???で失われてしまうのです。もしも、本当にそんな治療をするのか、ということについてどれほど充分な説明をしても充分ということはないのです。そういったプロセスが敷かれていなければありえない訳です。したがってこの件に関しては誰も認めていないので、1例もないのです。しかもこれで成績が良かったならまだしも、ひどいのです。4例から提供された8例中2例は機能しません。25%発現しないのです。通常は99%発現します。8例中3例は死亡で、4例は機能していません。50%の正着です。同時期の生体間移植も10年の死亡率は5%未満で5年の正着率は90%です。さらに提供した人まで死んでしまっているのです。


10年以上経った患者さんの提供された、ドナーの方を見ていても1%ちょっとしか亡くなっていないのです。これはとても???レベルではないと思います。実験的治療だから治療だから???されるというご意見もございますが、治療の方ではありえません。両側腎臓がなくなった患者さんは透析しなければ一週間で亡くなってしまうのです。ネフローゼは再発する可能性が高いのです。しかも植えられた腎臓はもらった人の中でまだ病気を継続させる可能性が高いのです。宇和島だけの???ではありえません。


最後ですが、ネフローゼ症候群の両側腎を摘出する移植に使用する、これは出発点から、ありえないことです。これは世界中どこでも同じだと思います。


(以下の文献に示されるように、世界中どこでも同じでは無いようです。

European Best Practice Guidelines for Renal Transplantation
Bilateral nephrectomy (両腎摘出)of the native kidneys is recommended (推奨される)in cases of massive vesico-ureteric felux independent of infection, severe uncontrolled hypertension, risk of malignancy (Densy-Drash syndrome, isolated diffuse mesangial sclerosis or the presence of severe proteinuria(高度の蛋白尿). Nephrol Dia Transpl 17 (supple.4): 55-58, 2002

New Aspects of the Treatment of Nephrotic Syndrome
Even today, renal ablation (by embolization or surgical removal of the kidneys(外科的に腎臓を取ってしまうこと)) and subsequent chronic dialysis treatment may be the only feasible way to protect patients from the consequences of severe proteinuria(高度の蛋白尿).  J Am Soc Nephrol 12:S44-S47, 2001)

腎臓病に関っている医者の使命は重度の患者さんを救うことであり、進行を遅くすることです。間違っても自分勝手の???をつくることではありません。



(渡辺)
福島医大、渡辺と申します。

私は腎臓学会の立場で、宇和島の学会での理論の結果をご説明するのが立場だと思っております。立場をはっきりさせるために、私は腎臓内科医です。今までの先生方のお話で???の事例に関する効果の話をされたと思うのですが、私は特に理論的な背景として、万波先生たちの病腎移植を養護するようなかたちで論文が幾つか出されておりますし、宇和島徳洲会の報告書に附属資料として出されてます。この論文を書かれているの難波先生は広島大学名誉教授で病理の先生です。養護する方の理論的背景についてコメントと、自分の立場から述べたいと思います。


この論文の中、報告書の中のレストア腎移植の病理的根拠というのは、そもそも病気というのは人体と臓器の不釣合い、質的な変化なのです。背の高い人も低い人もいるでしょう。だから腎臓の病気というのは質的な変化であり、品質ではないのだから病気を治す、腎臓の中の病気を???にすれば移植可能なんだという論理があります。通常はそう言えますが病気というものはそういう病気だけではありません。医学の歴史から、外からの異物、感染症や???症というものは内部に発生していますが、人体から見れば外為的なのです。こういう概念が無視されているのかはわかりせんが「病気」を全部一般化して「病気」としているのです。そうしますと、こういうものを移植すると、悪性腫瘍だとか感染症が人体そのものを攻撃すると指摘されています。病気腎のレシピエントが害為的になる恐れがあります。今回の感染症、B型肝炎、癌の移植はまさにこれにあたります。


次に、両角先生もお話されたように、万波病、これは特殊なんだ、今まではネフローゼの移植は無い。


なぜならば、この移植は特殊でネフローゼは特殊なんだ、その根拠は蛋白尿が高度なのに他の腎機能を防いでいる、これが不思議だとありますが、そんなことはありません。ネフローゼは普通こういう病気です。腎機能は???では正常です。それから、特殊なネフローゼは稀で、今まで移植の前例がないのはそういう発想がなかったから。地理的に四国に非常に集まっている。だから特殊な病気なんです。これは移植機関と発病患者さんの住んでいる地域が同じだということだけであります。非常に特殊な免疫病?なのだから、先程の論理でもとに戻してやれば調和がとれて良いと、いうことです。蛋白尿が高度で腎機能が正常だと普通のネフローゼで???。そして、地理的な根拠もありませんし、科学的な根拠もまったくありません。医学的裏づけがまったくないのです。したがって今、色んな調査結果がでており検証されていると思いますが、それでも、正しいとおっしゃるのであれば公開の場で病理医学的討論をすればよろしいのです。それは我々病理学学会でも報告の場を提供します。必要なことです。


それから実験療論に対する論理的・倫理的批判がございますが、難波先生の実験的療論とは先程申し上げましたけど、悪性腫瘍のネフローゼのドナーの腎移植は???でやっていませんから、実験療論だとは認められない。この論文に実験医療、論理的手続きは一切出ておりません。実験医療はポジティブな結果が何より大事です。結果がすべてで、成功したから許される、というのはそれはおかしな話です。こういう初めての医療というのは過去に医学の歴史上どれだけ人権侵害があったか。これは戦争中の問題もあります。なので、人類は国内外の倫理規定というものを持っているのです。今回の摘出に関しましてはドナーの治療が目的とあるべきであって、インフォームドコンセントはとられているのか、これは書面でとられているかどうか。実験???は科学的根拠が???で成功しているかどうか、またポジティブだから良いというわけではなくネガティブな結果も繰り返さない為に公表するべきだ。


ですから、今回の腎移植は人権の擁護と臨床のルールに反している。結果は科学的な検証を受けるべきだ。日本腎臓学会の病気腎移植の特別調査委員会の結論は今回のネフローゼに関して言えば、医学的にも倫理的にも大きな問題がある。従って容認できない。


ただし、移植を待っている患者さんがいらっしゃるわけですので、健腎移植が本筋であるが少ないということを認める。将来的にこの問題が病腎移植を含めたドナー腎の適用拡大を考えるのであれば、予め計画、考えをオープンにして、臨床研究をすべて事前にオープンにしないと結果が新しいものとして認められません。



学会も社会でも結果がポジティブでもネガティブでもすべてオープンにしてさらすという議論をしていただきたい。腎臓学会もそれに積極的に参加する必要があると思います。


(難波先生のこの点に関しては、現在の所、僕も意見を異としますが、いずれにせよ、この15年を超える修復腎臓移植の中で、4例しかなかったもので修復腎臓移植の中でも特殊な問題と考えられ、これは、もっと詳しい検討してみないと分からない問題で今後の課題と思われる。)



今までの見解発表は、学会幹部の方々の言いたい放題でした。
これから以下、議員連盟の先生方からの質問です。

長くはなりますが、これから大事な質問を国会議員の先生方がされています。

どうか最後までご覧下さい。




(衛藤議員)
今日なかなか時間が無いですが、古川先生から総括的な質問をお願いします。


(古川議員)
今の話で、1、修復腎移植の一般論の問題点、2、万波氏の行った移植に関する論点、過去に万波氏が腎移植を行ってきた問題と、これからそれをどう考えていけばいいのか、という4つの次元に区分けして考えていきたい。

どんなに正しい、科学的に裏付けられた根拠のある医療であっても患者さんのインフォームドコンセントを得てやらないとこれは専断的医療行為とされて、認められない。逆に言えばどんなにガイドラインが現在あっても、エビデンスによって標準視された治療法というのはそれ自体が臨床現場で強制されるものではない、あくまでもそれにのっとって行う注意義務である。そこで患者の個別な特殊な事情がある場合には、???で充分認められる価値がある。

そういう意味からいうと第一点として、万波氏の医療行為は、通常の診療の臨床を外れていて、違法があると考えらえますが、しかし、インフォームドコンセントの問題もある。それは我々ここで議論しても確定できない。最終的には今までの是非の議論はここにあるとしてそれとは別に本来であればどういう解決手続を行わなければならないか、人数???裁判所の審理の中で適用があったかがきちんとされるのであって、現在、法的な状況に無いということになれば、ある意味、どうするべきであったのか、という概念論になっていますが、どうするべきであったのかというのは「しなきゃいけない」ということとは別ですから、そういうものが現在の万波氏を制裁するような形で表現できるかといえばそうでもない。

もう一つ、先程、犯罪である、とおっしゃった先生がいらっしゃいましたが、そうであれば先生方は独立行政法人の職員であると思いますが、???をたどってみないとわかりませんが、刑事訴訟法上の告発現場を追う形ではないかと思います。

そうすると、ケイスイ事件として取り上げられるには告発しなければならない、という義務も問われることになると思います。そうなると先生方が責任を問われることになります。ですから、そういう観点としてはどうか、それで何故おやりにならない、となると法的手続きに乗るわけです。 

もう一点、臨床の内容について、万波医師が実験的医療だと言ってますが今まで実地医療でやってきたということがあります

研究としてやった功績がない。臨床研究に関する倫理誌を今出されてますが、実地医療ではもう適用がありません。???であくまで研究的な医療行為に関する???になりまして、実地医療には適用がない。ご存知のように???で発表したと言って癌の治療法について民間療法がいっぱいあってそれは現在の法的状況では規制できないのです。

そういう状況がありますので、実際の???について過去に遡って言うのはどうか?私は実地医療でやった場合に適用が無いだろうと残念ながら申し上げます。それだけが問題であります。

今後どうすればいいかということになりますと、基本的にも、民事的にも違法な行為だと確定・合意されればやるべきでないし、非常に限られた枠組みの中でやるべきでなないかと思うのですが、修復腎移植が臨床研究としても厚労省の見解でておりまして、先生方のご意見を伺った上で規定されていると聞きましたが、癌腫瘍については適用が無いと、臨床研究にしても適用を認めないと伺ったのですが、それは本当かどうかわからないのです

が、???がある、少なくともエビデンスの取り方として、強く行わないことを勧告できる、というレベルのエビデンスをしない。ABCから、エビデンスは1~6の分類になりまして、それからA~Dまでの勧告があると思います。

行うべきである。強く勧告される、行うと勧めるべき根拠が無い、行わないべきである、行わないべきだというだけの、例えばトライアルで両方を比較して明らかに悪いと、それもコントロールされている。???そういう意味で言うとレベルは6かもしれません。専門家としてある見解がでていて、何人かの方が???そういう状況で、完全に臨床研究として認めないと言えるのかどうか、否定できるというレベルにあるのかどうか、それについては、直接的意義があると思うので、臨床研究についてやるという前提でこれは厳密に先生方も学会で会議を行われるとかあると思います。


今後私も勿論総合的な腎移植の推進は心から願っているのですが、この枠組みの中で国民的な議論を促す意味からも適用を厳格にした上で修復腎移植のあり方をご検討いただきたい。良くなったという方もたくさんいらっしゃいますので、私以外の認識の先生もいらっしゃいますのでお考えいただきたい。



(平沢議員)
ちょっといいですか。

今の関連で、先程から???から始まって、必要の無いものを摘出されたと言われて提供者の生存率が低いと言われた中で、高原先生が犯罪だとおっしゃいましたが、犯罪であるならば告発する義務があるわけです。

私の後ろに厚労省の役人がいますけれども、役人に何回も聞いたのです。何故告発しないのかと。それに対して厚労省からはまともな返事が返ってこないのです。もし犯罪の疑いがあれば、告発する義務があるのだから行政がまずいと思うのならストップしなければならない。そのためには刑事手続にのっとってやるのが筋であって、それを一切しないというのは厚労省も何故やらないのか、学会も何故やらないのか、それを犯罪だって断定されるのなら当然やるべきなのです。

それは何故なのですか教えてください。



(国会議員の方々の質問を引き続き掲載します)







「移植への理解を求める会」からのお知らせ

4月26日(土)・松山で

レストア腎移植を考える会


http://hiro110732.iza.ne.jp/blog/entry/547996/



ぜひ多くの方のご参加をお待ちしています。






カテゴリ: リビング  > 健康    フォルダ: 「修復腎移植を考える超党派の会」検証報告   このエントリをイザ!ブックマークに追加 (0 user)

コメント(0)  |  トラックバック(0)

 
 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://hiro110732.iza.ne.jp/blog/trackback/552789

トラックバック(0)