三十年ほど前、高松市で大学生活を送っていたとき、玉野市宇野と一時間で結ぶ宇高連絡船によく乗った。山岳部だったので夏は長野・富山県にそびえる北アルプスへ登った。山頂で関東の人から「どこから来たのですか」と聞かれ「四国です」と答えると「へえー、海の向こうですか」と驚かれた。四国は島か海外のイメージだった。
帰りに再び連絡船に乗る。船尾デッキにうどん販売所があった。あるとき、一人店員のおばさんは殺到する客にあわて、注文したうどんを私が受け取ったとき、おつりの十円をポチャとどんぶりに落とした。十円はめんの上にのり、沈んでいない。おばさんはさっと拾い「はい」と渡したのだ。その速さと勢いに、交換してくれと言いそびれ空腹もあって食べてしまった。そんなハプニングもあったが、四国へ渡る味だった。
社会人となり、夜汽車で北海道へ行ったことがある。青森と函館を四時間近くで結ぶ青函連絡船に乗ると、船内レストランに海峡ラーメンがあった。旅情が高まり、ワカメまでがおいしく感じた。
今年はいずれの連絡船も廃止二十年となる。瀬戸大橋、青函トンネルができ、四国も北海道も陸続きだ。当然、あの海の上で食べたうどんとラーメンはなくなった。だが、不思議と記憶に残っているのはなぜなのか。それは旅の要素が加わっていたからではないか。旅行中の駅弁はどれを食べてもうまい。十六日は「旅の日」という。旅と味には深い関係があると二十年たって思う。
(地域活動部・赤田貞治)