定例の府常任委員会、われわれは「ソ連崩壊」をどう見たか
今日は朝から定例の府常任委員会。今日は橋下府知事の「財政再建プログラム試案」がいよいよ議論になってくる大阪府政と、平松市長の下で「オール与党市政」が復活しつつある大阪市政の問題について集中的な議論。府議団、市議団も交えて意見交換しました。同時に、先日開催された全国都道府県委員長会議を踏まえて、5月の党建設、とりわけ「しんぶん赤旗」読者陣地の前進をいかにひらくかについて議論し、指導と活動の強化方向を確認しました。
さて、昨日も触れましたが、不破さんが出演したテレビ朝日系「サンデープロジェクト」。私は「しんぶん赤旗」紙面上で見ただけですが、なかなか面白いやりとりになったようです。不破さんは田原総一朗氏から1989年のベルリンの壁の崩壊や91年のソ連崩壊で「共産党はダメだと、社会主義はダメだといわれる時代がきたんですが、どう見ますか」と問われて、「歴史の妨害物がなくなった、社会主義の看板で逆のことをするものがなくなった。本当にそういう気持ちでした。だから、その日の記者会見で『歴史的巨悪の崩壊だ』といって歓迎の話をした」ことを紹介しています。
これは、実際に私のように80年代以降の日本共産党や民青同盟の運動に現場でかかわってきたものにとっては実感です。1980年代は79年末のソ連軍によるアフガニスタンへの軍事介入によって幕が開きました。本来「民族自決権」の擁護者でなければならないはずの「社会主義」国が軍隊を送り、武力でアフガニスタンの政治に介入したのです。83年9月1日には大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯したことを理由に、ソ連の戦闘機により撃墜される「大韓航空機撃墜事件」が起ります。「領空侵犯」を理由に民間航空機を撃墜するなどということは言語道断の事態です。
日本共産党は世界の共産党の中で、ソ連のスターリン・ブレジネフ型の大国主義・覇権主義の体制とも、毛沢東時代の中国の「文化大革命」など社会主義とはまったく無縁の暴力と人権抑圧の極「左」冒険主義とも、真っ向からたたかい抜いてきた、ほぼ唯一の党です。北朝鮮との関係では80年代にラングーン爆弾テロ事件、公海上の日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破テロ事件など、北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして、きびしい批判をくわえてきました。そのために、日本共産党と北朝鮮の関係は、83年から今日まで、断絶したままです。
私たちが国際舞台でソ連や中国、北朝鮮を厳しく批判すると、当時の東ヨーロッパの共産党や青年同盟は、ソ連の手先のような状況で、日本共産党や民青同盟に攻撃を加えてくるというありさまでした。ですから不破さんが「私たちは30年以上、ソ連のごう慢な大国主義とたたかってきて、社会主義がこんなものであるはずがないと思って」きたからソ連崩壊の報道を聞いて、これでやっと妨害物がなくなったという気持ちだったと述べているのは、当時、私なども実感したことです。
当時の社会党や社青同(社会主義青年同盟)は、ソ連や中国、北朝鮮と仲良くやっていて、創価学会の池田さんと公明党は、中国の毛沢東が「鉄砲から政権が生まれる」などと言っていた時代から大の仲良しで、自民党も「55年体制」で裏では社会党と馴れ合いでしたから、国会議員や地方議員などが「超党派」で、自民、社会、公明仲良く揃ってソ連や中国などへ招待されて出かけてゆきました。しかし、そのようなものには、一切参加しなかったのが私たち日本共産党でした。
その頃、ソ連や中国を暗黙の「指導党」にいただいていたような世界の共産党や、社会党や社青同などは、私たち日本共産党を「世界の共産党の孤児」とまで揶揄したものです。ですからソ連が崩壊したり、東欧が崩壊したからといって「仲間が崩壊した」などという感情は、日本共産党には、とくに私たちの世代の活動家には一切ありませんでした。土井たか子さんにとっては別の感情があったでしょうけれども、私たち日本共産党にとっては「歓迎」は、「負け惜しみ」でも何でもなく、まさに実感だったのです。
たしかに、あの時ソ連の崩壊に動揺して運動から離れた人たちも少しはいましたが、私たちにとってはずいぶん意外でした。原水爆禁止運動への介入と分裂、志賀義雄らを使った日本共産党に対する破壊工作、ゴルバチョフによる「新しい思考」などという新たな強調主義、「平和と社会主義の諸問題」誌をめぐる横暴な運営と日本共産党への攻撃など、ことあるごとにあれだけ激しくたたかい続けてきたはずの巨悪「ソ連」を、それでも「仲間」とか「腐っても鯛」などと見ていた人がいることに驚いたものです。
結論ですが、私たち日本共産党にとってはソ連や東欧の諸国が崩壊して、「さびしく」思うような何の根拠もありませんでした。なぜなら、それ以前からそれらの党は「仲間」ではなく「敵」でしたからね。むしろ、ソ連が崩壊して世界は大きく変わりました。中国も毛沢東やケ小平の体制は過去のものになり、中国側が歴史問題を率直に反省して新たな関係を開くところまで世界が変わってきたのです。今では、私たちは「孤児」どころか、ベネズエラやボリビアをはじめラテンアメリカにもアジアにも中東の諸国にも、ヨーロッパにも、アフリカにさえ多くの友人をもっています。
不破さんが「ソ連崩壊で世界は元気になった」「世界全体から見ると、うんと活気づいていてね…」というのは、まさにそのとおりであって、そういう意味ではソ連崩壊で私たち日本共産党も活躍の場と条件が大いに広がったと感じているのです。
|