(6) 表記仕様について考える 

前回は、表記基準の必要性について述べてみました。それでは次に表記基準にはどんなものがあるのか、そのあたりのことについて私の知る限りで、思うところを書き連ねてみましょう。

この仕事の市場は、大きく2つに分けられるようです。1つは、速記業界であり、もう1つはマスコミです。速記業界では、国会をはじめとする議会の議事録作成を中心としながら、裁判記録や証人の供述録などの市場があります。そして、マスコミ業界では、対談集や座談会の記事そして講演記事など、さまざまな起こしが必要とされる市場です。つまり、別の言い方でくくるとすれば、速記業界は地方自治法や裁判にかかわる法律などで定められた法定分野と、あくまでマスコミの素材として使用が限定される商用分野の2つに分類することが可能かと思われます。

法定分野では、ですから、かなり厳密な表記基準が作成されています。再三登場する「標準用字用例辞典」がそれです。また、マスコミ関係では「記者ハンドブック」と称されるたぐいのものです。記者ハンドブックといっても、発行元により数種類あって、普通の人にも入手できるものとしては、共同通信社のもの、時事通信社のもの、朝日新聞社のものそしてNHKのものなどです。市販はされていなくても、恐らくはマスコミ各社が自社用にハンドブックを作成しているかもしれません。そんなことも推測されます。

ところで、ほかに国民全般に対する表記の基準として刊行されたのが、以前紹介した三省堂の「現代国語表記辞典第2版」です。これは、そういう意味ではユニークです。特に限定された業界とか、組織に属することなく、一般の現代国語表記についての詳しい指針を与えているからです。それを使って、このワープロ時代になって変換候補のたくさんある表記の悩みを解消するために使えるソフトとしたのが、「ザ・完字変換」です。いわば、一般の国語事典と同じような一般教養としての表記辞典という位置づけになりましょうか。

以上のことから、まとめると今我が国では、大ざっぱに3つの表記基準を入手することが可能だということになります。繰り返しますが、法定分野の速記協会仕様の表記基準、商用ベースのマスコミ各社仕様のもの、そして、一般教養としての表記基準ということの3つです。

では、これらの各仕様について比較検討をほんの上っ面だけですが、してみたいと思います。

私の所持している表記辞典は、「標準用字用例辞典」と「記者ハンドブック」(共同通信社刊)、「最新用字用語ブック」(時事通信社刊)そして、「ザ・完字変換」です。ですから、以下に述べることは全部を網羅しているわけではありません。この4つの表記基準だけでの比較ということになります。

各表記仕様による用字の比較表
用語見出し 速記協会仕様 新聞仕様共同通信 新聞仕様時事通信 三省堂現代国語表記仕様
イチバン 一番 (見出しなし) 「一番」でも「いちばん」でも可 「最も」の意味では「いちばん」と仮名にして、「一番乗り」や「ここ一番」では漢字とする。
世界ジュウ 世界じゅう 世界中。但し、注意書きで「じゅう」でも可。 世界中 世界じゅう
ソジョウニノセル 俎上にのせる 「話題に載せる」などと言い換える 「話題に載せる」などと言い換える 俎上に載せる(俎は表外字)
チュウチョスル ちゅうちょする ちゅうちょする、またはためらう ちゅうちょする、またはためらう ちゅうちょする
マイシン 邁進 まい進 まい進 邁進(邁は表外字)
ホンロウスル 翻弄する ほんろうする、またはもてあそぶ ほんろうする ほんろうする

以上の表に挙げた例は、わずかなものですが、これだけでも、各仕様の特徴がよく表れています。日本語の文章は、漢字仮名まじり文ですから、表外漢字の用字をどうするかにそれぞれの特徴がいちばんよく出てきます。速記仕様は、独自の表記で表外字でも使える漢字がそこそこにあります。「俎上に載せる」などはその好例です。対して、新聞記者仕様では、表外字が原則として使えないことから、仮名もしくは置き換えという方法が用いられています。「俎上に載せる」ならば平仮名で「そじょうに載せる」とやるよりは「話題に上せる」というふうに置き換えてしまうわけです。そして、三省堂現代国語表記仕様では、「俎上に載せる」ですが、「俎」は表外字として注意書きされていますから、事実上の処理の仕方としては恐らくは「ふりがな」をつける、つまり「俎上(そじょう)に載せる」と表記することになるかと思います。

このあたりの微妙なところは、その下段3つでよくわかります。「躊躇する」は、全仕様とも仮名で「ちゅうちょする」です。しかし、「邁進する」になると、新聞仕様は「まい進する」と仮名まじりの熟語にして、速記協会はそのまま「邁進する」であり、三省堂表記は「邁進(まいしん)する」という表記となりそうです。そして、次の翻弄するでは、速記協会仕様以外はすべて平仮名にすることになっています。

ですから、ここで言えることは、表外字に対する処理の仕方が、大きく仕様の違いとなっているということです。

もう1つは、以前にもちょっと紹介し、上の表でも「いちばん」の中に出ているのですが、意味の違いによる漢字の使い分けです(「最も」の場合は「いちばん」と平仮名にするというような例)。これは、用例を挙げると煩雑になりますし、また用例を一つひとつ研究するのは自分自身でやっていく作業ということにして、ここでは割愛します。この場合には、それほど辞典による違いはないように思いますが、それでも微妙なものでは違いがあるかもしれません(私自身、全部は確認し切れていません)。

いずれにしても、以上のように3つの表記基準で感じるのは、表外字をどうするかの処理にいちばん特徴が出てきますから、それらによって、どの基準を使うのが適しているかを考えることが重要でしょう。

ただ、テープ起こしの場合は、基本的に原音に忠実に起こすという基本がありますので、新聞社のような言い換えはできません。したがって、新聞なら言い換えするようなことばも、すべて原音どおり平仮名で表記することになります。しかし、これは場合によっては、非常にわかりにくくなるという欠点がありますから、私個人の意見としては、やはり速記協会仕様とか、括弧書きでふりがなを付ける三省堂表記仕様の方が、この仕事には向いているのではないかと思います(2002.7)。





        




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