ミャンマーを強打したサイクロン「ナルギス」は、政権維持のために犠牲者約10万人と被災者約150万人に対する国際社会の支援を制約する軍事独裁政権の非人道的な実態を国際社会に暴露する契機になった。
これに関して、米日刊紙のボストン・グローブは12日、国際政治専門家たちの言葉を引用して、「自然災害は強力な政治的影響力を行使し、被害の収拾過程で政治的変化が生じ得る」と報じた。
▲政治地形も変える自然災害〓04年12月に東南アジアを襲った津波は、ミャンマーの近隣国家の政治的地形を変えた。
当時インドネシアでは、約12万人が死亡し、11万人以上が行方不明になった。被害が大きかったアチェ地域は、イスラム分離主義者の拠点だった。津波で反軍の拠点が消え、外部から救護団体が入り込み、政府軍と反軍は平和交渉を行なった。その結果、アチェには平和が訪れ、昨年の自由選挙で、反軍指導者出身者が政界に進出することになった。
スリランカ政府と反軍「タミールイーラム解放の虎」も、津波の被害を収拾するための協力に乗り出した。しかし、昨年から内戦が再開し、スリランカは昔の状態に舞い戻った。
トルコとギリシアは宿敵の関係だ。しかし、99年のトルコのイズミール地域を襲った地震で約4万5000人が死亡すると、ギリシアが救護の手を差し伸べ、両国間の緊張緩和のムードが熟した。
自然災害は、国内政治の地形変化にも影響を及ぼす。自然災害が、適切でない救護→政権に対する不満→怒った国民の政権交代の要求、につながるというものだ。
自然災害と改革の関係を研究したロンドン・ギングス・カレッジのマーク・ペリンとキャサリン・ディール教授は、ボストン・グローブ紙に、「政治体制が不安定な国家であればあるほど、より大きな変化が訪れる」と述べた。実際、1970年に50万人の犠牲者を出したパキスタン東部の大型サイクロンで怒ったデモ隊は、バングラデシュの建国を導いた。
▲今回の災害でミャンマー軍政は終焉するか〓国際社会の動きが、ミャンマーの政権交代につながるという観測も提起されている。
インタ−ナショナル・ヘラルド・トリビューンは最近、「今回のサイクロンと軍部の憲法賛否投票の強行によって、ミャンマーの国民が軍部に対する不満を抱いている」と伝えた。スコットランドのサンデー・ヘラルドは10日付で、「国際社会が今回の事態をミャンマー軍政の終焉の機会と見ている」と報じた。米国の対外援助機関である国際開発処のアンドル・ナシオス元処長は最近、ウォール・ストリート・ジャーナルへの寄稿文で、「ミャンマーを侵攻でもしなければならない」と主張した。
「国境のない医師会」の創立者であるフランスのベルナール・クシュネル外相が、国連の安全保障理事会にミャンマーに対する人道的接近を要請したと、英国のザ・タイムズが12日付で伝えた。ミャンマー軍政の同意がなくても、行動に出なければならないという考えだ。
クシュネル長官は、90年の国連総会で採択された「大災害発生時の介入権利」と05年に国連加盟国首脳会議で採択されたホロコースト、民族浄化、戦争犯罪などに対応した「犠牲者保護の権利」を発動すべきだと主張した。
むろん、加盟国間の利害関係が交錯し、国連がただちに行動に出ることは容易ではない。しかし、内外の圧力に直面したミャンマー軍政が、外部の支援を受けることも拒否することも難しいジレンマに置かれていることは明白だ。ミャンマー軍政がいかなる選択をするかによって、自分たちの運命も変わるかもしれない状況だ。