現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事

縄文人も大豆作り 弥生説より千年前 熊本大など調査

2007年09月24日15時54分

 「畑の肉」とも言われ、日本人の食生活に深くかかわる大豆。その栽培開始が、定説とされていた弥生時代前期より1000年以上古い、縄文時代後期の中ごろ(約3600年前)までさかのぼるという研究結果を、熊本大学埋蔵文化財調査室の小畑弘己准教授(47)らがまとめた。23日に宮崎県椎葉村で開かれる九州古代種子研究会で発表する。

 一般に「縄文時代は狩猟・採集の生活」と言われてきたが、近年の研究で、キビやヒョウタンなどの植物を栽培していたことははっきりしてきた。大豆栽培の痕跡は、縄文人の食生活が、従来考えられていたより、さらに多様で豊かだったことを示唆する。

 小畑准教授と大学院生の仙波靖子さん(26)、埼玉県にある分析会社パレオ・ラボの佐々木由香考古分析支援部長(32)が調べた。この3年、土器の表面や内部に残された植物の種子などのあとを型に取って顕微鏡で観察する「レプリカ法」を使い、数万点の土器片を調査し、縄文時代の穀物の痕跡を追いかけた。

 この研究で、長崎県大野原(おおのばる)遺跡、同礫石原(くれいしばる)遺跡、熊本県三万田(みまんだ)遺跡から出土した、縄文時代後期〜晩期の土器4点に、大型のマメの種子が粘土にくっついて土器を焼く時にできたと考えられる圧痕(あっこん)を発見した。圧痕の全長は約10〜15ミリ。また、熊本県ワクド石遺跡出土の土器など九州で見つかった圧痕十数点が、この大型のマメの「へそ」の部分にあたることを突き止めた。

 続いて、どんなマメの圧痕かを追究。可能性のある野生種と栽培種のマメ二十数種類を、乾燥状態や水に漬けた状態など様々な条件で比較。種子全体の形状やへその特徴、断面などを照合して、栽培種の扁平(へんぺい)型大豆だという結論に達した。水に漬かり細長く膨張した状態と考えられるという。「乾燥した状態で長さ10ミリ前後では」と小畑准教授。

 小畑准教授らは昨年、穀物を食べるコクゾウムシの痕跡が、縄文時代後期中ごろの土器に残っていたことを調べ、大麦や稲の栽培が九州で始まっていた可能性を指摘した。「大豆も同じころ、大陸から入ってきたのでは」と推測している。

PR情報

このページのトップに戻る