2008-05-09 悲しいことー

耳に心地よい言葉を言う人と、耳に痛い言葉を言う人と、いったいどちらが信頼に値する人なのか。
いい歳をしてそんなことも分からない人がこんなに大勢いるということは、なんというかとても悲しい。
おまけに、そういう人らが嬉々として「政治批判」をやっているのかと思うと、悲しいだけじゃなく恐ろしくなる。
以前に「政治を語るのに資格がいるか」という議論があったが、少なくとも「政治批判」を主題として意識的に語るのなら、「庶民感覚」だとか「普通の市民の目線」だのといった言葉を、ただの無知や不勉強、もたれあいや自己の弱さ、怠慢に対する居直りの口実にすべきではない。
今日、暑い中、道を歩いていて「そりゃ、楽だからね」という言葉が頭に浮かんだ。
ネットにアクセスして、金にもならない文章を書ける環境にある人が下とは思えない。
いったい、あんたらのどこが「普通の市民」なんじゃと前から思ってました。
「普通の市民を馬鹿にするな」とか言ってますが、それこそ「普通の市民」を馬鹿にしてます。「普通の市民」のほうが、よっぽどしっかりしてます。
ハハハ、御意!
「上から目線」なんてものもありますね。よっぽど、あんたらがそうだろって思うこと多し。
昨年の「勤労感謝の日」に、
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-508.html
で、
> 勉強するのが面倒で安易なポピュリズムに走りたがるのを、「庶民的」という言葉に置き換えて自らを正当化することは最悪である。厳しい日々を乗り切るのに精一杯の国民には、確かに勉強している暇もないかもしれないが、ブログを書く時間を持っている人間が勉強する暇がないなどということはあり得ない。トラックバックやコメントを返したり、アクセス数を稼ぐための新しいテクニックを覚えるのに忙しくて勉強をしている暇がないなどというのは本末転倒であり、そんな状態だったら政治ブログの運営なんか止めるべきだ。
と書きました。そしたら、その日のうちに、
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-741.html
が、
> 政治に関してだけは「ここまで知っていたら、貴方は詳しいからブログを書くことを許す」なんて許可証がいるのだろうか? あったら検定試験を受けたいもんだ。 あ、落ちるか(笑)
> 恋愛に関したブログでもそういった許可証がいるんだろうか?誰も書けないね、そしたら。
> そういった事が政治を書くブログの敷居の高さみたいなものを作っているんだろうなぁ。
> そのような「政治だけは特別」って空気がそもそも私はキライである。でぇッキライw
なんて書いてきてましたね。一体、誰が「政治だけは特別」なんて言ったんだろうか? 私には他にも一家言を持つジャンルがいくつかあって、そこで無知な人間が妄言を吐いたら、同じような態度をとりますけどね。
そうそう、「上から目線」の議論に関しては、かのthessalonike氏まで参戦してきたので驚いたものです。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-561.html (1月29日)
http://critic3.exblog.jp/7996603/ (1月30日)
「らんきー」の方は読んでなかったですね。
ついでにそのへんのkimeraさんとかココロさんの記事も読んでみましたが、
やっぱり批判に対するナイーブな過敏さというのは共通してますね。
そのへんでのkojitakenさんの忠告も通じなかったみたいですね。
>心地がいいところで互いに切磋琢磨すればいいわけで。
http://wanbalance.blog75.fc2.com/blog-entry-548.html
↑でのココロさんのレスですけど、心地よいところじゃ切磋琢磨にはならんですよ。
やっぱりちょっとなあという感じがしますね。
記事の一つや二つ書けなくったって、ぎりぎりした議論で自分が高められ強くなれるなら、そのほうがよっぽど意味があるはずなのです。
やっぱり自己愛にもとづく過剰な自己評価と過剰な意味づけというのも感じますね。
「上から目線」に対する「下から目線」だの「わかりやすさ」だのというのは、
昔の左翼用語で言うと「俗流大衆化路線」というやつで、これは実は「大衆蔑視」の裏返しでしかないのです。これも昔からさんざん言われてきたことなのですけどね。
道具立てが変わって、参加者の裾野が拡大し、発言への垣根(覚悟)が革命的に低くなった。そのことがどのように成っていくんだろう。転形期なんでしょうね。
ただ、問題は「発言への垣根(覚悟)が革命的に低くなった」結果、そのような言論が大量にあふれるようになったこと。
それと、そのことがはらむ問題に自覚的な人が少ないということでしょう。
単純に、仲間が増えたと思って喜んでいる人たちや、とりあえず「仲間」だからということで厳しいことを言うことを控えている人たちが、そのうち痛い目にあうことにならなければいいのですけど。
このコメント欄、面白いですね。ぶいっちゃん氏、私、喜八氏がそれぞれコメントしていて、ぶいっちゃん氏が
> 「自分がされたら嫌な事は他人にはしない」
> わからない人にはわからないのでしょうね。
と書いているのを見て、心底呆れたものです。これって早い話が「らんきーブログ」が「きまぐれな日々」に揶揄されるのがイヤでイヤでたまらない、という意味ですからね。
ぶいっちゃん氏は、
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-735.html
で、
> 政治知識よりも人間知識を磨くべし! 政治を語る前に人を語り研究するべし。
と書いていますが、「水伝」騒動を経た今となってはむなしく響きます。そもそも、私にはなぜぶいっちゃんさんがご自身の「人間力」に絶大な自信をお持ちなのか、ずっと不思議に思っていました。
喜八氏は、ナナナナナント!
> 「連合赤軍事件」で仲間を大虐殺した青年たちも、殺し合いを始める前にたっぷりと「議論」をしていたみたいです。
なんて書いてますね。ニケさんよりも、「死ぬのはやつらだ」氏よりも早く。「水伝」批判派を「連合赤軍」にたとえる発想のオリジンは、喜八氏にあったのかもしれません。
水伝騒動がその「痛い目」だったりして。確かたんぽぽさんが、相互批判をしないできたつけが回ってきたと書いていたような記憶があります。
なんでそんな簡単なことも分からんのでしょうね。
まあ、たしかに台湾の議会では乱闘騒ぎが絶えないようですが。
ちょっと批判されたぐらいで、「人格否定」だとか「上から目線」だとか言って泣き言言って騒ぎ出すようじゃ、やっぱりへたれです。
「政治ブログ」などやる前に、自分の「人間力」を高める方が先でしょうにね。
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-821.html
ご両親の具合は、ちょっと良くなったのかな。良かったですね。
kojitakenさん、あの文章どう思いました。私は謝っているかのような言葉は使っているけど、結局なんにもわかっていないんだなぁとあらためて思いました。とことん「空虚な中心」ですね。まっ、日本的といえば日本的だわね。
これかな?
http://taraxacum.seesaa.net/article/79492272.html
いや、だれもぶいっちゃん氏に謝罪なんて要求してないから。
ぶいっちゃん氏が騒動についてまじめに考えて、その帰結として「謝罪」があるのならけっこうですが、彼の文章はいつものあいまいな「ぶいっちゃん節」で何も変化が見られません。徹底して具体性を避けて自分が傷つくのを恐れている。あれに納得するのはお友達だけでしょう。
誰に対して謝っているのかわからないし、そもそも謝ってなんかほしくない。なにも「総括」(笑)できてないじゃないかって感じですね。
「空虚な中心」というnagonaguさんのご指摘には意表を突かれましたが(最初に自分が天皇にたとえておきながら何言ってるんだと言われそうですが)、確かにそうですね。なんだかんだ言ってぶいっちゃん氏の周りには熱心な取り巻きが集いますものね。私のブログのコメント欄なんか記事への批判ばかりですから(ってほどでもありませんけど、批判が目立ちます)、それとはえらい違いです。あの吸引力にはかないません。ぶいっちゃん氏も象徴天皇になって政治的発言を何もしなければ(つまり誰かに編集権を代行してもらえば)良いのかもしれませんね。それで、昭和天皇の生物学にあたるような趣味の話題だとか、もともと彼が得意にしていた人情話だけをぶいっちゃん氏が執筆するようにしたら、取り巻きの皆さんも狂喜乱舞するんじゃないかなあ。
さて、いきなりですがこちらのコメント欄のことを当方のブログで紹介したく存じます。
http://ameblo.jp/teagon/
もちろん、みなさまのこちらでの言説への批判的な内容であると受け取られかねない部分もあるかと「思い」ます。こちらでコメントしているみなさんの「表」ブログのurlも載せて、いくつかの過去のコメントにも言及することになると「思い」ます。楽しみにしていてください。
それで、ほかの多くの方々へトラックバックしていきたいと「思い」ます。コメント欄は空けておきますので、罵倒、誹謗、中傷、言い掛かり、賛同、同情、あてこすり、何でもどうぞご自由に。何でしたら、「そいつは帽子だ!」(「それは帽子だ」ではない)の方へお越しいただいてもかまいません。