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│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く |2008.05.06
平成20年5月18日、日曜日の日中、京王線は、国領駅付近の不発弾処理のため、つつじヶ丘ー調布間で電車を止めて、それぞれ折り返し、各駅停車のみの運転となる。
この不発弾は、京王線立体化事業に際し、近隣の方々の証言や文献を元に実施された事前調査中の磁気探査で発見された長さ約180センチ直径約60センチの米国製1トン爆弾。1945年4月7日のB29の空中爆発の際,落下したものと推定されている。 当日は、不発弾処理地点から半径500mの範囲を警戒区域とし、災害対策基本法に基づき区域内の全住民避難、道路・鉄道等の交通規制が行われる。 1945年4月7日は、硫黄島に配備されたP51がはじめてB29に随伴して爆撃行に参加した日でもある。 空中爆発、墜落したB29は米軍XXIBC第73爆撃団第498爆撃群第875爆撃隊に所属するB29-#42-63512「Mrs. Tittymouse」号、機長John WISE中尉以下11名が搭乗していた。 当日の空襲は、三鷹市にある中島飛行機武蔵製作所への攻撃で、米軍は爆弾投下直前の対空砲火により撃墜と記録。 日本側では陸軍飛行第244戦隊の古波津里英(こはつさとひで)少尉操縦の飛燕による体当りとされ、実際、B29の上に飛燕がのしかかるように体当たりしたとの目撃もあるらしい。 驚くことに、古波津さんは、この体当たり攻撃から生還(成城付近に落下傘降下)。その後所属していた244戦隊が調布から知覧へ移動したことに伴い、沖縄戦にも転戦(特攻機の援護など)。戦後は長く沖縄那覇で薬局を経営され、2006年10月までご存命だった。 古波津さんは、体当たりの記憶はないと、落下傘降下後収容された病院で発言されていたらしいが、墜落したB29の翼により一家8名が亡くなったことには、長く心を傷められていたと関係の記録。 米軍は11名の搭乗者中、レーダー手Norman SELLZ二等軍曹1名が生存。帰国後、このときの体験(日本での捕虜体験)がもとで、のちにPTSDと診断されたと、米国での記録。 調布市立郷土博物館には、2005年10月に国領町7丁目の元防空壕から発見されたB29のボンベが所蔵ざれており、これはこのB29のボンベである可能性が高い。 布田駅の南側にある円福寺の墓地には、 墜落したB29の主翼下で死亡した河栗家八名の墓 搭乗員(10名)の埋葬地跡が残る。 *** 一発の不発弾処理 私たちにとっては、数時間電車が止まるだけのことに過ぎない。 なぜそこに不発弾があるのか、関心を持つ人も少ない。 *** 古波津少尉は学徒動員で航空隊に配属。その戦争体験に基づく、ラジオ番組FMシアター「見よ、蒼い空に白い星」 平成17年10月8日放送により、演出のNHK保科義久チーフディレクタは、平成17年度 文化庁芸術祭放送個人賞を受賞している。 このBLOGからもリンクしている東京荏原都市物語資料館では、昨年の4月から5月にかけて、「B29の墜落痕跡を求めて」というタイトルで、この国領に墜落したB29のことをお書きになっている。 Loading now....
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