イタイイタイ病が当時の厚生省から公害病に認定されたのは、一九六八年だった。今も患者は増え続け、救済は滞る。すべての被害者が「安心」を得られるまで、「公害の時代」は終わらない。
被害者は主に富山県婦中町(現富山市)周辺に住む出産を経験した女性。骨がもろくなり、ふとした弾みで折れてしまう。激痛に悩まされるので、イタイイタイ病の名が付いた。
岐阜県神岡町(現飛騨市)の三井金属神岡鉱業所(神岡鉱山)が、神通川に未処理で流した廃液中のカドミウムが原因だった。
イタイイタイ病は、公害病第一号だ。水俣病より四カ月早い。
それから四十年。対策の柱とされる三項目のうち、新たな汚染を防ぐ「発生源対策」と、汚染された田んぼの土を入れ替える「土壌復元」は、着実に進んできた。
神通川のカドミウム濃度は環境基準を下回り、ほぼ自然界のレベルに戻った。だが、肝心の「患者救済」は、まだ足踏みを続けている。
公害病は風化しない。イタイイタイ病の患者は、今もまだ増え続けている。体内に蓄積されたカドミウムが、いつ発症の引き金を引くか、分からない。決して「過去」のものではない。
富山県によるイタイイタイ病の認定には、汚染地域の居住経験、成年期以降の発症、尿細管障害、そして、骨粗しょう症を伴う骨軟化症の「四条件」が必要とされている。だが、骨軟化症の検査のために傷んだ骨を削り取ることもあり、老いた患者には、あまりにも負担が重い。
県によるイタイイタイ病の認定制度は、六七年に始まった。民事訴訟で損害賠償を勝ち取るには、歳月も費用もかかる。制度の狙いは、被害者の早期救済にほかならない。
患者として認定されれば、原因企業から補償を受けられる。しかし、心身の痛みは生涯消えることはない。
四十年、被害者は激痛や偏見に耐えてきた。もういいかげん「安心」を獲得してもいいころだ。死後何年かたってから、ようやく患者と認定されて救済の道が開ける例もある。それでは遅い。
水俣病未認定患者の救済に向けた新たな議論も進み始めた。県や政府には、「早期解決」「全員救済」の原点に立ち戻り、目の前の被害者の痛みや不安と積極的に向き合う姿勢が望まれる。
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