◇笑顔で現れ、また去って 家族の心に、変わらぬ姿
前略、鴨志田穣(ゆたか)様。
覚えていますか。昨年3月10日の昼下がり、カモちゃんが逝く前日のことでした。
「向こうで、通信手段が見つかったら、リポートを送ってくれ」
「分かりました」
別れ際、君は願いに応じてくれました。インドシナに戦火が続いた90年代初頭、カンボジアの戦場で出会ったころの好奇心いっぱいの少年のような眼差(まなざ)しで……。
あれから、1年。私(記者)は西原家の3人組と、タイ湾を目指して川を下りました。理恵子さんとガンちゃんとヒヨちゃん。思い出をたどる旅路でした。
バンコクから車で南西に2時間で、サムサコーンの街に着いた。「その昔、仏像が流れ着いた」と伝わる名刹(めいさつ)で船をチャーターし、桟橋を離れてすでに1時間を回っていた。
河口が広がり、船が縦に揺れ始めた。エンジンがうなり声を上げ、船底を波が「ドン」と突き上げる。水平線を望めば、茶色の川と青い海がぶつかり、うねりを上げている。
海上のブイに船を寄せて、船長が言った。「海が荒れる季節なんでここで散骨します」
お母さんとヒヨちゃんが作法を教わりながら、線香を手にひざまずき、言葉を復唱する。「サヨナラ。海に返ってください」。傍らで、ガンちゃんがカメラを手に、式の模様を撮影している。
お母さんがショルダーバッグからお父さんの遺灰を取り出し、全員で散骨。「こぼれないように」。食品保存用のビニール袋で密封し、ガンちゃんの給食袋に入れて持参した。
灰は風に散り、海に消える。3人が船のベンチに座っている。
ふと、西原さんが悲しそうな表情を浮かべる。と、ガンちゃんが近づき、カエルの人形をお母さんの額に重ねた。「お父さんの身代わり」のヌイグルミの「オトカエ」から、元気を贈るキスである。
「死者を母なる海に返す」。ヒンドゥーの治世下に伝わる散骨の営みは、時を越えて今を生きる。「月15件ぐらいかな」と船長(53)が言った。払い下げのタグボートに屋根をつけた小型船。「インドシナと呼ばれた時代から働き通しの70歳過ぎの婆(ばあ)さんだ」。あごをしゃくって船長が目を細めた。
川にせり出した水上ハウスから、子供たちが釣り糸をたれている。えびを養殖するいかだが並ぶ。夜、獲物を狙った1メートル以上の水トカゲが出没する。
陸に上がって子供たちにインタビュー。「お父さんに何を言いましたか?」。ヒヨちゃんは「バイバイ」。「絶対に元気でいろ」。こっちはガンちゃん。
かくして、8日間のタイ漫遊記は終わるのだが、帰国を前に子供たちがとっておきの話をしてくれた。
どうやら、カモちゃんが「いる」らしい。
ヒヨちゃんは、ホテルのプールで遭遇した。「どこにいたの」「潜った時、水の底にいた。いつもの水着で笑いながら泳いでた」
ガンちゃんは、ホテルのロビーで目撃した。「ロビーを海水パンツで思いっ切り笑いながら走ってた。そのまま窓ガラスにドーンッとぶつかって、額から血をたらして、また、笑って走って行った」
前略、カモちゃん。
目撃談を聞きながら、私は思いました。「死者は生者の心で生き続ける」。これが、君が贈ってくれたリポートではないのか、と。
追伸 ヒヨちゃんは市場で買った約300円のワンピースがピッタリ。華僑系タイ人になりきってました。
ガンちゃんは帰国前夜に、カモちゃんが好きだった鴨ソバをうまそうに食べてました。「ガンがカモを食った」なんて、みんなで盛り上がりました。
トリは西原理恵子さん。「思い出がいっぱい蘇(よみがえ)った。コップン(ありがとう)」【写真も、萩尾信也】
毎日新聞 2008年5月4日