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【社説】

週のはじめに考える 空想から道州制改革へ

2008年5月11日

 道州制の議論が活発になってきました。「遠い先の話」と思われるかもしれませんが、日本の閉塞(へいそく)感を打ち破るためには、大胆な頭の体操が必要です。

 まず経済界。日本経団連は三月、二〇一五年をめどに道州制への移行を目指す提言を発表しました。九州や四国、北海道など地方の経済団体や自治体も、独自に勉強や提言を重ねています。

 それに永田町。「ポスト福田」の有力候補とされる麻生太郎自民党前幹事長は三月、月刊誌に論文を寄稿し、道州制による地方経済の活性化を訴えました。

「霞が関依存では無理」

 政府も道州制担当相(総務相が兼務)の私的懇談会である道州制ビジョン懇談会(江口克彦座長)が、三月の中間報告で二〇一八年の移行を提言しています。

 ここへきて道州制論議が盛り上がってきたのは、地方経済の衰退と無関係ではありません。麻生氏は、こう主張しています。

 「いま地方はやつれ、疲弊している。明治政府が中央集権的な国家にしたのは、欧米列強に対抗するためだった。第二次大戦後も官僚主導による業界協調型の経済政策で大成功した。(だが)税制や行政など、すべてを中央が握り、霞が関依存のやり方で地域を発展させるのは無理になった」

 麻生氏は公務員制度改革で霞が関寄りだった印象もありますが、その麻生氏が、いまや「脱・霞が関」を唱えるのですから、時代の曲がり角を感じます。

 現実の企業社会を見ると、道州制を先取りするように、東北、北陸、中部、中国、四国、九州といった地域別に営業拠点を配置している会社がたくさんあります。交通手段が飛躍的に発達し、情報化も進む中で、明治時代に作られた県境が現代の企業活動にマッチしていないのでしょう。

道州に税源移譲すれば

 なぜ中央集権ではだめなのか。日本経済は官僚統制が生産力を高めた段階をとっくに過ぎて、活力の源泉は民間に移る一方、地域の行政ニーズに中央政府が応えられず、非効率になったからです。身近な問題は身近な地域政府が担ったほうがいい。霞が関にいて、北海道の学校や福祉の実態がよく分かるとは思えません。

 教育、産業政策、公共事業、医療に介護…。そうした内政課題は、できる限り道州や基礎自治体に任せ、中央の霞が関は外交や安全保障、通商政策といった国ならではの仕事に精力を注いでいく。それが道州制の目指す形です。

 では、具体的にどんな形にするか。焦点の一つは税財政制度です。経済活力を生み出すためにも、財政再建のためにも、知恵を絞らねばなりません。多くの提言は税源を大胆に道州に移譲するよう求めています。

 たとえば、法人税や消費税、所得税、相続税など一切の税源を道州に委ねると、どうなるか。道州間で「減税競争」が起きる可能性が高い。企業は法人税率が低い地域ほど立地したいと考えるので、道州には企業誘致のために減税する誘因が働きます。減税競争は実際に、世界で起きています。

 国と地方合わせて七百八十兆円に迫る長期債務は、経済規模に応じて道州の債務に切り替えてはどうか。赤字を垂れ流す道州の道州債は金利が上昇しますから、道州経済にマイナスに働きます。

 すると、道州政府はできるだけ経費をスリム化し、無駄をなくして財政規律維持に努力しなければなりません。豪華な庁舎建設など無理ですね。

 国の経費はどうするか。国連が加盟国の分担金で運営されているように、道州が「国分担金」ないし「国交付税」を支出して、国の行政経費を賄ってはどうか。いまの地方交付税が国から地方への支出であるのに対して、国交付税はベクトルを逆にして、道州から国への支出になります。

 道州の地位が飛躍的に高まるだけでなく、競争による減税圧力を受けた道州が国の支出をチェックするようになれば、国の無駄遣いも減っていくでしょう。

 これは、一つのアイデアにすぎません。もちろん、一定の国税を残す選択肢もあります。自民党の国家戦略本部が公表した政治体制改革プロジェクト報告は、所得の地域格差を是正するために、所得税の累進課税部分や法人税の所得比例部分などを国税として残す案を提唱しています。

 国民の公平性や一体感を維持するために、税による所得再配分機能を残す視点は重要です。

「ゼロベース」で考える

 肝心なのは、達成すべき目標と手段をゼロベースで考えてみる試みではないでしょうか。現状維持を前提に、いつまでも公共事業や国頼みの地域活性化を夢想していても、しょうがない。もっと議論を巻き起こさねば。

 

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