いくらおにぎりブログ
邦画中心の映画感想ブログです。ネタバレがありますのでお気をつけ下さい。
【映画】その人は女教師
邦画 さ行 / 2006-10-29 10:03:20
【「その人は女教師」出目昌伸 1970】を見ました。



おはなし
1968年10月21日。新宿騒乱の日に、デモに参加した高校生の竹内亮(三船史郎)は、警察に追われていました。それを救ってくれたのが、速水マキ(岩下志麻)という通りすがりの女。二人はやがて再会します。新任の女教師とその生徒として。やがて、周囲の反対をよそに二人の間には、愛が燃え上がります。しかし、亮の父の策謀によって未成年者略取誘拐の罪で逮捕されてしまうマキ。亮は、父への抗議のため……


強烈な人による、強烈な映画です。

新宿騒乱の夜、高校生の竹内亮(三船史郎)は刑事に追われていました。そこで通りがかった女の人に「助けてください」と頼み込みます。しかし、痴漢に追われている女子高生じゃあるまいし、覚悟の定まっていない奴ではあります。ところが、その女の人は、その頼みを快諾、カップルの振りをしてくれます。あまつさえ、不信に思った刑事が二人を覗き込むと、キスまでしてカモフラージュをしてくれたのです。
これは、高校生の亮にとっては信じられないラッキーな話です。美人のお姉さんが、自分を助けてくれたうえに、キスまでしてくれたんですから。

それから、しばらくたち、亮の通う、静岡県立青北高校に一人の女教師が赴任してきます。それが何と、あの時のお姉さんにして元全共闘の闘士、速水マキ(岩下志麻)先生でした。亮は、もちろん運命を感じちゃいます。

時代は1970年、政治の季節がまさに燃え尽きようとしている頃ですから、新任の先生に生徒たちは、政治信条を聞かせろと迫ります。もちろん、授業続行を望む勉強派もいますから、騒然とする教室。
そんな時、亮はマキに言います。
「先生は10.21のとき警官に追われているぼくを助けてくれました。あれは先生のイデオロギーからではなかったんですか」
まったく、何を言っているんでしょうか。好きな人に言う言葉じゃありませんね。マキは答えます。
「あなたを助けたのは市民としての本能です。市民は学生でもなければ国家でもないからです」
えーと、意味不明なうえに、英語の直訳みたいな話しっぷりです。まあ、こんな会話でも、二人の心は何となく通じ合っているようなので、良しとしておきますけど。

さて、学校に来なくなる亮。街の有力者でもある亮の父は、伊豆にいる亮を連れ帰ってくるようにマキに頼みます。早速、伊豆に乗り込んだマキは、いかにも女王様然とした格好で、腕を組み、海から上がってくる亮を見守ります。
「どうしてここに」と問う亮に
「あなたのお父様にうかがったのよ」と答えたマキは、亮に服を着るように命じます。
そして
「2年前、あたしの衣服はあなたと同じ催涙ガスの匂いがしてたわ」
と、またも意味不明な発言をします。しかし、普通の会話で衣服とか言うかな。

こんなミステリアスなお姉さんを前に、リビドーが急速上昇した亮は、マキを押し倒そうとしますが、軽くあしらわれてしまい、ガックリです。まあ、相手はお志麻姐さんですからね。

それからしばらく経った休日。東京に出かけるマキのあとを尾ける亮。見つかっても悪びれず、どこまでも着いてきます。新宿、そして東伏見まで付いてくる亮に呆れたマキですが、これ現在なら完全にストーカーです。でも、昔はストーカーという言葉が無かったので、こういう行為も何となく青年の純情さと認識されていたのでしょう。

本当に「言葉」というものは、人の認識を変えてしまうものです。言い換えれば「言葉」で定義されないものは、存在しないも同じだ、と言っていいかもしれませんね。余談ですが。

ともあれ、実家で数時間を過ごし、夜になって東伏見の駅に戻ってきたマキは、そこに亮の姿を発見します。ちょっとカワイイぞっ、とマキは思ったに違いありません。二人は夜の新宿に出かけ、安保粉砕デモに楽しく参加するのでした。もちろん、これも現在からすると理解不能ですが、きっとデモってお祭りのようで楽しかったんでしょうね。そして、朝。もう完全にテンパってきたマキは亮と貪るようなキスを交わすのでした。
そして、静岡に帰る電車の中では、ふたりは無防備に手をつないで、抱き合うように眠っています。そして、もちろん、その姿を教え子(同級生)に目撃されます。
ひそかに亮を好きな女子学生は、それを見て、許せないと息巻きますが、他の友人たちは
「ほっとけよ。どうせ発展性のない恋愛なんだ。自己批判要請するだけバカバカしいよ」
「教師相手に人間的な恋愛なんかできるわけないんだ」
などと比較的冷静です。

しかし、結局ひそひそと学校中に広まる噂。そんな時、マキは亮を誘って湖畔の別荘に行きます。つくづく、自己防衛本能の欠如した二人ですね。当然、二人はヤル気満々です。別荘に着くなり始めちゃいます。もちろん岩下志麻(松竹)ですから、裸はダブル(吹き替え)だと思いますが、かなりネチっこいベッドシーンが延々と続きます。撮影はかなり面倒くさかったと思われます。なにしろ細かくカットを割らなければならないわけだし。

旅行のあと、マキは亮の父に呼び出されます。詰問されるマキ。しかしマキは
「冗談でも火遊びでもありません。彼を愛しています」と言い切ります。もちろん目は「完全に」据わっています。
目の据わった岩下志麻に対抗できる男は、この世には存在しないので、亮の父は、亮を軟禁することにしました。しかし、亮はシーツを3枚くらい連結して部屋を脱走。マキを訪ねますが、折悪しくマキは不在。しかたなく、思い出の別荘に潜伏することにしました。

一方、旅先から東京まで戻ってきたマキは、新宿の電光掲示板に自分の名前が、未成年者略取及び誘拐の容疑者として流れているのを見て驚愕します(もちろん現在なら、新宿アルタで放送されるパターンですね)。ついでに、新聞にまで自分が亮を誘拐したように書かれています。大ピンチです。

慌てて、思い出の別荘に行くマキ。案の定、亮はそこにいました。とりあえずヤル二人。ホント、欲望に忠実な人たちです。そして、ようやく新聞記事を見せるマキ。何やってんですか、いったい。
亮は、怒ります、「ちくしょう」。そして、二十歳になるまでの2年と35日、ここから出て行かないと宣言します。ノリは小学生ですね。しかし、恋は盲目、すっかり感心してしまったマキは「亮、あなたは私に取って出発なのよ」と、これまた意味不明な台詞で応酬します。
そして、「そうよ、今の二人にとって大切なことは信じることよ」と言って、誤解を解くために一人警察に事情を説明に行くことにするマキ。もちろんお出かけ前には、貪るようなキスです。もう、いいって。

街に出たマキは、問答無用で警察に逮捕されます。そして、マンガのような取調べシーンが。
女教師が、男子生徒をたぶらかすなんて聞いたことも無い、と言う刑事に
「これは女性の人権を全く無視した思想です」と断言するマキ。
もし、これが男性教諭と女生徒だったなら、多少の悶着はあったにせよ、こんな大きな問題にはならなかったはず、と言い切ります。「いや、それは違うだろ」と思わないでもありませんが、70年はそういう時代だったんでしょうか。

いつまでたっても、戻ってこないマキが心配になった亮は、別荘を出て近場のホテルで情報収集をします。するとマキの写真がデカデカと載り、逮捕されたと書いてあるではありませんか。びっくりした亮は、慌てて警察に出頭しますが、刑事に事情を説明しても埒が明きません。未成年者略取誘拐の罪は親告罪で、告訴をした亮の父が取り下げをしない限り、マキは釈放されないというのです。
「がーん」ショックを受けた亮は父に詰め寄りますが、父もかなりファナティックな人物なので、「社会正義のため」許さん、と取り付く島もありません。

一方、マキはすっかり留置場暮らしも板に付き、気分は女囚さそりです。そこへ、看守が「速水マキ、釈放だ」と言いに来ました。「告訴は取り下げになったんですか?」と問うマキに看守は、亮が自殺したこと、遺書にマキへの告訴を取り下げるように書いてあったことを告げます。「ががーん」です。
よろよろと警察を出たマキは、二人の思い出の伊豆の海に行き、泣きます。
「うんぎゃあーーーっ」
凄いです。何か大事なものをかなぐり捨ててしまった芝居です。一歩間違えれば、今までに築き上げたキャリアが台無しです。それに、息が良く続くな、と思うくらい長い慟哭が続きます。場所は砂浜、波がザッパン、ザッパンかかっています。俳優ってタイヘンな職業です。エライです。

学校に辞表を出したマキは、亮の葬式に赴きました。しかし、遺族は火を噴くような視線をマキにぶつけ、帰ってくださいの一点張り。立ち尽くすマキ。そこに生徒が一人、また一人と前にでます。まるで遺族とマキの間に壁を作るように。亮の写真をじっと見つめたマキは、万感の思いをこめて焼香をするのでした。

三船敏郎の長男、三船史郎のデビュー作です。顔立ちは、ちょっとワイルド系。雰囲気は若い頃の松田優作にどことなく似ています。お父さんの若い頃(黒澤明「酔いどれ天使」)は、ワイルドと言うより、むしろ端正なハンサムだったんですけどね。
台詞回しはちょっと怪しめ、というかかなり棒読み。でも、この映画では、あまり気になりませんでした。というのも、他の部分が「スゴイ」ので。

この映画は何と言っても岩下志麻の狐に取り付かれたんじゃないかと思うほどの熱演が見ものでしょう。監督に求められればいつでも「全力投球」、求められなくても「全力投球」、もう存在自体が「全力投球」なお志麻さんは、まさに役者バカと言えるのでは。そもそも松竹の看板女優が他社の作品(東京映画=東宝系)で、なんでこんなことになってしまったんでしょうか。役者の神様が乗り移ったとしか思えません。

あと、これは監督一人の資質なのかどうか、分かりませんけど、台詞回しは全篇を通して香ばしい限り。普通、映画の中に「おいしい」台詞が2〜3あると、感想文を書くワタシにとっても「おいしい」映画になるのですが、これは例外です。あまりにも高濃度の台詞が続くので、もうお腹を壊しそうです。勘弁してください。
それからカメラもヘン。岩下志麻のラブシーンのねちっこいカメラワークもかなり見ものではあるのですが、三船史郎のシャワーシーンも頭、背中、尻、足首とそれはそれは執拗に狙っています。もちろん、特殊な需要もあるかもしれませんけど、普通はさらっと流すところでしょ。一事が万事、なんだか「狂気の視線」とでも言ったら良いような粘着質なカメラワークは、もうワケが分かりません。

ともあれ、岩下志麻という女優のフィルモグラフィの中で「傑作」とは絶対に言いませんが、「怪作」であることは間違いない、この映画。とてもお勧めです。

ちなみに、この映画では、三船史郎の友人として、水谷豊がひっそりと映画デビューしていました。まあ、デビュー作は選べませんからね。


(なんか、とてつもなくデカイ帽子ですね)


(安保反対、楽しいなっ)


(何気に水谷豊です)

いくらおにぎりブログのインデックスはここ


前田有一の超映画批評←こちらには最新映画情報満載です
コメント (0) | トラックバック (0)

前の記事へ 次の記事へ
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
規約に同意の上 コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/325c5e0de0214a6e0a0813b6292af97a/3f
 
・送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け付けておりません