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2008-05-10 変わらないために

天才よばわり

先日のエントリは、書いたあとで激しく後悔した。

やっぱり開けてはいけないパンドラの箱だったのではないか。

このことはそっと胸に仕舞っておくべきだったのではないかと思って、それからびっくりするくらいはてなブックマークトラックバックとコメントがついて恐怖した。

なにを言われるのか怖くて、全くそうしたものを見る勇気がなかった。

なにを言ってるんだ、と思われるかもしれない。

しかしいつまでも無視し続けるわけにはいかないので、おそるおそる見てみると、同じ境遇を体験した人たちからの共感のメッセージが多かったように思う。とても救われた。なんというか、懺悔した気分だ。

いくつか、誤読というか、誤解されている部分もあるように思ったので、前回は敢えて割愛した部分について書いておこうと思う。

それは「天才は蔑称だ」という考え方についてだ。

誰かのことを天才とは言わない方が良いし、思わない方が良いと思う――とぼくは言いたい - ハックルベリーに会いに行く

天才という言葉は、生きている人にいう言葉じゃない気がする*ホームページを作る人のネタ帳


実は僕は全く同じ話を10年前にしていた。


 「誰かを天才よばわりすることは、その人の努力を全て否定することだ」


こうした過敏な反応をしていた頃の僕というのは、要するに自分が天才と呼ばれる事も、そして同時にそう呼ばれない事も、苛立たしかったからだ。

人生で悩んで来た最も重大な話について書いてしまったから、もう隠す事もないと思うので書いてしまうけれども、僕は相手が自分の知能指数のことを知っていようがいまいが、日常的に「天才だ」と言われて育った。

雑誌に記事を書いてみたら、ファンレターのようなものをもらって、それを読んで激しい怒りと衝撃が襲って来たことがあった。

天才コンプレックスが病理たる所以は、こういうところだと思う。

自分は天才なのかもしれないし、天才でないのかもしれない。

しかし環境だけは天才として揃えられていて、けれども自分の知能指数についておおっぴらにひけらかすことは無意味だし、だいいち、それをしたところでクラスの連中と話があうわけもない。

小飼さんのエントリーと似た体験は僕もしている。

1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。

それだけならまだよかったが、クラスの連中は


 「まいすってなんだよー まいーすーー」

 「かっこつけてへんな言葉考え出してんじゃねえよ」

 「1から2がひけるわけねえだろ」


と授業中になじられた。

先生は彼らの間違いをただすどころか、「りょうが間違ってる」と譲らなかった。あとから思えば、彼の専門は国語だった。


僕は私立の幼稚園で簡単な四則演算は習っていたし、幼稚園のバスのなかではおさるさんの歌を「アーイアイ、アーイアイ、ガウース平面だよー」と歌うのが流行るくらい、数学は身近なものだった。iが虚数というのは常識で、1から2をひけばマイナス1になるのも当然だった。親父は休日にヒマをみつけては数学を教えてくれていたし、三角関数三平方の定理を習ったのもその頃だった。

そんな環境からいきなり公立の小学校に入ったらこの仕打ちである。


 「パパが教えてくれたもん」

 「おまえのパパは気違いだ」


今では想像出来ないかもしれないけど、当時の僕は口べたでうまく反論出来ず、結局殴り掛かるか表現方法をしらなかった。

大学附属に転入したときも同じで、いや、もっとひどかった。平均的な学力は公立より低かったのだ。隣の席の男の子がワークテストで60点を取って平気な顔をしていて、それにもいたく衝撃を受けた。僕はなんのために編入試験を受けてここに来たのか。


彼らからひとつだけ学んだ事は、詭弁の上手い奴が場を支配するということだった。

とにかく、どんな全うな主張も詭弁の連鎖によっていいくるめられてしまう。

僕はほとんど口喧嘩で勝つ事が出来なかった。

とんでもない方向から嫌がらせの言葉を思いつく彼らに呆れつつも感動した。

友達と呼べるのはコンピュータだけだった。

クラスで浮いてる連中同士で固まって、いつもコンピュータと哲学と児童小説の話ばかりしていた。今風にいえばライトノベルだ。富士見ファンタジアとか、コバルト文庫とか。


同級生が毎日野球やサッカーで遊んでいる間も、コンピュータにかじりついていた。

なにもかも転校が悪い、とまでは思わなかったけど、それでもコンピュータにかじりつく時間、それに関連する本を読む時間はどんどん増えて行った。

学校の隣に私立図書館があって、そこにあったコンピュータ関連の本は一年ほどで読み終えてしまった。それしかしないんだったら、子供にだって可能なのだ。

読む本がなくなって、山の上にある大学の図書館まで自転車をこいで、そこにある本も読みあさった。しかしほとんどの本は古すぎて役に立たなかった。

BASICで3Dのプログラムを書いたのは3年生の春だった。でも遅すぎてとてもゲームみたいなことはできなかった。

行列の計算の仕方がよくわからなくて、担任の先生に相談したら、「おれにもわからん」とさじを投げられた。あとで思えばあの先生は社会科が専門だった。

また別のときに、四則演算だけで三角関数を実現する方法を聞きに行ったら「そんなことは不可能だ」と言われた。

もちろんこれは嘘だったが(級数展開をするだけ)、当時のまだなにもしらない僕は先生の言う事は素直に従うしかなかった。

結局、先生は全くあてにならないので、学校の机で悶々としていたら、同級生がそれをみて、「僕のパパはよくそういう絵を書いてる」と言うので、彼のパパに相談したら、大学の教員で、その行列を平易な式に変換してもらうことができた。

それをアセンブリ言語に直して、プログラムを書いた。

リアルタイムで3Dのワイヤーフレームが表示できるまで、勉強を始めてから実に五年を要した。

それからとうとう読む本がなくなってしまい、だったら自分で書いてしまえ、と記事を書いて雑誌に投稿した。

若気の至りとしかいいようのない内容で、今となっては赤面ものだが、とにかくそれは10ページの特集として掲載された。

その特集の末尾に、3Dに興味がある人は手紙を下さいと実家の住所を載せた。

そこで届いたファンレターのようなものに、「あなたは天才だから」とあったことに衝撃を受けた。

そんな馬鹿な。僕は産まれた瞬間からオイラー角やマクローリン展開を知っていた訳じゃない。そもそも当時、3Dをリアルタイムで表示するというテーマの文献はほぼ皆無だった。

そんななか、習った事もない数学の本や、コンピュータの本、カメラの本や絵画の本、一見すると関係ないバラバラなそれぞれ専門分野について書かれた本を丁寧に調べて行って、コードを書いてはつまづき、調べてはまた悩むといった艱難辛苦を乗り越え、やっとの思いで作り上げたものを、「天才」の一言で片付けられては冗談じゃない。

もともとの天才コンプレックスがあったために、この言葉は必要以上の衝撃となって僕を襲ったのだった。

とはいえ、自分や他人が天才と呼ばれて狼狽えるのは、若いうちだけだった。年を取るにつれ、人の才能や資質というものが残酷なまでに人生を分岐させ、それが当たり前の状態として受け入れられるようになると、天才という存在は事実としてあり得る、ということも解ってくるのだった。


それは生まれつき足が速い、うまれつき目がいい、うまれつき顔が奇麗、といったものと同様、人間が有機生命体という物質的構造を持っている以上はその物理的特性は変えられない事実であって、人間の脳はわずかな出血がおきただけでいとも簡単に思考力を奪われてしまうのだから、わずかな構造の違いが結果として大きな思考能力の差を産んでしまうということは、やはり事実なのではないかと思う。

100mを10秒台で走る人がゴロゴロいたからって、100mを9秒台で走る人もゴロゴロいるとは限らない。

だとすれば100mを9秒台で走れる人はやはり素質があるのであって、これは努力だけではどうにもならないことだ。

子供の頃はそれを認めたくない。全ての人が平等であると教えられるし、それが正義であるかのような価値観のもとで育つからだ。

しかし実際には全ての人は生まれながらに平等ではないし、それあたかも平等であるかのように扱うのは欺瞞だと思う。

人は皆、平等なチャンスを与えられるべきだが、平等な生き方を選択することはできない。僕は倒れた親父を放っておいて好きな仕事に専念することはできないし、社員を放り出して一人で自分探しの旅にでかけることもできない。

これが持って産まれた宿命だし、仕方のないことだと思っている。ひとはみな、それぞれ宿命を背負っているはずで、その重さは平等ではない。平等だと言う人がいるとすれば、それはそう思いたいだけなのだと思う。

MMORPGを考えてみよう。

MMORPGは人間の理想世界をモデル化したものである。

人は皆平等に産まれて来て、平等に育って行く。

しかし実際には人間は平等にゲームに時間を使える訳でもない。

友達同士で始めても、お互いのレベルがどんどん離れて行ってしまう。

あまりにもレベルが離れすぎて一緒に遊ぶ事すら難しくなってくると、お互い、別のパートナーを見つけて楽しむのだ。


人をふくむあらゆる生物にとって平等なのは、数学と、物理法則だけである。

少なくとも僕は科学者として、そう信じている。


天才が天才的な仕事をこなすにも、凡人が卓越した仕事をこなすにも、どちらの場合でも相応の努力が必要で、それは物理的制約に縛られる。

どれだけ高性能なエンジンを持っていても、道路がなければ走れないし、どれだけ高性能なコンピュータでも、データがなければ置物である。

データを取得するには物理的な時間がかかるし、データの取得速度そのものも光速を超える事はない(少なくともいまのところは)。紙でもディスプレイでも、その情報が発信元から視神経に伝わるのに光速の制約を受けるし、そもそも人間というのはコンピュータよりもずっと計算が遅いのだ。

あとはとにかく努力するだけだ。

努力に時間を使わない人はそもそも卓越した仕事を成し遂げることはできない。しかし、当然ながら、それは大前提なのである。これが「天才よばわり」してもいい理由だ。


卓越した仕事をする人間が全て天才であるというわけではないと思う。

卓越した仕事を成し遂げ、なおかつそれが革新的であったときに、その運命を含めて「天才だ」と呼ぶのが最大級の尊称なのだ。

人は誰でも天才になる可能性を秘めている。それは革新的で卓越した仕事を成し遂げるチャンスを平等に持っているからだ。

IQが高いとか低いとかが、仮に事実だとしても、それだけでは天才を構成するには足らない。

それを前提に、卓越した仕事を成し遂げ、それが革新的であるとき、天才という尊称は与えられていいと思う。


僕はIPA未踏ソフトウェア創造事業で長尾先生から「天才プログラマー/スーパークリエイター」に推薦していただいたが、その瞬間、僕は辞退しようと考えた。

天才コンプレックスの成せる技である。


でも、そもそも辞退すること自体も傲慢であるような気がして、それにこのプロジェクトに関わった僕以外のスタッフの努力に対する冒涜であるかもしれないと考え、その称号を受け入れることにした。

大学を出ていない僕にとって、この称号は唯一第三者が僕の知性を保証するものとして機能してくれたのである。そういう意味ではこの制度に救われた面は大きい。


僕は商売人だから、いくらでも自分の仕事を「革新的だ」と売り込むことをする。

ただ、一人の科学者として自分を振り返った時に、それが本当に革新的であるかどうかわからない。

そもそも本当に革新的なものというのは、びっくりするくらいくだらないものであることが多い。

e=mc^2だって、その式だけを見たら適当に書いたと言われても疑わないと思う。

a^2 + b^2 = c^2もそうだ。


天才の仕事というのは、凡人に理解できないものだ。

天才というのは、凡人に理解できないことにエネルギーを傾け、具現化するのである。

それ故に天才である。

天才だからそれを具現化できたのではなく、革新的で卓越した仕事そのものが天才の所業なのである。天才の所業を成し遂げた人間は、さかのぼれば天才と評する他ない。物理学で言う、時間軸的に遅延波とは逆向きの成分を持つ、先進波のような考え方だと思っていただければ良い。


中嶋さんのgumonji、小野さんのData spider、鈴木健さんのpicsyに比べると、残念ながら僕が作っているものはものすごく当たり前でつまらないものばかりだ。売れるべくして売れる商品など、さほど革新的というわけでもないのである。売れるということは理解されるということだから、凡人の理解を超えては居ないのだ。だから僕が誰かを天才よばよりするとき、その意味の中には「自分の理解を超える」というニュアンスが含まれている。それは結果そのものでなくても、たとえばアプローチが斬新であるとか、発想の原点が常軌を逸しているとか、なんでも構わない。


「理解を超えているが、何となく良さそうだ、アプローチも新しい」というものを作れる人間こそが天才なのだと思う。

「この手があったか」という程度のものを作るのは、努力次第でどうにかなる。もちろん努力の積み重ねがなければ天才だろうがそうでなかろうが卓越した仕事はできない。努力だけでは超えられない壁を超える仕事をしたときこそ、それは天才の所業と呼ばれるのだ。


だから僕が誰かを天才と呼ぶき、それは努力を含んでの褒め言葉だし、多くの人がその言葉で人を褒めるとき、やはり努力も含まれていると考えるべきだと思う。

そして良い大人になった人が、いまさら天才と呼ばれたくらいで狼狽えるわけがないと思う。そんなことで狼狽えるのは、まだ自分にその自覚や自身がない、天才に成りきれない高IQ保持者か、その類型であって、ひとつかふたつ、卓越した仕事を成し遂げたならば、いまさらなんと言われようとどうでもいいというのが大人の天才ではないだろうか。

少なくとも僕はいまだにそう言われる事はあるけれども、そういうときは「天才のふりをする才能が天才的なんです」とかわすくらいの余裕はある。

僕より年上の彼らが天才呼ばわりされて困ることはないだろう。

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