「天国からのラブレター」は、そんな人生の汚点、決して人様には見せられない恋愛中の醜態を、よりによって最愛の夫に暴露されてしまった不幸な女性の物語である。彼女の名は本村弥生。既に故人だが、その死に方も不幸だった。彼女は少年に殺され、そして死姦された。一緒にいた赤ん坊もそのとき彼に殺されてしまう。それだけでもこれ以上ないほど不幸。でも彼女の不幸はそれだけでは済まなかった。死後、彼女は夫からセカンドレイプに等しい辱めにあう。生前、まさか人の目に触れるとは夢にも思わずしたためていたであろう夫への手紙、夫婦の交換日記などを、あろうことか勝手に公開されてしまうのだ。それがこの「天国からのラブレター」である。死者に人権はないのだと今更ながらに思い知らされる戦慄の出版物だ。もしわたしが同じことをされたら死ぬ。もう死んでいたとしても死ぬ。007は二度死ぬが、ポエムを公開された女も二度死ぬのである。
大袈裟だと思うだろうか。ポエムを公開している女なんて、それこそ山ほどいると反論したくなる人もいるかもしれない。しかし、ブログ等で書き綴られているのは対他人向けのポエムである。対恋人向けのそれとは質が違う。対他人向けとして公開されているポエムの中には、端から見ると、対恋人向けであろうとも決して許されないレベルのものも確かにある。というか、そんなのだらけだと言ってもよい。でも、それでも、本人はおそらくその恋愛中に特有の醜いナルシシズムを抑えているつもりなのだ。恋愛中のつがいの醜さはダダ漏れのナルシシズムにある。そして、そのナルシシズムのわかりやすい発芽がポエムである。抑えようとしても抑えられないそれを、女はポエムに綴る。その際、対他人向けなら人に優しくない、本人たち以外は絶対に不愉快になるだろう戯言は控える。少なくとも控えようとはするだろう。しかし、恋人には大放出させてしまう。だから、恋人に宛てた女の手紙やメールはたいてい信じられないほど醜い。どうしよう、とわたしは思った。
この本を読み始めたとき、どうしよう、とまずわたしは思った。いっぱしの偽善者として、どうしようと。著者は殺人事件の被害者とその遺族だ。不幸な人々だ。幸せな家庭を、人生を、一瞬にして奪われた悲劇の主人公たちだ。これを嗤ってはいけないのではないか。腹を立ててはいけないのではないか。だけど正直、腹が立って仕方がない。どうしよう。そんな、どうしよう、だった。それが、そのムカムカが、勝手にポエムを公開したバカ夫にだけ向けられているのならばまだ良かった。はっきりいうけれど、こんなものを本人の承諾もなしに世間に公表するなど立派な人権侵害である。セカンドレイプである。死んでも死に切れないわけである。夫は最低だと思う。感動しました、泣きました、とか書いてるアマゾン・レビュワーも最低。おまえらはほんとうに人の不幸が好きだな。もちろんわたしも好きだが、己の醜さを感動にすり替えて奇麗に着飾ろうとなんてしないぞ。おまえら最低。サ・イ・テー。本のなかで他人がレイプされたり、殺されたり、家族や恋人を失ったりするとすぐ「感動しました」「泣きました」なんだから。仮に犯罪被害者とその遺族という要の部分を差し引いてゼロにして、この本を読んだとしたらどうだ?どうだった?感動したか?
おまえらは悲劇をスパイスにしたうえで他人のラブレターを読み、そのスパイスに刺激されて涙を流しているに過ぎない。スパイスがなかったとしたら、これはただの惚気だ。赤の他人の退屈な惚気だ。それ以上でも以下でもない。どんな感動だよ、どんな涙だよ、と思うが、そんなことはどうでもいい。わたしだってよくやる。人様には触れ回らないけれども、そんなことは誰でもやっていることだ。問題はバカ夫や感動屋レビュワーだけではなく、二度までも殺された超不幸な女性、本村弥生にまで腹が立ってしまったということだ。この本は殺人事件の被害者、本村弥生さんの夫、洋の自己満足のためにまとめられたものであり、また洋のエゴにより世に出た作品である。作品っていうか、作品でもなんでもないんだけど、こんなの。だって、一組のバカップルの交換日記とお互いに宛てた膨大な量の手紙が、ただ工夫もなく収録してあるだけなんだから。それに事件のことと、洋の回想が少し書き加えられているのみ。解説もないし、たぶん加筆も修正も施されていないだろう。単なる恋人間、夫婦間で交わされたポエムの応酬だ。こんなものが面白いわけがない。大半はどうでもいいことであり、残りはどうでもいいにもほどがあることである。
だんご三兄弟のぬいぐるみを買っちゃったとか。このへんではどの店でも売り切れらしいから買えたのはラッキーだったとか。だんご三兄弟はまだいい。そんな時代もあったねと昔を懐かしむことができる。そういえばそんなの流行ってたよなーみたいな。しかし、明日「くにひろ薬局」で洋に買ってきて欲しいものだとか。それは液体アタックの詰め替え用だとか。液体アタックは248円だとか。日曜日の夜はグラタンを作るねだとか。ゆかは先週から門司港の「エキサイカイ病院」に勤めているらしいねとか。今日の体重は46kgだったとか。血液型占いにB型の男はO型の女に弱いって書いてあったよとか。嬉しい知らせがあります、扇風機が直りましたとか。もうすぐ家の近くにセブンイレブンができるんだよとか。知ったことか!!という話しなのである。だいたい「くにひろ薬局」って何処だ。ゆかって誰だ。バカじゃねぇのか。こんなのそのまま本にして。出版社もどうかしている。編集もどうかしている。何処のマイナー出版社かと思ったら、新潮ですよ、皆さん。ビックリするわ。今年いちばんビックリしたわ!!興味ねぇっていうの、バカップルの毎日の買い物とかテレビドラマの感想とか愛してる好きだキスしてねHしようねだのそんなの。
しかも、もともと洋は弥生の親友と付き合っていたそうで、よくその3人で遊んでいらしいのだが、実はほんとうは弥生が好きだったという。でも弥生はモテそうだから彼氏も当然いるだろうと思い、弥生の親友とは妥協で交際していたということだ。でもあるとき、3人で飲んでいたら親友が酔い潰れてしまった。洋は弥生とふたりきりで話しているうちに感情を抑え切れなくなった。そして自分の気持ちを告白した。すると弥生も実は洋が好きだったというではないか。そこでふたりは熱いキスを交わし、目出たく付き合うことになったわけであるが、ふつう、そういうことを書くかね?さぞかし気持ち良かったことでしょうね、優越感と罪悪感が混じり合った、最高の接吻だったことでしょうよ。だけど、おまえらが気持ちいい分だけこっちは不愉快なんだよ!!その親友と恋人に裏切られた可哀相な女性は、今どうしているの。生きているのでしょう。この本を読むかもしれません。
なにを考えているのかと思う。この本村洋という男は。弥生さんが書いた元親友(結局、最終的に仲違いしたようだ。当たり前といえば当たり前だが)への愚痴、あの子には赤ちゃんを見せたくなかったとか、彼氏を取られる方も悪いのにまだねちねち文句を言っているらしい、ムカつくとか、そんなのまで公開しちゃってるし。奥さんも元親友も浮かばれないだろう。元親友は当然だが、傷つく。それに、これを読んだらどうしたって弥生さんに腹が立ってしまうし、嫌な女だと思ってしまう。だけど、べつにこんなのごくふつうの性格の悪さであり、誰だってこの程度には嫌な奴であって、ナルシシズムを許容してくれる恋人の前なら尚更、好き勝手に放言もするものだ。だが、それはわかっていても抑えられない嫌悪感。これもやはりどうしようもない。すべては公開した洋と出版社が悪い。弥生さんはふつうていどに性格が悪いだけだ。だけど、やっぱりムカつくものはムカつく。どうしよう、が、どうしてくれよう、に変化するくらいにだ。まあ、洋には更に倍でムカつくわけだが。だってこの男、こんなことまで書いているんだよ?!
『女性は襲われたとき、自分の命を守るために、凌辱に甘んじてしまうことがあると何かで読んだことがあります。「激しく抵抗し続けて殺されるくらいなら」と頭で考えて抵抗を止めてしまうのではなく、死への本能的な恐怖かが抵抗をやめさせるらしいのです。 しかし、死への本能的な恐怖すら乗り越えて、弥生は激しい抵抗を止めなかった。最後の最後まで凄絶に拒否し続けた。そして、その懸命の拒絶によって命を失ってしまった。弥生は私を心から愛してくれていました。だからこそ、犯人に対して最後まで必死に抵抗したのに違いありません。弥生は私以外の男に体を汚されることを、命を賭して拒絶したのです。最後まで、私への愛を貫く道を選んでくれたのです。たとえ自分の命を落とすことになっても、必死で弥生は抵抗し続けたのです。妻はそういう潔癖な女性でした。私はそんな弥生を、今でも誇りに思って生きています』
ゾッとした。鳥肌が立った。だって洋は、もしも弥生さんが殺されず、助かっていたとしたら、レイプされたことをずっと責め続けるんじゃないかと思ったからだ。実際に口に出して責め立てるかどうかはわからない。でもそうしないまでも暗に責め続けるのではないかと、わたしはそう思った。この人の言い草は、レイプされるくらいなら、死ね、と言っていることと等しい。
*あと、全然「天国からのラブレター」じゃねぇし!!
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