亡命チベット人憲章
ダライ・ラマ法王による「将来におけるチベットの政治形態の指針と憲法の基本要点」(1992年1月)
序説
もとより未来を予見する事は誰にも出来ないが、それに対する計画を立てて準備する事は、災難を免れ幸福を願うすべての人の努めである。チベットを襲った悲しむべき出来事の結果、チベット人には今もっていかなる人権もないが、このような忌まわしい事態が長く続く事はあり得ない。チベットは2000年以上の歴史を有する国家であり、独自の文化・言語・服装・習慣等を発展させてきた。 チベットは、宗教と政治を巧みに調和させた制度の下で、歴代の王とダライ・ラマによって統治されてきた。そしてこの制度が国民と平和と繁栄さらに幸せの享受を保証していた。
今世紀半ばに、中国の共産党政権がチベット東部のドトゥー(カム)、ドメー(アムド)を越えてチベットに侵入し、日毎に抑圧の度合いを強めるに至って、チベットの政治状況は極めて深刻な事態を迎えた。その結果、私は望むところでは無かったが、16歳という若さでチベットの政治的かつ宗教的指導者となる事を余儀なくされた。私は、チベット国民が今後とも平和と幸福を享受し続けられるように、侵略の機会を窺っていた狂信的な中国共産党の指導者達と何とか友好的な関係を築こうと必死の努力を重ねた。それと同時に、どのような事であれ必要ならば、チベットの既存の制度を改革しようと努めていた。
段階的に民主主義を導入すべく50名からなる改革委員会が発足し、その提案に基づいて社会福祉の面で幾つかの点が改善された。さらに改革を推進しようとした私の努力も、ついに中国の植民地主義的な圧迫に抗し切れなくなり、挫折せざるを得なかった。十分な兵力をチベットに展開し終えるや、中国共産党は私達に対する以前の友好的態度をかなぐり捨て、露骨に圧力を加えはじめた。ついに1959年、チベット史上初めて全土が征服されるに至り、私はチベットの国家・宗教の遺産を破壊から守るため亡命する他はなかった。そしてインドに着いてからは、以前にも増してチベットの政治体制の民主化が極めて重要であると考えるようになった。
この考えに従って私は1960年にチベット人民代表会議を設立し、これまでに11回の会議が開催された。また私は1961年に、将来のチベットに適用されるべき民主主義の基本的諸原則に合致した憲法を公布した。その後、この憲法に対する亡命チベット人の間の意見が求められたが、憲法の全条項は圧倒的な支持を受けた。但し、環境が整えば法的手続きに則りダライ・ラマの権力を廃止することが出来るという条項だけは別であった。
1963年には出来る限りチベット亡命政府を民主化する目的で、より包括的な憲法草案が公布された。この憲法草案に基づき、チベット人民代表会議は僧俗の官僚指名に関する以前の制度を廃止し、民主的な政府機構に合わせて新しく政府職員が指名された。この憲法草案では、国益の観点からダライ・ラマの権力を摂政会議に委任することが出来るとしているが、全般的な状況を勘案してダライ・ラマには引き続き最高行政権力が付与された。しかしながら私は、この体制が十分に民主主義を実現しているとは思えなかった。
1969年3月の演説で私は、チベット人が自ら政治的運命を決することが出来るようになれば、その時点でチベット国民は自ら望む政治形態を決定するであろうと述べた。私はまた、ダライ・ラマを最高権力者とする政府形態の存続については予測することが出来ないとも述べた。
1963年に憲法草案が公布されて以来かなりの歳月が経過し、その間民主主義・自由・正義の重要性が世界中でますます認識されつつある。とりわけ全体主義的な独裁体制の下にあった東欧諸国がすべて自由と民主主義に向かって行進している。抑圧的な体制の下で暮していた人々がついに念願の自由と独立を獲得し、今や大きな変革が始まっている。その一方40年間に及ぶ圧政に苦しみ、今もってあらゆる自由を奪われているチベット人は、自由と独立を獲得するために不屈の精神で抑圧に抗して闘い続けている。また亡命チベット人社会では政府も一般人も祖国の独立を目指して活動する一方、民主主義の実際的な経験を精一杯重ねつつある。今日、チベット人の運動の正当化がますます国際社会に認められつつあり、各国政府・民間団体・個人のチベットとその人々に対する関心と支援も一層高まった。これらすべてを考慮すれば、今から十数年もすれば国内外のチベット人の正当な願望が実現することは疑う余地がない。
国内外のチベット人が念願の再会を果した暁には、チベットはその固有の3州から構成される単一国家となるだろう。そしてその国は自由と民主主義の諸原則に基づき、慈悲つまり愛と共感を大切にする釈尊の教えに導かれる国家であろう。また国家の政策は公正と平等の原則に従うべきである。チベットは十分な環境保全が計られた平和地帯となる。チベットの政体は立法・司法・行政の各機関が独立し、それぞれ平等の権力と権威が付与される。またチベットは複数政党制の議会制民主主義国家となるだろう。この議会制民主主義制度に基づき正当に選出されたチベット市民が国家元首となり、国家に対して責を負うことになる。既に繰り返し述べたように、チベットはチベット人のものである。とりわけ現在チベットに居住しているチベット人のものである。従って将来の民主化されたチベットにおいては一般的に言って、現在チベットに住んでいる人達は経験・知識に富んでいるため、将来の政府の運営に関して重要な役割を演ずることになろう。してみれば、彼等も将来に対する不安や疑念を捨て去り、当面は行政の質の向上を目指しつつも、チベットの自由を回復すべく献身することが求められる。
威圧的な中国人の支配化では、意に反することを口にし行わざるを得なかったチベット人もいるであろう。しかしながら、そうした過去の行いを追求しても何も得るものは無いと私は考える。チベット人全体の幸福こそが大切であり、これを実現するため私達は一丸となる必要がある。
すべてのチベット人は、実質的にあらゆる自由を奪っている現在の全体主義を、大多数のチベット人が望んでいる民主主義的なチベット政府の下では旧来の制度で保証されていた政治的地位は一切引き受けない決心をしている。
これには理由が無いわけではない。チベット人一般が私に大きな信頼と希望を寄せ、私もまた政治的にも宗教的にもチベット人のために献身する決意を抱いていることはよく知られている。将来、政府の中ではいかなる地位を占めないとしても、やはり私は一種の公人であり、既存の政治制度によっては解決できない特別に困難な問題の解決に寄与することができるだろう。また国際社会の中で他の諸国と対等の地位を占めるためにも、チベットは1人の特別な人物ではなく国民の集団的意思に基づく国であることが肝要である。チベット人は自らの政治的運命を自分達全員で決しなければならない。それ故、チベット人一般の長短期の利益を考え、また決定的な重要性を有する多岐にわたる諸問題を考慮して、私はこの決意を固めたのである。従ってチベット人の人々は、私がチベット人共通の利益を実現するために尽力すべき責務を放棄したのではないかと気に病む必要はない。
抑圧的な中国の支配を脱してチベットがその自由を回復した後も、憲法が制定されるまでの移行期間においては、既存のチベット政府が職員そのままに活動を続けるだろう。この移行期間の暫定国家主席として大統領が任命される。この大統領には私が現在有している政治権力がすべて付与されるであろう。それと同時に亡命チベット政府はその昨日を停止して解体され、その職員はチベットの問題に関して一般チベット人と同様の責任を有するに過ぎなくなる。
亡命チベット政府の職員は以前の役職により何ら特別な権限を与えられはしないが、暫定政権において職務を務めることが適当と考えられ役職を提供された場合にはこれを受けることが出来る。暫定政府の主要任務は憲法制定議会を召集することである。憲法制定会議はすべてチベットの各地域を代表する議員により構成され、議員は、暫定大統領の同意の下に私が任命するチベット憲法草案作成委員会が当地(亡命先)で作成する憲法草案に基づき憲法を完成させる。この憲法草案の規定に従い大統領は自ら独立機関を設立する権限を与えられ、これらの機関の多くは、新政権の選挙後に法律に従い制度化されるだろう。選挙委員会の設立に当たっても委員長は暫定大統領が指名する。
現在、自由チベットのための総合的な民主憲法草案が作成されつつある。これを完成するのはチベット各地の代表者からなる自由チベットの憲法制定議会である。チベットがどのような民主主義政府を作ろうとしているのか知ってもらい、それに対する様々な意見を喚起する目的で、私はここに自由チベット憲法の概要を発表する。
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