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2008年5月 9日 (金)

偽善9条教を数学的に論破する!

 福田首相は胡錦濤主席との日中共同声明で「チベット問題」には何一つ触れず・共同記者会見でも

 「4日のダライ・ラマ14世側との対話を評価する」

 と素っ気無い・・・coldsweats02

 おまけに野党である民主党の小沢代表も

 「胡主席のリーダーシップを見習いたい」

 と言うばかりで「チベット問題」には一切触れていない。

 何と言うことか!?

 日本の政治家と政党に

 気概のある者はいないのか!?

 情けない・・・shock

 今回の騒乱で200人以上ものチベット人が殺されたのに「苦言の1つも無い」のでは「日本は民主主義国家」と言えるのか!?

 (早稲田の学生安倍元総理だけは頑張ってくれたようだが・・・)

 与党が頼りないのは分かっていたが 

 「野党はもっと頼りない!

 これでは

 国民は次の総選挙で何処に投票したら良いのか分からない!?

 でも

 皆さんはここには安心してクリックしても大丈夫だよ!

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 極論を言うと

 「日本人は数学的思考法が苦手」

 だからこうなる。

 「ああなれば・こうなる」

 「こうするには・ああしなければならない」

 ではなく

 「願えば実現する」

 と考えるのが日本人だからだ。

 まぁ・・・「言霊の国」だからね。sad

 しかし西洋人も

 マルクスが「失業を無くすためには資本主義を廃止しなければならない」と言ったのを

 「資本主義を廃止して社会主義になれば失業は無くなる」と勘違いしてしまったのだから

 日本人ばかり責められないけれど・・・coldsweats01

 

 さて数学には

 「問いはあるが解は無い」

 という例は結構ある。

 1番有名なのは「定規とコンパスだけで角を3等分する」という問題だが 

 「n次方程式は、複素数の範囲において、必ず解(根)を有する」(ガウスの大定理)

 というのもある。

 ところが・これを発見したのは良いのだが

 1825年にノルウェーの数学者:アーベルが

 「5次方程式は代数的には解けない」(アーベルの定理

 ことを証明してしまった!

 (2次方程式からは虚数:自乗して-になる数が必要になる)

 数学でさえ解けない問題があるのだから

 「政治で解けない問題」など幾らでもあるのが常識なのだ。

 

 数学の証明法の1つに

 対偶(たいぐう)

 というものがある。

 簡単に言えば

 「犬は動物である」 ←命題

 「動物でなければ犬でもない」 ←対偶

 ということだ。

 この場合「正(の命題)と対偶は同値である」と言う。

 「どちらを証明しても良い」(両方成り立つ)

 ということだ。

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 これを現在日本の平和主義者たちが言うところの

 「日本国憲法第9条」に当てはめるとどうなるか?

 「9条があれば平和になる」 ←命題

 「平和でないのは9条が無いからだ」 ←対偶

 これは論理的におかしい!?

 「ローマの平和 Pax Romana」とか Pax Americana とかがあるからだ。

 第一・9条が出来たのは1946年のことだから

 「それ以前の平和」は説明が出来ない。

 人類史に平和な時代はいくらでもあったからだ。

 よって「9条があれば平和になるという命題」は証明できない!

 つまり

 「9条があっても戦争は防げない!」 

 ということでもある。

 

 数学的に付け加えると

 「ある命題が真であれば、その対偶の命題も真である」

 から

 「ある命題が偽であれば、その対偶も偽である」

 となる。

 さらに・これは

 「一方が真であれば、他方も真である」

 「一方が偽であれば、他方も偽である」

 とも言い換えられる。

 よって9条も

 「9条の対偶:平和でないのは9条がないからだ」が偽なのだから

 「9条の命題:9条があれば平和になる」というのも

 偽である!ということになる。

 ↑これが「数学的思考法」である。

 (左翼の方・お分かりかな?)

 

 また

 9条平和主義者たちは

 「9条を世界に!」と言う。

 しかし

 日本人は「願えば実現する」と垂直的に・お気楽に・希望的観測で考えるが

 西洋人は「その必要条件は何か?十分条件は何か?」と数学的思考法で厳重に考える。

 両者は「水と油」であり

 「9条が世界に絶対に広まらない」理由なのである。

 

 さらに

 数学的証明法を無視した証明法は

 宗教(的証明法)であるから

 「9条は日本国憲法違反」となる。

 だから

 「(9条を)信じる者は救われる!式の非合理的・前近代的なやり方は止めた方が良かろう。

 「宗教は阿片である!」と言い

 科学万能であるはずの左翼がこれを使うのは二重の意味でパラドックスである。

 

 「9条教の信者たち」は

 「チベット問題には一切言及しない」ように

 平和運動ではなく・所詮は左翼運動であり

 「独裁国家:中国や北朝鮮の軍拡を支持し

 その世界制覇を助けるために9条を利用しているだけ」

 なのである。

 偽善である!pout

 如何なる理由があろうとも 

 「(中国の)軍事弾圧を平和と偽り悪用する」ことは許されない!

 「無辜のチベット人が虐殺されることを見逃すことを

 平和とは到底・呼べるものではない」

 のであるから・・・

 

 では

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Photo  なお今回の記事は

 小室直樹著

 「数学を使わない数学の講義」(WAC出版)

 「数学嫌いな人のための数学」(東洋経済新報社)

 を参考に制作いたしました。

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コメント

こうやってゴチャゴチャやってる内に頭が混乱してきて間違いが正しく、正しいことが間違いに思えくると。あまり手の込んだことやると掻き回されるばっかですよ。なんたって相手となる護憲派は数学的思考法が出来ないバカですから。

投稿 sadatajp | 2008年5月10日 (土) 01:46

sadatajpさん
 「外国には憲法X条があるから平和」
 なのかも知れません。
 X条か?9条か?
 特定できないので証明にはなりません。
 要するに対偶とは
 AはBである・・・正
 BでなければAではない・・・対偶
 ですから
 「9条以外では平和にならない」
 では間違いです。

投稿 柳生昴 | 2008年5月10日 (土) 00:59

「9条があれば平和になる」の対偶は「平和でなければ9条もない」です。この証明は簡単です。そして理論的に正しい。現実の世界でも平和でないところには9条がない。正しい。

平和は欺瞞含みですがw

投稿 sadatajp | 2008年5月 9日 (金) 23:21

sadatajp・さん
 たしかに「平和の定義」をどうするか?
 でしょうね。
 「釈迦の一族が皆殺しにされた」?
 例もありますが
 私は「平和とは平穏に生きられて殺されない状態」と考えますから省かれると思います。
 
 ただし今回は
 「対偶による証明」の場合です。
 sadatajpさんのは「文学的な証明」ですね。
 数学的思考法では
 「他の理由がある」と考えますから
 やはり「9条平和主義」は数学的には成り立ちません。
 それに
 「証明と論理は数学が基本」ですよ。
 
P・さん
 そうです。そこが大事です。
 「逆で裏でも同値とならない」
 答え「シャツを逆にして裏返しに着ても正しい着かたではない」
 ・・・座布団3枚!happy01

投稿 柳生昴 | 2008年5月 9日 (金) 22:49

内乱状態や無政府状態は平和ですか。

ナチスが一方的にユダヤ人を虐殺している状態であるアウシュビッツは平和だったのだろうか。

中共に侵略されたチベットは平和?

9条カルト信者は、きっと平和とお答えでしょう。

普通に考えれば、

戦争でない状態=平和

は成り立ちませんね。ここが詭弁。


ところで、逆で裏でも同値とならないことがあります。なんでしょう?


シャツを逆にして裏返しに着ても正しい着かたではない。

投稿 P | 2008年5月 9日 (金) 20:55

9条があれば戦争は防げます。(もちろん9条キッチリ守れば)
戦争というのは二つ以上の勢力が互いに攻撃しあう状態。
一方が攻撃しても他方が攻撃しなければ互いに攻撃しあう状態である戦争にはならない。
攻撃を禁じる9条があれば互いに攻撃しあう状態になることはなく、戦争にはならない。
よって9条があれば戦争は防げる。

9条があれば戦争は防げる。
だから9条があれば戦争でない状態である平和になる。
よって「9条があれば平和になる」は正しい。


上記は論理的には正しかったりするんです。ただし“平和”の意味は変なのですがね。
考えを組み立てていく時とその考えを説明する時、またそれを理解しようとするときには数学的思考法でよいのだけど、詭弁を暴く時には数学的思考法でなく、言葉の意味から解き明かした方がいいです。誤魔化しの多くは言葉によるものですから。

投稿 sadatajp | 2008年5月 9日 (金) 19:55

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