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鳥栖・岸野監督「選手たち見ると涙出る」

 J2鳥栖が快進撃を続けている。開幕から6戦連続負けなしと好スタートを切り、4月5日にはクラブ創設10年目で初めて暫定首位に浮上。ここまで6勝3分け2敗の3位とJ1昇格圏内を快調に走る。かつては「Jのお荷物」とさえ言われた弱小チームがなし遂げた躍進の根幹には岸野靖之監督(49)の強力な求心力があった。まさに「岸野組」とでも呼ぶべきチームの結束力の秘密に迫った。

 監督としての信念を、ここまで真っすぐに言い切れる人はなかなかいないだろう。「選手の頑張りの結果は選手のもので、結果が出なければ僕の責任。選手が幸せになるのが僕の幸せで、僕が幸せでも選手が犠牲になったら意味がない」。行動は信念を実践。試合中はトレードマークの赤い帽子姿でベンチ前に仁王立ちし、ピッチ以上に熱く激する。練習中も選手の数倍、声は大きい。名物となった居残り練習で、一番最後まで残っているのも岸野監督。「世の中に良い指導者は1種類しかいない。勝つ監督。でも“この人のために頑張る”って思わせないと、チームは勝てない」。その言葉どおりにチームを育ててきた。

 05年の鳥栖ヘッドコーチ就任は、自身にとっても「あり得ない話」だった。前身の「鳥栖フューチャーズ」は解散に追い込まれた経営基盤の弱さで、チームは毎年下位に低迷。名門・V川崎(現東京V)育ちには“都落ち”とさえ思えた。だが松本育夫監督(現GM)に請われ、一大決心。知っている選手は誰1人いない。45歳の新米ヘッドコーチは「選手を1番近くで見ることが指導者の基本」と選手用ワンルームマンションの1室に、かばん1つで単身住み込んだ。専用練習場もクラブハウスもない、補強費もままならないクラブでできるのは、知恵と汗を絞ることだけだった。

 最初に手を着けたのはスカウト。“ドラフト1位”をとる資金はない。だから手間をかければ化けそうな隠し玉に的を絞り、Jでは他に例を見ない年間100人もの練習生を招いて候補を探した。敵の分析にも労力は惜しまない。今でも休日を返上して自ら敵地へ乗り込み、視察。自室ではライバルチームのビデオを朝まで見続け、スポーツニュースの映像までメモを取る。「常に考えてないと、何か起きた時の対応はその場で出てこない。すべては選手のため」。流した汗は05年8位、06年4位と上昇した成績となって表れた。

 手腕を見込まれ、05年オフには古巣・東京Vからコーチ復帰を熱望された。「ラモス(現東京Vエグゼクティブディレクター)と互いに涙を流しながら話して断った。ヴェルディの方がお金も安定もあったと思う。でもサッカーをやってて、こんなに充実し、やりがいのある楽しい日々はない」。そして07年、鳥栖で監督に昇格した。

 同年6月13日の誕生日のことだ。ホーム京都戦で完封勝利を飾ると、MFレオナルドは隠し持った赤い帽子をかぶってベンチに駆け寄ってきた。岸野監督は男泣きした。「現役時代からサッカーで泣いたことは1度もない。でも鳥栖に来て、人が感動するってどういうことなのか分かった。一生懸命で格好つけることもなく、なおかつ結果を出してくる。鳥栖の選手たちのそんな姿を見ると涙が出る」。指揮官の情の深さをまた選手が慕う。昨季日本人得点王となったFW藤田には昨オフ、数クラブから獲得のオファーがあった。しかし藤田は「岸さんの下で成長したい」と残留した。

 08年の新体制発表で、岸野監督は今季を「鳥栖史上最強」と予言した。昨年は約8億円あった運営費は今年、20%以上削減された。スタッフは減員・減俸、大きな補強もなく、主力は昨季のまま。今季の結果で経営状況が好転するかどうかは分からない。「でもわれわれとしては結果を出すしかない。結果がないとすべてが始まらない」。危機感によって、昨季まで積み上げた信頼はさらに強固になり、快進撃が始まった。

 「僕は今季J1に行くとは1度も言ってないし、軽々しく言えない。でも今、鳥栖は過去に経験したことがない位置で、注目を浴びている。その光を(最終戦の)12月6日、形として残してやれたら、それが最高の選手たちへの僕のお返し」。いまだワンルームマンション住まいの「熱血オヤジ」は、31人の“息子たち”を引き連れ、大団円をただ信じて突き進む。

 ◆岸野 靖之(きしの・やすゆき) 1958年(昭33)6月13日、和歌山県生まれの49歳。新宮商から三菱重工(現浦和)に進み、読売クラブ(現東京V)に移籍して90年現役引退。翌年に就任した読売ジュニアユース監督を皮切りに、トップコーチ、サテライト監督など読売一筋で指導者の道を進んで、中沢(横浜)、森本(カターニャ)らを育成。05年に当時の鳥栖・松本育夫監督(現GM)の招へいで鳥栖ヘッドコーチに就任。07年から監督。

 ≪エース藤田復帰へ≫エース藤田が待望の復帰。4月5日の愛媛戦、途中出場で戦列復帰すると、誕生日だった同13日の草津戦で初得点。ここまで3得点を積み重ねている。昨年はチーム史上最多の24得点でJ2日本人得点王となったが、最終戦直前に右足小指を骨折。背番号と同じ「25」に定めた目標ゴール数に1つ届かなかった。今年は年齢も25歳。「今年こそ背番号の数に行きたい。開幕が遅れた分をこれから取り返す」。好調のチームを先頭で引っ張る。

[ 2008年05月09日 ]

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