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黄河崩壊――汚染と水不足の現実

山西省那高の住民は、汚染された川の水を飲むのをやめ、唯一の井戸から長い管で水を引いている。中国では、地下水の利用が1970年代からほぼ倍増した。水消費量の3分の2は地下水でまかなわれ、地下水位は低下の一途をたどっている。
写真=グレッグ・ジラード(c)2008 National Geographic

■母なる大河の厳しい現実

 中国の人々にとって、黄河は魂のよりどころとも言うべき河だ。チベット高原の標高およそ4300メートルの秘境にその源をもち、中国北部の平原を滔々と流れる大河。だが、中国人が母なる河と呼ぶその大河が、いまや死の河になりつつある。工場や家庭の排水に汚染され、設計に問題のあるダムが次々に建設されたため、河口付近では流量が極端に減っている。1990年代には、河口まで到達せずに流れが途絶えてしまう「断流」現象が、ほぼ毎年のように起こった。

 黄河は流域の1億5000万人の生活を支えているが、古くから親しまれてきたこの大河が枯れれば、その影響はさらに広い範囲に及ぶだろう。黄河の危機的な現状が映しだすのは、中国の輝かしい成長の影の部分だ。急速な発展とひきかえに環境が荒廃し、人々の暮らしになくてはならない水が枯渇しつつある。

 中国の水資源量は米国とほぼ同じだが、中国はそれだけの水で米国の5倍近い人口を支えている。そのため、この国では水は昔から貴重な資源だった。とくに乾燥地帯の北部では、水不足が深刻だ。中国全体の15%にすぎない水資源量で、国の人口の半分近くを支えているからだ。

 中国の主要な河川には、ヒマラヤなどの氷河から水が流れこんでいるが、地球温暖化で水の重要な補給源である氷河の後退が進んでいる。同時に砂漠化の進行にも拍車がかかり、いまでは年間30万ヘクタール以上の草地が砂漠にのみこまれている。

 しかし、水危機を急速に悪化させた最大の元凶は、この30年ほど猛烈な勢いで進んだ工業化だ。超大国をめざして、あくなき成長を続ける中国。人々は河川の水や地下水を大量に汲みあげるばかりか、残った水を取り返しがつかないほど汚染してきた。このままでは「未来の世代に破滅的なツケが及ぶ」と、世界銀行が警告しているほどだ。

 この警告が大げさだというのなら、黄河流域で起きている事態に目を向けてほしい。砂漠が広がり、砂嵐が吹き荒れて、穀物が栽培できなくなり、何百万人もの“環境難民”が移住を余儀なくされている。有毒な化学物質が流れこみ、黄河の50%はすでに生物がすめないほど水質が悪化。流域では、がんや先天異常など、水質汚染による病気が急増している。公害に怒った住民たちの抗議行動は、2005年だけでも中国全土で5万1000件にのぼり、社会不安につながる懸念もある。

 こうした問題を一つでも放置すれば、中国の成長にブレーキがかかるばかりか、世界経済にも影響が及びかねない。問題が重なりあえば、長期的には壊滅的な事態になるだろう。

 大きく蛇行しながら中国北部を流れる黄河。その源から河口までをたどれば、深刻さを増す水危機の実態とともに、この危機に立ち向かう政府や環境活動家の姿もみえてくる。黄河の運命はまだ決まったわけではない。

■枯渇する水源

 ほおの赤らんだチベット人女性が標高4000メートル級の尾根に座って、先祖代々放牧を行ってきた高原を見下ろしている。いまは夏。起伏に富む山々は緑の絨毯におおわれ、かなたの山腹では、ヤクとヒツジが草を食んでいる。手前には、黄河の源流が流れている。

 「ここは聖なる土地です」と、四児の母である39歳のエルラ・ズオマは話す。彼女の一族は遊牧民で、この一帯で季節ごとに移動しながら、600頭のヒツジと150頭のヤクを飼ってきた。それも過去のことだと、ズオマは悲しげに首を振る。「干ばつで何もかも変わりました」

 最初に不吉な兆候が現れたのは何年か前のことだ。この地域のいくつもの湖と川が干上がり、草が枯れはじめた。人々は家畜の餌と水を求めて、はるか遠くまで移動した。

 ズオマと夫は家畜の半数以上を失った末に、政府の定住化政策を受けいれた。残った家畜を政府に引き渡し、代わりに青海省のマドイ近郊にコンクリートブロックの家を与えられ、年間10万円ほどの生活費を支給されることになった。かつて家畜を追って自由に暮らしていた遊牧民の一家は、いまでは囲いに入れられた家畜のような暮らしを強いられている。

 中国の水危機は、黄河、長江、メコン川の源流域である“世界の屋根”で始まっている。青海チベット高原の氷河と地下水は、中国の“給水塔”と呼ばれ、黄河の流量の50%近くを供給している。

 だが、気温が上昇し、乾燥化が進んで、水循環の微妙なバランスが崩れはじめた。マドイでは、4077の湖のうち、すでに3000以上が消滅した。氷河も年に7%のペースで縮小している。氷河の融解は、短期的には流量増加につながるが、長期的には黄河に危機的な状況をもたらすだろうと考える科学者もいる。

 中国政府は大河を救おうと、“現代の雨ごい”とでも呼ぶべき、世界で最も野心的な人工降雨計画を実施している。夏の間、黄河源流域の上空で、航空機やロケット弾で雲にヨウ化銀を散布し、その結晶を雨粒の核にして、雨を降らせようというのだ。

 青海省中にはズオマのように定住化したチベット難民が何千人といるが、彼らは昔の暮らしを捨てたことを一様に悔いている。かつては家畜の頭数が豊かさの証しだったが、いまやズオマ一家の財産といえば、彼女が身につけている銀の指輪三つと、石のネックレス、2本の金歯だけだ。ズオマには職がない。夫は車を借りて配達の仕事をしているが、稼ぎはよくても日に300円程度。以前は毎日肉を食べられたが、いまでは小麦粉を練って揚げたものと麺で空腹をしのいでいる。

 コンクリートの住居からは、銀色に輝く黄河の源流がいまも見える。だが、ズオマ一家は、祖先から受け継いだ大切な遺産である澄んだ水と大地から、永久に切り離されてしまった。

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