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2008/05/08

日本残酷写真史

下川耿史という人がいるわけだ。実はおいら、ずいぶん昔なんだが面識があったりするんだが、物凄くマジメな人です。で、この人がマジメにネタ発掘して歩いているんだが、話題になったところでは
日本エロ写真史 (ちくま文庫) 日本エロ写真史 (ちくま文庫)
価格:¥ 819(税込)
発売日:2003-01
なんてのがあったりするんだが、その続編で
世紀末エロ写真館というのもあって、そちらはおいらもフレンチポストカードなんぞについて書いたりしています。で、その下川さんなんだが、
日本残酷写真史 日本残酷写真史
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:2006-10

こういう本を出しているわけだ。なんせ表紙からコレなので、あまり書店に平積みにならないんだが、それでも版を重ねて現在6刷。売れるはずで中身がまた物凄い。どのページを開いても生首ゴロゴロで、古くは幕末の晒し首から、
031
イラクの戦場まで、事件、戦争かかわらず、死体写真か満載です。上のイラストはおいらのサイト、欧米人の見た幕末日本から「清水清次の晒し首」なんだが、コレの写真も二枚あります。

で、話はアレだ、「南京大虐殺」なんだが、もちろん、この本でも触れている。写真もたくさん出ているんだが、どれも「大虐殺」の証拠ではないわけだな。で、下川氏によれば、「賞味期限付きの真実」だというんだが、当時のマスコミが戦争気分を煽るために100人斬りだとか宣伝したわけだ。いくら何でもこの時代の戦争で日本刀振り回して戦闘するわけがないんで、捕まえた不正規兵を処刑するのに斬るんだが、この当時は国民党と共産党と日本軍が、やたら殺し合いしているわけだ。もちろん巻き添えで一般人も大量に死ぬ。で、わざわざ日本軍だけが一般人を団体で殺した、なんていう話もないし写真もないんだが、中国大陸での処刑の写真というのは、世の中にはやたらたくさんあるわけだ。で、浮かれて自慢げに「オレは100人斬った」とか放言するバカが出てきて、新聞が面白がってそれを取りあげて、なんせ国家ぐるみで「大本営発表」とかインチキやっていたので、それが後生になって祟ったわけだ。当時からマスコミは糞だった、というわけだな。

で、今から40年ほど前なんだが、朝日新聞だったか、
南京大虐殺の写真募集というのを大々的にやった事がある。おいら、中国大陸での処刑写真でメディアに出た事のないヤツを二枚ほど持っているので電話してみたんだが、
「南京だという証拠が写ってないなら要らない」と言われてそのままになったんだが、その後も南京大虐殺の証拠写真が見つかったという話は聞かないので、今でも探し続けているんだろう。

で、何でおいらがメディアに出た事のない生首写真を持っているのかというと、そういう写真が中国では
土産として売られていたからで、おいらの先祖の知人が持ち帰って来たわけだ。なので、たぶん、日本中あちこちにあるんだと思う。

コメント

たしか、白夜書房のCrashに連載されていたものですよね。

 また変なことを。(^_^;)
それは写真じゃなくて、例によってアンベールの幕末日本図絵あたりから引いてきた、東南アジアの資料を切り貼りして作った、変な絵画/図版じゃねーか。性懲りもなく何がやりたいのか・・・。
NゴヤでTYタの渉外が同胞の変質者殺人犯を半島へこっそり逃がすとかそういう話から目を逸らす一環だったら凄いのに(爆)

 ぱっと見、立て看板が徹底的に変ww。あれは横書き文化の発想だよなw。
あと、なぜテーブルの上に生首が乗ってるの?とか
意味もなく横に置いてある、さすまた以外見たこともない謎の武器wとか
背景の家デカっww。日本の家屋じゃないよなぁ(^_^;)、とか、
横の岡っ引き?は、手水鉢の下で火をたいて何をやっとるんだw とか、
ツッコミ所満載です。

 ちなみに、「南京大捏造」の写真は、証拠が無いどころか、ことごとく出典まで明らかになってます。アサヒグラフやなんかから(オイ)、文字部分をカットしたり色味を変えて加工して、適当なキャプションを付けたものばかりだからタチが悪すぎます。で、大嘘がバレて作者のアイリス・チャンは自殺。

で、バレちゃったのは絶対アヤマラナイヨw、ケンチャナヨだよww。次はコレなんかなにげに自虐心を刺激されないww?刺激されたら、謝罪しる、賠償しる、愛知みたいに犯罪させろ。
というのは、特亜人の大きな特徴であり、行動原理です。
この人の周りの人間は気を付けましょう。

・・・つーかこんな奴ら、少なくとも特亜人がやる以上のことはやって対処しないと、明らかに不公正だし割に合わないです。(^_^;)
「特亜の廃し方は特亜に学べ」
常に心に留めておくべきだと思います。

図版というのはすべて、著作権というのがあってだなぁ。

・・あまりに古くて著作権がなくても、勝手にどっかの本から図版を持ってくるわけに行かないので、おいら、自分が持っている本から引用してるわけだよ。「絵で見る日本」はおいら、原本を持っているから。

ちなみに、日本残酷写真史に出ているホンモノの写真と比較して見ると、ほぼ正確に描写しているよ。細長いテーブル状の晒し台に生首が乗せられている。

visitorさんは釣り師ですか?

>なぜテーブルの上に生首が乗ってるの?
「獄門」で検索してみてください
>意味もなく横に置いてある、さすまた以外見たこともない謎の武器w
「三道具」で検索してみてください

鉢は…これ、なにしてるんでしょうか?
ご存知の方いたらおねがいします

>鉢は…これ、なにしてるんでしょうか?

熱燗つけてるんだろ

寒いから火鉢にでもあたってるんじゃないのか??

本件は横浜戸部監獄の管轄下にあった鞍止坂(暗闇坂とも)刑場で明治2年に処刑された者の写真数点がソースらしい。

撮影者は英国人の旅行者・ダローサなる人物とされ、明大法学部教授の尾佐竹猛氏と岡田朝太郎氏が大正時代に入手したものと種板を同じくするものであろう。

なお、十手捕縄術の宗家である作家・名和弓雄氏は、同じ写真の種板を旧佐倉藩主家から譲り受けたと「日本の拷問と処刑史」(1995/日本文芸社)に述べている。

>>黒板係氏
 いえ。visitorさんは釣り師ではありませんが、独特の始めのかましを見て、仕方がないから釣り師になりましたw。
>獄門台
 あんなんだったかなぁ。低すぎる高さといい、足の形状といい、まるでテーブル素材を元に加工したもののようだw(^_^;)。
>三道具
 刑場に置くならさすまたと槍2本ずつくらいだたと思うが(^_^;)。いきなりあんな道具立てがあったりするか?w
これも捕り物道具セットの美術素材を構図上貼り付けたもののように見えるが。

>> 野次馬氏
>あまりに古くて~原本を持っているから。
 言っている意味がよく分からないが・・・もしかして作者なのか?(^_^;)
それなら上記含めて全て納得です。
 ちなみにこんなのありますが。
ttp://ki46sinnsitei.blog55.fc2.com/blog-entry-119.html
>ちょっと著者について調べてみました。
下川耿史という人は歴史家でも活動家でもなく、性風俗研究家。
そして、「死体愛好家」の様です。
狂気殺人や強姦殺人などにも詳しいらしく。
またその死体をこよなく愛する方のようです。

 ・・・私は、活動家的死体残虐(エログロ)愛好家だと思うが・・・。(^_^;)
大陸半島でしかあまり使われない漢字名(雅号じゃないよね)といい、野次馬氏の昔からの同胞で違和感なく意気投合する独特の性癖といい活動といい・・・。同じ北製潜水艦の乗員デスカ?イモズル的に。(^_^;)


 あとは、横書き立て看板や、背景の変な家屋の説明もお願い。
愛知県と、京都 の 変質者殺人犯の行方も同じく イモズルで。

著作権が切れていても、その図版は勝手に使えるわけではない。原板から直接、撮影したモノ以外は、原板の管理者から著作権隣接権で訴えられる可能性があるわけだ。なので、おいら、自分が「原板」持ってるモノしか出さない。

下川氏は、扱うネタは「異常」だが、その扱い方は極めてまっとうだよ。政治的なスタンスはなく、ただ、無心にエロ写真や残酷写真を資料として集めているだけだ。

で、高札は、能書きが長すぎて横長になってしまっただけだと思うよ。ホンモノの高札ってのも、けっこう横長のヤツがあったりするし。この、処刑された清水清次は鎌倉事件というイギリス人殺害の主犯として処刑されているので、当時の外交、政治的な大事件だったわけだ。なので、高札も能書きが長かったんじゃないかな? それを、読み方を知らない欧米人が見たら、こう見えた、というコトだな。

で、背景の家なんだが、写真ではぼやけていてハッキリ見えない。なので、画家が適当に描いたんだと思われる。東南アジア風味なのは愛嬌だw

>獄門台
 あんなんだったかなぁ。低すぎる高さといい、足の形状といい、まるでテーブル素材を元に加工したもののようだw(^_^;)。

獄門台の高さは、3尺とキマリがあったはず。
釘を下から打ち抜いたうえに頚椎を差し、頭が横転しないよう堅めの泥ダンゴ(握りこぶし大)を両耳の下にカマせる。

封建時代は究極のマニュアル社会です。
下はお手伝の[ひにん]から、上は見届けに来る士分[おこびとめつけ]まで、処刑から遺体の下げ渡しまで、威儀をただし、みだりがわしい様子が1つも無いようにとコトがはこばれました。

その場の刑場担当者の気分で、台の高さや口書、御道具の揃えようを変えたりはしません。御目付けといい、横目といい、観察体制は万全です。
もしも非違があったということになると、おのれサケでもくらっていたのか…などという騒ぎになり、累代のお役目をとり上げられ、非役におとされてしまいます。

外国人の描いたものですから意図しない細部のデフォルメはあるでしょうが、別のものを勝手に描き込んだりした悪戯はない、と一応信じたほうがよいのではないかと存じます。

ああ、すみません。

>横書き立て看板や、
これ、口書ではないです。捨札[すてふだ]と申します。

それから、札に書かず、四半ののぼりのような布地を使った例も記録にあります。

確かにへんなテーブルのように見えますが、全体としてはおk、かなとおもうんですけど…。それから、捨札の字は、もっと拡大して見ることが出来ればやはり縦書きの可能性があるのではないかとも…

visitorさんという、またちょっとアレな方がわいて来たので、「ほっといたらどうですか」と書こうかと思っていました。
でも、odinnさんの書き込みを読むことができて勉強になりますた。
ぜんぜん知らない分野なので、もうすこしいろいろ書いていだければなー、と思います。

生半可な知識でいろいろ書いて、シマッタ、と思っています。ごめんなさい。

死刑の歴史そのものについてのオーソリティーとして日本死刑史 (1983年)布施 弥平治 のものがあります。坂本太郎流の東大史学のにおいがきつくてちょっとナニですが…。

行刑関係一般では、明大の刑事博物館の出している書籍・資料がいちばん頼りになります。

また、旧大垣藩士族で十手捕縄術宗家の名和弓雄氏が、道具のことなど含めて幕末・維新のころのこのアタリのことに詳しいです。

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