日韓友好のため韓国の新聞を読もう

連座制 : 親の罪は子の罪?与党 辛基南議長の辞任

朝鮮日報 2004/08/19 15:23

辛基南・ウリ党議長が辞任

 ヨルリン・ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長が19日、党議長職を辞任したことから、李富栄(イ・ブヨン)常任中央委員がこれを承継した。

 実父の日帝憲兵服務と遅れた自認による波紋で、党内外から辞任の圧力を受けてきた辛議長は同日午前、永登浦(ヨンドゥンポ)党舎で開かれた緊急拡大幹部会議で議長職辞任の意向を表明し、特別記者会見を行い公式辞任した。

 これを受け、今年1月11日行われた党大会の指導部選挙で、辛議長に次ぎ3位の常任中央委員に当選した李富栄委員が党議長職に就き、千正培(チョン・ジョンベ)院内代表と一緒に152席の過半与党を率いることになった。

 与党側は辛議長の辞任を機に、親日真相究明法の改正、国会内の過去史特別委員会設置など過去史清算作業に一層拍車をかけるものと見られ、通常国会を控えた政局に緊張が高まる見通しだ。

 辛議長は同日の記者会見で、「親日残滓の清算と民族精気回復運動の大意を少しでも毀損することはできないという心情から、党議長職を辞任する」とし、「今や、歴史の真実を明かすべき時期であり、私の胸痛む家族史を踏み台に、歴史的課業を成し遂げて欲しい」と述べた。

中央日報 2004.08.19 15:57

辛議長実父、日本軍志願勧める文寄稿

 与党「開かれたウリ党」(ウリ党=「わが党」との意)の辛基南(シン・キナム)議長の実父、辛相黙(シン・サンムック、1916〜84)氏が、日本軍の憲兵伍長に服務していたとき、朝鮮人に、日本軍に志願、入隊することを勧める文を、当時の月刊誌「三千里(サムチョンリ)」に寄稿していたことが分かった。

 辛氏は「三千里」の1941年1月号に、重光国雄(創氏改名した名前)との名前で「志願兵の日記」と題付けられた文を寄稿した。同誌で辛氏は「水が浅い所へ流れ、息子が親に親孝行するのと同じく、日本の男であるわれわれが陛下の兵士になって当然」だと主張した。また「内鮮一体(皇民化政策、日本植民支配時代のイデオロギー)のため最も先にすべきことは志願兵になること。真に皇国臣民になりたいならば、この訓練所へ向かうべき」とし、朝鮮人に、日本軍に志願するよう督励した。

千昌煥(チョン・チャンファン)記者

中央日報 2004.08.19 16:15

辛議長ホームページ「父は戦争英雄」

 与党ウリ党・辛基南(シン・キナム)議長のホームページ(www.skn.or.kr)に、実父の辛相黙(シン・サンムック)氏を褒め称える文と写真が載せられた。同ホームページの「家族ストーリー」とのコーナーには18日午後現在、「太極旗を翻して(映画『ブラザーフッド』の原題)」という見出しのもと、ヘルメットと戦闘服を着た辛氏と海軍の制服を着た辛議長の写真が掲載されている。

 写真の横には、辛氏を「真なる戦争英雄」だとし「太極旗を翻しながら国を守った父子の物語」という文が載せられている。「太極旗を翻して」のコーナーでは、辛氏を「大韓民国最高の武功勲章『太極武功勲章』を受けていて、忠清・全羅・慶尚道(チュンチョン・チョンラ・キョンサンド)の戦闘を受け持つ西南地区戦闘司令官として、勇猛さを見せた」とし「パルチザンを掃討するため、華厳寺(ファオムサ)を燃やそうとした軍一部の主張を阻止、民族の文化遺産を守った張本人であり、智異山(チリサン)一帯に公徳碑が残っている」と褒め称えた。

 また「父親の気概を受け継いだ辛議長は海軍の戦闘将校に志願、荒い海の上の艦艇で国を守った」と書いてある。問題の写真と文を読んだ多くのネチズンは「父親の独立以前の行跡を知っていながらも国民を欺いてきた」、「親日派の息子が親日派を清算しようと騒ぐ世の中」などの反応を見せた。

ャ刀Eヘヨン記者 < hysohn@joongang.co.kr >

朝鮮日報 2004/08/17 20:14

父親の親日疑惑に嘘をつき通した与党議長

 ヨルリン・ウリ党(開かれたわが党の意/ウリ党)の辛基南(シン・ギナム)議長の実父が日本植民地時代、日本軍の憲兵として韓国人徴兵忌避者を探し出したほか、朝鮮総督府の機関紙である毎日申報とのインタビューで「小学校児童は先生を盲目的に崇拝し、服従する。先生の私が先に志願兵になろうと決めた」と志願入隊の感想を語ったことが明らかになった。

 父親がこのような経歴を持っているからといって辛議長にその責任を問うのは、「縁坐の禁止」を規定した憲法精神に背くだろう。

 しかし、この問題に対する辛議長の二重的な態度と嘘は、与党の最高責任を負う政治家がやってはならないことだと指摘せざるを得ない。

 辛議長は1か月前メディアが父親の親日疑惑を提起した当時、「各新聞が基本的な事実の確認もせず、誤報競争を展開している」とし、「事実無根であり、名誉毀損に当たる」とした。また、法的対応を取る姿勢を示した。

 それだけでなく、「親日真相究明法の純粋さを歪曲するための意図」とメディアを批判したほか、「父親は教師として務め、解放後警察に転職した」と主張した。

 これほど頑なに否定し続けた辛議長は、メディアの追跡でもうこれ以上隠し切れなくなるや、「世間に知らせたくなかった。いつか政治的にさらに進出すれば、自然に知らされると思った」とした。結局、最初からすべてを知っていながら隠してきたことを自ら認めたわけだ。

 辛議長はしかし、「憲兵なのに警察だとして否定した」、「父が親日派だったからといって、私が民族の精神を主張できないわけではないだろう」、「父も親日真相究明の対象になり得る」などと話した。

 一般人の感覚としては、大義のため父を犠牲にした辛議長を勇気あると感心すべきかどうか、まったく判断がつかない。とにかく、これほどの気概を持っていたなら、最初から真実を隠すこともなかっただろう。また、誤報だの歪曲だのといいながらメディアを批判する理由もなかったはずだ。

 このような辛議長の態度に対し、ウリ党関係者らが「積極的に嘘をついたわけではない」、「親日真相究明法の歪曲を防ごうとした純粋な意図であったはず」とかばっているのは、辛議長の嘘より何倍も恥ずかしいことだ。

 現政権が辛議長の家族史から学ぶべき教訓は、「指導者の誤りにより国を失い、40年間も帝国主義の植民地支配を受けてきた国民の暮らしが道徳教科書通りにはいかなかった」という極平凡な真実だ。

朝鮮日報 2004/08/17 20:01

【辛基南議長去就問題】自ら招いた「連座制」

 与党の代表が既に故人となった父の親日前歴のため、辞任の圧力を受けている。ヨルリン・ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長の父、辛相默(シン・サンムク)氏が日本の憲兵(伍長)として活動したのは1940年代初め。1952年生まれの辛議長が生まれる10年前のことだ。

 辛議長本人が責任を取ることができないのはもちろん、どんなことがあったのかさえ知らなかった頃のことだ。にもかかわらず辛議長が窮地に追い込まれる連座制的な状況が、21世紀にOECD国家の国で展開されているのだ。これは執権勢力自らが招いたことだという指摘だ。

 李来栄(イ・ネヨン)高麗(コリョ)大教授は、「与党が自家撞着(言行が矛盾していること)に陥った状況」とし、「経済、外交、安保問題などがすべて厳しい状況にあるため、執権勢力がアイデンティティーの面で差別化を試みるため、過去史の清算という切り札を使ったが、結局、その過去で墓穴を掘ったことになった」と話した。

 李教授は「光復(日本の植民地支配から解放されたこと)から1〜2年しか経っていない訳でもなく、既に60年も経っているのに、その当時のことで政界がとやかく言うこと自体が、暇なのではないかと感じられる」とした。

 康元沢(カン・ウォンテク)崇実(スンシル)大教授は、「過去の真相ということ自体、時代的な状況を知れば善悪または白黒に分けることが難しいことなのに、二分法的に接近したために、墓穴を掘ったようなもの」と話した。

 康教授は「歴史的な真相を明らかにするという趣旨自体は理解するが、国民全体が厳しい経済状況のために苦しんでいる中で、それほどまでに優先順位の高い問題なのか」と指摘した。

 与党の関係者は過去史の清算問題に対し、「連座制によって子孫に恥をかかせ、処罰しようということではなく、真相をきちんと明らかにしようという趣旨」と口を揃えている。しかし実際には連座制的な意識構造によって、過去の問題に接近していることを示す言及が幾度もあった。

 最近では盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が光復節祝辞で、「独立運動家は3代貧しく、親日派は3代息巻くという、逆転した歴史認識から今も抜け出せずにいる」と述べた。親日関係者の2世、3世が裕福に暮らしているのなら、それ自体が間違いという認識を明らかにしたのだ。

 辛議長本人は今年3月、朴槿惠(パク・クンへ)代表がハンナラ党の代表に選ばれた際、「軍事クーデターと維新の主役である朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘が、この時代に絶対多数党の代表になることは歴史の皮肉」と述べた。また、他の与党関係者らも「朴代表は朴正煕時代の反民主、反統一、反人倫を清算しなければならない」「独裁者の子どもを乗り越えるのが課題」などとコメントしている。

 過去史の清算作業自体が結局、連座制的結果をもたらすしかない構造でもある。1945年の光復から60年が経った時点であるだけに、日帝時代の責任ある大人として親日経歴のある当事者は、すでに80歳代後半になっており、生存者は極めて少ない。

 結局、正確な事実関係自体を知らず、責任も問うことができない2世、3世を攻撃する作業になるだろうという指摘だ。

 与党が狙っていることも、実はこれだという証拠も少なくない。与党は現在、親日究明法を制定し、強制連行と事実確定前の中間発表を許すことにした。テレビを活用して相手を罵倒できる道を開いたのだ。

キム・チャンギュン記者 >ck-kim@chosun.com

朝鮮日報 2004/08/17 08:03

ウリ党議長、実父の日本軍服務事実を認める

 ヨルリン・ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長は16日、実父が日帝時代に日本軍として勤務したという月刊誌「新東亜」の報道と関連し、「父は日帝時代、大邱(テグ)師範学校を卒業して教師生活を送り軍に入隊したと聞いている」と日本軍への服務事実を認めた。

 辛議長はこの日、釜山(プサン)を訪問し記者たちにこのように明かし、「日帝治下で軍生活を送ったことが父としては自分なりに仕方ない選択だったと理解しているが、一方では命を賭け闘った独立闘士と遺族には父の代わりに謝罪し、許しをこいたい」と述べた。

 辛議長はまた、「父の場合も親日真相糾明対象になりうると思う」としながら、「軍にいた当時、高位職ではなかったが調査するなら最大限協力する」と述べた。

 続いて、「父は光復後(日本の植民地支配からの解放後)、警察に入り韓国戦争に参加し多くの戦功を立て太極武功勲章をもらったこともあり、4・19(1960年4月19日にピークとなった李承晩大統領退陣運動)前に引退した」としながら、「いかなる場合にも親日真相糾明は徹底して行うべきで、親日残滓(ざんし)清算も徹底して行わなければならないというのが私の信念」と付け加えている。

 辛議長はこれまで実父の日本警察服務説が取り上げられた際、これを否認したことについて、「警察がもう少し政治的役割を果たしていたため、それは明らかに違うため否認しただけ」とし、「軍経歴はいつか明らかにする機会があると思う」と釈明した。

 これに先立ち、「新東亜」は9月号で辛議長の実父、辛相默(シン・サンムク/1916〜1984)氏が1938年3月に大邱師範学校を卒業後、全羅(チョルラ)南道・和順(ファスン)郡・清豊(チョンプン)小学校教師として在職後、1940年に日本軍に志願、日本軍憲兵伍長として勤務したと報じた。

 新東亜によれば、「重光国雄」と創氏改名した辛氏は朝鮮総督府国軍兵志願者訓練所を修了した直後の同年11月8日に半島(パンド)ホテルで日本軍志願兵修了生資格で朝鮮総督府機関紙の毎日甲報の座談会に出席し、毎日甲報はこの座談会を同年11月30日から8回にわたり連載した。

参考記事 
 連座制:「親日派子孫の政治家は懲戒引退を」
 連座制:与党 李美卿議員の釈明
 連座制:与党 金希宣議員の悪あがき
 連座制:鄭東泳・統一部長官の疑惑
 連座制:盧武鉉大統領の親類はパルチザン(北の工作員)
 親日人物名簿