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【放送芸能】文化放送が特番『死刑執行』 実情知り『存廃』議論を2008年5月8日 07時07分 大型連休最終日の六日朝、死刑が執行される瞬間の音声がラジオから流れた。文化放送の特別番組「死刑執行」。昭和三十年代、大阪拘置所で刑務官の教育や死刑囚の待遇改善のために録音されたものを、同局が「死刑の実態を伝えるため」に放送した。局に届いたリスナーの声に不快感を訴えるものはなく、番組内容に対する否定意見も「二割弱」(同局)だったという。制作した元同局記者、植松敬子さん(38)=旭川医科大四年=に思いを聞いた。 「裁判員制度が始まり、誰もが死刑判決にかかわる時代が来る。(それなのに)人々がいかに死刑について知らないか。『知った上で賛否を議論しようよ』というメッセージを送りたかった」。植松さんは企画意図をこう語る。 植松さんが死刑に関心を持ったのは文化放送に勤務していた一九九七年。永山則夫死刑囚の死刑執行を報じる新聞記事がきっかけだった。今回放送したテープを入手したのは、その年の秋。執行の内容や刑務官らの抱える苦悩など、全く知らなかった世界に驚いたという。「(死刑に携わる人々の)コメントは自らの経験に基づいた深い結論。その深さに強くひかれ、いつか世に出したいと思った」 取材に費やした時間は約五年。その間に異動、退職、医学部進学と、自身の人生も大きく揺れ動いた。 ◇ 植松さんの長年の夢は「医師」だった。しかし医大受験に失敗。農学部に進学し、就職先は「地道な研究職より広い世界が見たい」と同局を選んだ。報道局には通算約九年在籍。薬害エイズ問題報道などに取り組んだ。 そんな中、ともに別の番組を作った友人の女性をがんで失う。三十一歳の若さで逝った友人に、少女時代に白血病患者の闘病記を読んで衝撃を受けた記憶が重なり、医師の夢が再び頭をもたげた。在職しながら勉強し、二年がかりで旭川医科大学に合格。二〇〇五年三月に退社した。 ただ、死刑をテーマにした番組を放送できなかったことがずっと心残りだったといい、裁判員制度の開始が迫ってきた今春、「今こそ番組にすべきだ」と一念発起。春休みの三週間、編集にあたり、古巣の同局に持ち込んだ。 「死刑の方法や法相によって執行人数が異なること、長期間死刑囚に接する刑務官に執行させることの是非など問題点も多い」と指摘する植松さん。自身は「あえて言えば“消極的な”存置論者」なのだという。「犯人に死刑を望むであろう自分がいて、声高に廃止と叫べない。今も揺れ動いているし、悩んでいるんですけど」 ■テレ朝でも先月放送 文化放送が放送したテープは、テレビ朝日も先月二十九日の「スーパーモーニング」で流していた。テレ朝は執行の瞬間は流さなかったが、死刑への賛否をめぐる討論部分を含めたコーナーを約五十分間にわたって放送した。 同番組では十分程度のテープの音声に加え、死刑囚を見守った教戒師の遺族、日本弁護士連合会「死刑執行停止実現委員会」の弁護士や刑場を視察した衆院議員、再審無罪となった元死刑囚・免田栄さんのインタビュー(90年代に収録)などを交えた。スタジオでは死刑廃止派の作家・若一光司氏や存置派の大沢孝征弁護士らが議論した。 視聴率はスタジオでの議論が始まった部分が最も高く、瞬間最高で10・6%(番組全体では平均8・4%)を記録した。 ■番組内容 文化放送の「死刑執行」は午前十時から約五十五分間、CMなしで放送された。 番組は、「死刑方法を知っているか」「裁判員として死刑判決を下せるか」などの一般市民への質問や、ノンフィクション作家・大塚公子さん、元刑務官らによる死刑の実態の説明に、大阪拘置所での録音を交えた構成。冒頭、死刑について知ってもらい、意識を喚起する意図で放送すること、衝撃的な音声が含まれていることを留意した上で聞いてほしいと説明が入った。 番組で使われた拘置所での録音は、泣きじゃくる女性の声に「笑って別れましょうよ」との男性の声がかぶる死刑囚と姉との最後の面談場面や、当日、刑場に向かう足音など。 執行の瞬間は番組の最後。読経が流れる中、踏み板が開いたとみられる「ダン、ダーン」という音が響く。わずかな時間を置いて「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱える声。医官の「刑執行二時五十九分 刑終了三時十三分二秒 所要時間十四分二秒 終わり」で、本編は終わった。 (東京新聞)
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