日の丸・君が代に対抗するネットワーク

(略称:反ひのきみネット


「反ひのきみネット」設立にあたって

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設立趣旨

 さまざまな形で表現された反対の声を押し切る形で、「国旗・国歌法」は、1999年8月に日本の国会において正式に可決成立してしまいました。この法案を立法した第145通常国会が日本の「戦後総決算」の国会だと言われたように、この国会では他にも、周辺事態法、通信傍受法、「国民総背番号制」を導入する住民基本台帳法など、これまでの日本の国家と社会の仕組みに大幅な変更を加えるような法案がつぎつぎに成立しました。また、同じ国会で、出入国管理および難民認定法や外国人登録法が改定されたことも、決して見逃すことはできません。これらは、グローバル化する世界の中で日本がいま、その国家と社会の大きな再編成に、とりわけ日本「国民」という形の新たな確定に急速に動き出していることを示しています。

 日の丸・君が代の法制化は、この一連の動きの中で、文字通り、その変化を〈象徴〉するものとなりました。すなわち、日の丸・君が代が象徴していたかつて日本国民が担ってきた戦争と植民地主義の記憶をすっかり封印し、恥知らずにもまた同じシンボルを押し立てて、日本「国民」と「非国民」との間にいくつもの線を引き差別を設けながら統合と管理を図っていく、このような体制づくりが、この夏までに一連の法整備をもって強力に押し進められてきたのだということです。

 かくて、いくつかの法律が日本ではできてしまいました。そしてこれは、わたしたちに、ある「始まり」を告げていると思われます。なぜならこの一連の法制化は、それ自体がなにかの完成なのではなく、むしろ、わたしたちの心の中にまで深く食い入ってくるような日本国民体制づくりの、ひとつの外枠の成立なのだからです。実質的な攻防はこれから始まる、そう見ることがいま必要です。いや、それはもう現に始まっているのです。

 日の丸・君が代について見ても、法制化以後の短い期間にもう、案の定、さまざまな場面でこのシンボルが持ち出されるようになりました。日本政府の記者会見場にそれが現れたというのは、ほんの一端にしかすぎません。日本の野球場やサッカー場ではすでに中央の定位置にそれは居座っていますし、今年の秋の運動会や諸行事では、至る所で日の丸掲揚と君が代斉唱の儀式が新たに付け加えられているようです。以前は、卒業式と入学式に限られる「季節もの」の話題だったのに。

 そして、この法制化以後の動きの中で、以前よりずっと声高に君が代を歌うようになった人が出てくるでしょう。また、競技場でも儀式の場でもだんだん抵抗感がなくなり、皆なに合わせて当たり前に歌うようになったという人も増えるはずです。あるいは、自分では歌わないとしても、法制化されたことでもう日常的な抵抗はあきらめ、やがて日の丸・君が代の存在には慣れていってしまう人も少なくないと思います。法制化は、ここで確かにそのようなことの「正当化」のために働きはじめています。

 でも、これに対して他方には、法律がどうあろうと絶対にそれに慣れることができず、日の丸・君が代の場に立ち会わされるたびに、ひどい屈辱を感じなければならない人々がいます。だからといって意を決して抵抗したら、たちまち凍りつく視線の対象にされてしまうはずの人々がいます。さらには、「(解雇とか退去とかの)処分」という圧力に押しつぶされねばならない人々がいるのです。法制化の実質的な意味とは、実に、この落差の強化に他ならないと言っていい。法制化された枠組みの中で、多数派がそのことに「慣れる」ということ、あるいは「当たり前」と感ずるようになること、そのことと正確に対応して、それを屈辱と感ずるマイノリティの思想と感情は侵食され抑圧されてゆく。多数派はそれを忘れ、少数派は感情の踏み絵を繰り返し強いられることになる。「国民が作られる」というのはそういうことであり、この時に、「国民」はまさしく排他的で抑圧的な相貌をもって現出するようになるのです。そう思ってみるとき、フランスにも、中華人民共和国にも、アメリカ合衆国にも、またオーストラリアやその他の国々にも、各々の地域で、その国の国家・国旗に屈辱を感じている人々がいることを決して忘れるわけにはゆきません。いま始まりを告げているのは、「忘却が国民を作り、国民を分ける」この局面なのだからです。

 そうだとすれば、「日の丸・君が代の法制化に反対する」というところから始まったわたしたちの「運動」は、法律の成立をもって到底終わるわけにはいかず、むしろ、この局面に抗して新たな展開と持続の方向を求めなければならないでしょう。「忘れない」、「慣れない」、「慣れさせられない人を孤立させない」、そうしたことを通じて「排他的で抑圧的な国民をもう作らない」ということが、最低限の持続的な確認です。それは、法制化に反対を表明したときの、わたしたちの共通の願いであったはずだからです。それでは、それの持続のための条件を、わたしたちは持っているでしょうか。六月声明が出されて以来、「署名運動」という形をとったわたしたちの運動は、これまでなかったインターネットという技術的環境の中で、いくつかの新しい経験を積んできました。わたしたちは、それをしっかり踏まえることで、また新たに出発することが可能だと思っています。

 六月に「署名運動」が始まって以来、この運動がこれまでのものにない新鮮な印象を人々に与え、新しい可能性をそこに予感させた所以の一つは、これが意外なネットワークをつぎつぎにつなげ、ただちに「国境」をも越えて広がっていったということでしょう。このことは、「インターネット」という技術上の基礎を考えると何の不思議もないことなのですが、それが一国の法律制定をめぐる賛否にかかわる署名運動にかかわると考えるとき、かなり本質的に重要な展開であったと分かります。すなわち、この「日の丸・君が代の法制化」をめぐる運動が日本在住の日本人を越えた運動として広がったことで、そこから、国家や国民的なものに関する常識=イデオロギーを問い揺り動かすような、トランスナショナルな公共性の可能性が開かれるという期待が生まれてきたということを、わたしたちは認めたいと思います。

 そこで、このような経験からわたしたちは、新たに「日の丸・君が代に対抗するメール・ネットワーク」の形成を提案し、それへの参加を呼びかけようと思い立ちました。

 これにより、わたしたちは、一方で、日の丸・君が代の法制化以後の新しい局面においてマイノリティー化されてゆく思想や感情がこれ以上侵されないよう、情報と意見を交換し、必要な議論を重ね、それをまずは日本における法制度や公共的議論へフィードバックするなどして、差別や排除や処分からできる限り人権と社会正義を守ろうとする、共同のフォーラムを実現したいと思います。また、それと同時に他方では、このような共同のフォーラムを、日本という国民化された一空間を超えたトランスナショナルなものとしても想定して、日本在住者でなく日本国籍保持者でもない人々とともに国境を越えて議論し、異なった場所、異なった課題を中心に組織された様々な運動とも国境を越えて繋がってゆきうるような、持続的なサイトとして実現したいと思います。わたしたちはこれが、学校や職場など様々な個々の「現場」でこれからますます増えてくるだろう抵抗の闘いを、持続的に支援し、その支援の輪を広げていく、実際の力にもなるということを望んでいます。

 これは、「日の丸・君が代の法制化」に反対する運動の成果を受け継ぎながら、法制化以後の局面に持続的に立ち上がろうとするまったく新しい態勢の試みです。みなさまの広い参加を求めたいと思います。

1999年10月

「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」呼びかけ人

岩崎 稔(東京)
鵜飼 哲(東京)
岡 真理(大阪)
酒井 直樹(イサカ、ニュー・ヨーク州)
田崎 英明(大阪)
中野 敏男(東京)
タカシ・フジタニ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
米山 リサ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
吉田 俊実(東京)


「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」運営管理

駒込 武(京都)
李 孝徳(ラ・ホヤ、カリフォルニア州)
実村 文(東京)