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日吉 学生と若者が目立つ活気あふれる街 「風致地区」に指定された良好な環境渋谷から東急東横線の急行電車で約20分。慶応義塾大学日吉キャンパスの最寄り駅として知られ、周辺に小中高校や専門学校などが点在する日吉駅(横浜市港北区)周辺には、若者や学生の姿が目立つ。駅の西側には、住宅地に囲まれるように商店街が広がり、どの通りも活気にあふれていた。横浜市が「日吉風致地区」に指定している良好な環境の中で、休日の散策を楽しんだ。 駅前広場の不思議なオブジェ「銀の玉」 通りを越えれば慶応日吉キャンパス駅舎がデパートと一体になっている日吉駅のホームは、ビルの地階に設置されているようなイメージだ。 ホームからエスカレーターに乗って、地上レベルにある改札口を出ると、ボーイスカウトの子ども達が「緑の羽根」の募金活動をしていた。改札口と東急デパートの入り口の間が駅前広場のようになっていて、中央に大きな銀色の玉が置かれている。東京駅にある「銀の鈴」は有名だが、日吉駅に「銀の玉」があるのは知らなかった。 「銀の鈴」と同様に待ち合わせ場所として使われているオブジェの正式名称は「虚空自像」というのだそうだ。磨き上げられた銀色の表面は鏡のようで、自分の像を映し出してくれるから「虚空自像」というのだろう。 今年の春から慶応義塾の学生となった長男によると、この「虚空自像」の前で待ち合わせをしていると、夏場には鏡のような玉の表面が光を反射し、待ち合わせで立っている人の服を焦がしてしまうというウソのような事件が起きたという伝説もあるらしい。玉のそばに寄ってみると、事件への対処なのか、確かに、ツヤ消し状態にされている部分もあり、あるいは、本当にあった話なのかもしれない。 改札を出て、駅の東側を走る通りを越えると、すぐに慶応義塾の日吉キャンパスだ。 横断歩道の手前には、ちょうど、「昭和の日」の休日だったからだろうか、たこ焼きの屋台が開店の準備をしているところだった。 正門からキャンパスに入ると、緩やかな坂道に沿って、背の高いイチョウの木々が並んでいる。濃い緑の葉が初夏を思わせる陽光を浴びて金色に輝き、その部分だけ秋の風景のように見えた。 日吉キャンパスは慶応義塾の創立75周年記念事業として1934年(昭和9年)に開設され、太平洋戦争の時には海軍に接収されて連合艦隊司令部などの海軍中枢機能が置かれていたという。終戦間近には空襲を受けたこともあり、現在も、2キロ以上にも及ぶ当時の地下壕(ごう)が残されているそうだ。 3月に地下鉄グリーンラインが開業 商店街の路地も立ち飲みスペースに日吉キャンパスから駅ビルの広場を抜けて駅の西側に出ると、駅前から放射状に三方へ商店街が伸びている。計画的に造成された町であることが一目で分かる風景だ。でも、決して無機質な雰囲気ではなく、人々の暮らしと町並みとが十二分に馴染んでいる感じで、生活感の満ちた商店街の温もりが伝わってくる。 三方に伸びた通りにはアーチが設置されており、向って右から順に「浜銀通り」「日吉中央通り」「普通部通り」と書かれている。それぞれの名前の下には、「祝・グリーンライン開業」という横断幕も掲げられていた。横浜市営地下鉄の新しい路線が、今年3月に日吉駅とJR横浜線の中山駅を結んで運行を開始したばかりなのだそうだ。 三つの通りのそれぞれに商店街がある様子なので、順に歩いてみることにした。 右斜め前方に伸びている「浜銀通り」に入っていくと、アーチから数軒めの左手にお弁当屋さんがあり、その脇の細い路地にそって、お弁当屋さんのガラス戸に張り付くように幅の狭い木のテーブルが設えてあり、灰皿が並んでいる。立ち飲み用スペースのように見える路地をのぞいていたら、奥に立っていたおばさんと目があったので、「ここで、お酒を飲むんですか」と聞いたら、「うん、このお店のお客さんが使うんだよ」と教えてくれた。おばさんが指さした店は、2、3人も並んだらいっぱいになってしまうような小さなカウンターの立ち飲み屋さんで、お客さんが増えてくると、お店の外に出て、この路地に作られた屋外カウンターで一杯やる仕組みらしい。おばさんの「宣伝してあげてね」という声に送られて、路地を出ると、斜め前にはスターバックスがあり、そのテラス席と立ち飲みテーブルのコントラストがおかしかった。 さらに、浜銀通りを進んでいくと、今度は、大きな看板のお好み焼き屋さんがあって、お店の前にお客さんが並んでいる。お好み焼きだけでなく、たこ焼きや焼きそばも人気らしく、次から次へと注文がさばかれていた。 おしゃれなお店に気分もウキウキ 楽器屋さんの店内で特別演奏会「浜銀通り」を駅前まで戻り、今度は、「日吉中央通り」を歩いてみる。 ゆるやかな坂を登っていくと、外観がレンガ造りのおしゃれなケーキ屋さんや花屋さんが並んでいて、明るい陽ざしの中を歩いていると、気分もウキウキしてくる。 坂道が平坦になってきたところに楽器屋さんがあり、お店の前に人垣ができている。 なんだろうとのぞいてみると、サックス、オルガン、ギター、ベース、ドラムの5人編成のバンドが店内でライブ演奏を行っていた。スチールパイプの椅子が十数脚並べられた狭い店内に入りきれない人たちが歩道にはみ出していたのだ。 どういうバンドなのか店員さんに聞いてみたら、メンバーは全員音楽教室の先生で、この楽器屋さんはミュージックスクールも開いていて、休日を利用した特別演奏会ということらしい。それだったら、上手いはずだ。しばらく演奏を聞かせてもらってからお店を出ると、駅の方に向かってサイドカーをつけたオートバイが走っていった。 商店街が終わって住宅街に入ると、間もなく、玄関の前にきれいな鉢植えや人形を飾っている家があった。ブーケやコサージュ、押し花やドライフラワーなどのコースがあるフラワーアートの教室をやっているようだ。 道路の脇に「横浜市営地下鉄の計画見直しを…」というプレートが掲示されていたので、近くまで行ってみると、「非常に浅く危険な工法(山岳工法=手掘)で計画しています。低周波・騒音・振動・地盤沈下等心配です…」と書かれている。 どうやら私が歩いてきた日吉中央通りの真下を、新しい地下鉄の線路が通っているらしい。私には騒音や振動は感じられなかったけど、歩いていると気がつかないだけなのか、それとも、そうした問題がクリアされて、地下鉄が完成したのか、ちょっと心配になってしまった。 起源は150年前にさかのぼる慶応普通部 小学校の校庭に二宮金次郎の像もう一度、駅前まで戻って、改めて、「普通部通り」の坂を登り始める。 駅前から歩き始めて5分足らずで「普通部通り」の先を左に折れると、通りの名前になっている「慶応普通部」にたどり着いた。その敷地は鬱蒼(うっそう)と葉の茂る樹木に囲まれていて、校舎も良く見えないほどだ。 正門の前まで行くと、門の扉が開いていたので、ちょっと歩かせてもらおうと中に入ってみる。校舎の端の窓から顔を出した守衛さんと思われる人に「こんにちは。どちらへ行かれますか」と尋ねられたので、「ちょっと中を歩かせていただけますか」とお願いしたが、「中には入れません」いうことだった。 門を出る時に、鉄の扉に付けられているペン先が二つ重なっている慶応義塾の校章の裏を見たら、「一八五八年(安政五)/福澤諭吉が蘭学塾を開いた 慶應義塾の起源の年である」と書かれていた。 再び「普通部通り」の先の道を歩いていくと、道路に面した横浜市立日吉台小学校の塀越しに二宮金次郎の銅像がある。歴史の古い学校なんだろうなと思っていると、その先には組み上げ式の井戸のポンプがグラウンドの隅に残されていたが、事故防止のためなのか、金網に囲まれていた。 道路の脇に「横浜七福神寿老人奉祀/天台宗 金蔵寺」という矢印付きの案内板が立っていたので、通りかかったおばさんに、「このお寺は近いんですか」と聞くと、「この先の坂を降り切ったところだよ」と教えてくれたので、ちょっと足を延ばしてみることにする。 見事なフジ棚もカラフルな金蔵寺 45年続いた幼稚園は3月で閉園日吉台小学校の敷地が終わるところから左手に緩やかに婉曲する坂道を降りていき、10分ほど歩いた場所に目指す金蔵寺があった。 住宅地の中にあるお寺だったが、山門の前は数十メートルほどの道路が参道のように伸びている。小さな女の子を連れた家族連れが、お寺にやってくるところだった。 山門の中に入ると、お清め水の建物の赤い柱に青い龍の彫り物があしらわれ、本堂の前の小さな塔も同じような様式で作られているので、境内はとてもカラフルな印象だ。 鐘楼の前には大きいフジ棚もあり、立派な紫色の花房がお寺の中とは思えない華やいだ雰囲気を醸し出している。 お寺の隣には幼稚園も併設されていたが、残念ながら、今年の3月で閉園になったばかりだという。庫裏(くり)の玄関前に掲示されていた新聞記事によると、幼稚園は45年も続いていたそうだが、地域のために子育てをしたいと開いた先代の住職も十年前に他界し、園舎も老朽化したため、閉園することになったのだそうだ。 山門を出て日吉駅に向かい歩き始めたら、お寺の境内の先に、「日吉風致地区」という横浜市の案内板が立っていた。 この辺りは「慶応義塾大学を主体として日吉緑地保全地区を含む良好な住宅地を取り入れた区域」として指定されているため、建物を建てたり、建物の色を変えたり、宅地の造成などを行う際には、事前に市長の許可を得る必要があるのだそうだ。 そういえば、坂を下りてくる途中にも、更地になっている宅地に生えている雑草が道路にまで広がっている場所があり、「土地所有者の責任において、早急に剪定(せんてい)してください」と書かれた横浜市の警告文も張り出されていた。 環境の良い町に住むには、色々と制約や苦労もあるんだなぁと思いながら、家路についた。
(2008年5月7日 読売新聞)
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