※前回の「直言」とNHK「新聞を読んで」は、下とバックナンバーにあります。
※次回の「直言」(5月19日)は、砂川事件「米軍駐留違憲」跳躍上告への圧力の米公文書発見について予定しています。
今週の「直言」 (2008年5月8日) トップページへ。 こちらからも読めます(高文研)。
緊急直言 胡錦濤主席の早大訪問歓迎せず 日中友好の歴史は、中国の民衆や知識人と早稲田大学との文化・学術交流の歴史でもある。大隈重信以来、中国のキーパーソンが早大を訪れ、あるいは早大で学び、中国の政治・経済・金融・文化・学術などさまざまな分野で活躍してきた。早大の留学生総数は2721人だが、中国からの留学生は1057人と、全体の4割近くを占める(2007年11月1日現在)。法学部・法学研究科で法律を学ぶ中国人留学生は82人おり、何人かを私も教えている。過去・現在・未来に向かって、中国との文化・学術交流はきわめて重要であり、体制は違っても、重要な隣人であることに変わりはない。 明日(5月8日)、中国の胡錦濤国家主席が大隈講堂で講演を行う。結論からいえば、私はこの来学を歓迎しない。むしろ、大学理事会は、大学としての見識を発揮して、これを断るべきであった。しかし、理事会は胡錦濤来学を演出し、福原愛選手(スポーツ科学部)+福田首相vs胡錦濤氏+中国選手の卓球のダブルスまでセットした模様である。これで、メディアは和気あいあいムードを演出するのだろうが、内閣支持率19.8%(共同通信5月2日)の福田首相の起死回生になるとはとうてい思えない。そんな茶番劇に協力する大学に、情けないを通り越して、悲しみすら覚える。 一般に、外国の賓客が来学し、講演を行うときは、事前に教職員に対して参加を募る案内が届く。限られた範囲の人々を集めるような講演会でも、関連科目の担当教員には招待状が来る。学生の参加を募ることもある。しかし、今回は、講演会があることすら伏せられ、前日になっても公式ホームページに情報提供は一切ない。少なくとも私の所属する法学部の中国語関係の教員に対して講演会への参加案内はなかった。法学部がそうなのだから、全学的に中国関係の教員・研究者に参加を呼びかけるということはなされなかったとみてよい。全学に中国語を履修する学生はたくさんいるが、そういう学生たちに講演会への参加がアナウンスされることもなかった。大隈講堂に入れる早大生は、1998年11月の江沢民主席来学時のような、一般公募の学生たち(その個人情報の扱いをめぐって訴訟にまで発展したところの)ではなく、40人前後の「身元の確かな」中国留学経験者だけである。彼らには、事前に「政治的な質問はしないように」という趣旨のことが伝えられたようである。 胡錦濤氏の警備は「米合衆国大統領並み」と聞く。明日、さまざまな団体が大隈講堂前で抗議行動を繰り広げるだろう。警備上の導線から、立ち入り禁止ゾーンが設けられる。木曜日というのは授業が集中する日である。昼過ぎから正門は閉鎖され、1号館で行われる政経学部のすべての授業が別の教室に変更となった。理由は「重要な行事が行われるから」と。南門周辺は3 限(13時から)の授業前に混乱が心配される。大学理事会は教職員にすら事前の情報開示もせず、警備上の事情を最優先させた。そこまでして、今、胡錦濤氏を早稲田に呼ぶ必要があるのか。 チベット問題が起きて、オリンピックの聖火リレーは、中国と北朝鮮を除くほとんどの国で混乱した事態をもたらした。「政火」のリレーとなって、「政治的火の粉」は全世界をめぐった。それだけ、中国が行ったチベットでの弾圧政策は世界中の心ある人々の怒りをかっているのだ。そうしたなかで、チベット事件以来、初めての外国訪問となる日本。そして、講演としては早大が初めてとなる。これは、胡錦濤氏が世界に向けて、自己の立場と行動を正当化する一大デモンストレーションの場として利用されるだろう。 外務省からの依頼があったとしても、これだけ世界がチベット問題や人権問題について関心を高めているときに、大学としての見識を示すべきだったと思う。福田首相は早大出身である。あの森喜朗元首相もそうである。 来年は天安門事件から20年である。1989年6月4日(日)。自由を求めて天安門前に集まった学生・市民を、人民解放軍の戦車と装甲車が押しつぶした事件の全貌はいまだに明らかになっていない。中国の党・政府の公式発表は、「反革命暴乱を平定し、社会主義国家の政権を防衛し、人民の根本的利益を保護し、改革開放と現代化建設が引き続き前進するのを保証した」(1992年、中共第14回全国代表大会の江沢民報告)というもので、この評価は胡錦濤政権のもとでも変わっていない。胡錦濤氏は、天安門事件のときも、チベットに運動が波及しないように、担当区域に戒厳令を布告している。人民解放軍を統括する中央軍事委員会副主席に彼がなったのは、天安門事件の10年後である。 胡錦濤氏も、かつてはチベット自治区党書記として軍を動かし、いまは中央軍事委員会主席として、最近の「チベット暴動」を鎮圧した。ヨーロッパ諸国は「国際人権」の観点から、中国のチベット政策を強く批判してきた。北京オリンピック開会式への首脳参加を取り止めた諸国は、この弾圧政策への批判を表明したものといえる。このような状況のもとで、「日本で中国の主張が認められた」「早稲田で歓迎された」という既成事実をつくり、中国の最高権力者に、「天安門」や「チベット」の問題への非難をかわすことに寄与する。早稲田大学が、その政治的デモンストレーションの場として利用される。これは大学にとって、最大の不名誉である。 すでに現役を退かれた、ある高名な憲法学者は、天安門事件について中国政府・党が総括をして反省しない限り、中国からの講演の招聘には応じないという立場を20年近く続けてこられた。私も、この「直言」によって、胡錦濤氏の早大訪問を歓迎せず、それに反対する意思を明確にしたいと思う。 |
今週の「直言」 (2008年5月5日) トップページへ。 こちらからも読めます(高文研)。
憲法施行61周年と「直言」600回 日本国憲法施行61周年を迎えた。当日は、気温32.3度という真夏日のなか、「5.3高知県民のつどい」で講演した。1993年に集中講義で1週間ほど滞在して以来、15年ぶりの高知である。3日間、土佐料理を堪能した(特にウツボのたたきが美味しかった)。 演題は「憲法とは何かを改めて問う――日本国憲法施行61周年の日に土佐から」とした。講演時間が80分しかなかったので、憲法9条関係の話は必要最小限にして、ほとんどを、憲法とは何か、立憲主義とは何かといった基本問題と、植木枝盛草案の先駆性に重点を置いて語った。そのためか、『毎日新聞』5月4日付高知県版は「土佐の歴史を学ぶことは憲法を学ぶこと」という4段見出しで、私の講演を紹介していた。私自身、「立憲の故郷」土佐の歴史に刺激されて、市民はもっと主体的に憲法というものと向き合うことを強調した。感想文をみると、そういうところに聴衆が共感してくれたことがわかる。 県立高知短期大学名誉教授の外崎光広氏によると、植木枝盛草案の特色は二つある(『植木枝盛の生涯』高知市文化振興事業団刊〔1997年〕103〜106頁参照)。第1に、枝盛らの自由民権運動の課題を条文化したということである。弁士中止の体験や、集会・結社禁止の弾圧体験、信書の秘密の保障も彼らの苦い経験に根ざしていたという。第2に、民権運動に影響を与えたということである。草案には「日本人民ハ兵士ノ宿泊ヲ拒絶スルヲ得」(73条)とあるが、明治21年(1888年)秋に陸軍演習が高知であったとき、松山・丸亀の兵士が民家宿泊することになったが、高知の上町の人々が「兵隊のお宿は出来申さず」とこれを拒否したという。枝盛が米合衆国憲法修正第3条を取り入れたものと思われるが、これが町民の具体的行動の指針となったようである。 このように、植木枝盛の草案は内容も、その後の影響も大変興味深いものがある(「『疑』を胸にひめて――植木枝盛のリアリティ」今週の一言〔法学館憲法研究所、2007年4月23日〕も参照) 。そこで、憲法記念日の直言として、 読者の皆さんに、植木草案についてもっと関心をもっていただくために、私が4年前、『月報司法書士』に連載した「憲法再入門」の通算7回目、「憲法が注目される時代を考える」から、その一部を引用することにしよう。なお、「○年前」という年数のカウントは、2004年2月の執筆時点から起算したものである。
思えば、昨年の憲法記念日は、安倍晋三内閣のもとで、憲法改正国民投票法成立を目の前にした危機感が強く漂っていた。それが、「7.29」によって「9.12」が起こり、その後始末のピンチヒッターとして登場した福田内閣は、いまや支持率10%台となった。森内閣の最低支持率9%(2001年2月)のレコードに接近すべく、日々支持率を低下させている。憲法改正どころではないかの如くである。だが、楽観は禁物である。「平成の枯れすすき」の安倍前首相が5月1日の改憲の集まりに参加して、「わたくしの内閣」での憲法改正の「成果」について語っている。まるで「再チャレンジ」とは自分のためのことのように。憲法審査会を軸に、改憲の「再チャレンジ」はすでに始まっている。 今日5日、幕張メッセで開かれている「9条世界会議」のシンポジウム「9条の危機と未来――日本の市民がめざす『戦争なき軍隊なき世界』」で講演する。憲法の特定条文がここまで注目され、あるいは思いや想いを込められ、それが固有名詞のように語られるのは、世界の憲法史のなかでも珍しいことである。「『武力によらない平和』という9条の考え方を、世界共通のものにしたい」ということから、ノーベル平和賞受賞者など、世界各地からゲストを招いて行われる。新聞報道によると、会場収容人員の12000人を3000人も上回ったということである。世界の市民にとって「9条」は共通の財産になりつつあるのかどうか。これについては、また別の機会に触れることにしよう。 さて、1997年1月3日に短い文章から始めた「直言」の毎週更新も、今回で連続600回を迎えた。年数にして11年4カ月である。サポーターの協力と読者の皆さんの励ましのおかげである。この機会にお礼申し上げたい。2年前の500回目のときに、1000回を目指すと宣言し たとおり、 これからも毎週の更新を続けていきたいと思っている。読者の皆さん、今後ともこの「直言」をどうぞよろしくお願いします。 |
「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
(2008年4月25日午後5時収録、 4月26日午前5時38分放送)
1.二つの高裁判決――名古屋高裁判決その後
2.「光市母子殺害事件」の差し戻し控訴審(広島高裁)判決
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Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule, Kabul geschickt. ――「アシアナから」―― 2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。 肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。 「武具を文具へ」。 平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。 「直言」2002年6月10日 |
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Copyright 1997 Mizushima Asaho
『憲法「私」論 ―みんなで考える前に ひとりひとりが考えよう』 (小学館) |
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『国家と自由―憲法学の可能性』
(日本評論社、共著)
『三省堂 新六法2008』 (三省堂、共編) |
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『世界の「有事法制」を診る』 (法律文化社、編著) |
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『有事法制批判』 (岩波新書、共著) 増刷して好評発売中 |
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