自衛隊の部隊への命令書には防衛相の氏名が記載される。ところが、06年3月(当時は防衛庁)まで、防衛庁長官名以外のもう一つの命令書があった。「防衛庁長官の命により」との記述が添えられたが、記載氏名は幕僚長だった。前者は「甲」命令、後者は「乙」命令と呼ばれた。
「甲」は防衛庁の内局(背広組)、「乙」は各幕僚監部(制服組)の起案だった。部隊には、文民である長官名の「甲」より「乙」を歓迎する空気が強かった。武官の氏名がなければ「軍令」ではない、との意識からだ。
二つの命令書に対する姿勢の落差は、背広・制服の対立の根深さと、制服組の「文民統制(シビリアンコントロール)」への複雑な視線を映し出している。
昨年来の不祥事を受けた防衛省改革論議は、首相直属の防衛省改革会議と省内の改革推進チームで大詰めを迎えている。焦点は「文民統制の強化」である。
文民統制は、選挙で選ばれた国会議員を通じ、国民が軍事の最終的な決定権を持つという民主主義の基本原則である。「政治統制」とも呼ばれる。日本では制度上、背広組が制服組に対し優位に立っており、文官(背広組)による統制も文民統制の柱の一つとの解釈が根強い。「日本型の文民統制」と説明される。
その「文官優位」の中核は省の方針全般について防衛相を補佐する防衛参事官(9人)制度だ。これを敵視する制服組幹部が制度廃止を主張したこともあった。制服組の「文民統制への複雑な視線」も「文民統制=文官優位」との解釈が背景にある。
省内チームの改革案は、防衛相の補佐を政治任用にするなど政治統制強化を打ち出し、背広・制服混成による組織編成を盛り込むという。そこには、文官優位に切り込む姿勢がにじむ。
確かに文民統制の本旨は政治統制である。文官も自衛隊員で統制の対象だ。前防衛事務次官の収賄事件は文官の信用を失墜させ、文官トップの暴走を許した「政治」側に反省を迫った。
しかし一方で、過去、文官優位が文民統制の「補助輪」の役割を果たしてきたのも事実だ。文官は時々の政治に適合した政策の策定を主導することで政治統制を支える役回りだった。自衛隊の合憲・違憲論争が長く続いた政界では、文民統制が正面から議論される機会が少なく、政治と軍事の関係に不案内な議員が多いという事情もある。
本来、文民統制は「国会の関与」抜きには語れないが、省改革で充実を図ることはできよう。しかし、その際には、文官優位の意義と限界の検証を踏まえた丁寧な議論が必須となる。
毎日新聞 2008年5月8日 東京朝刊