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【櫻井よしこ 福田首相に申す】「文化の虐殺」粛々と進行中
日中首脳会談で、チベット問題にも人権にも全く触れない共同声明が出された。中国政府とダライ・ラマ法王の話し合いについて胡錦濤国家主席から説明をうけた福田康夫首相は、話し合い自体を評価した。が、中国の姿勢は真に評価に値するのか。共同記者会見で胡主席はこう語った。
「ダライ側が、実際の行動をもって、誠意を示し、祖国分裂の活動を真に停止し、暴力活動や扇動行為の画策をやめ、また戦闘することを停止し、北京五輪の破壊を停止し、次のステップの話し合いのために、条件をつくりあげることを望んでおります」
ダライ・ラマ法王が「北京五輪の破壊」を意図していると、相変わらず、事実に反する主張である。はたして、これで意味ある対話に進展するのか、率直に言って疑わしい。
中国政府は昨年9月、チベット仏教の真髄である「活仏(生き仏)転生」を中国共産党の許可制とする法律を施行した。宗教を否定する共産党が、幾千年もの歴史を有するチベット仏教の活仏に許認可権を行使するのだそうだ。中国共産党はこの噴飯ものの法を掲げ、チベット文明を消し去ろうとする。そうした制度への、胡主席らの内省的な言及がない限り、中国共産党による話し合いはどこにも到達しない。したがって、対話開始をもって、チベット問題が解決に向かうかのように受けとめる福田首相は、未必の故意の罪を犯しているに等しい。
中国共産党はいかに異民族を弾圧してきたか。たとえば、ウイグル族だ。チベット族と彼らの体験は著しく似通っており、彼らの体験に深い考慮を払えば、さらなる悲劇を抑制することができるはずだ。
中華人民共和国は1955年、新疆ウイグル自治区をつくった。60年代には鉄道を開き、人民解放軍と漢民族がなだれ込んだ。中国当局の統計では、50年に30万人だった新疆の漢民族は、99年には約690万へと、23倍増した。東トルキスタン(ウイグル)亡命政権の統計ではウイグル族1500万に対し漢民族2000万である。いずれにしても漢民族が新疆を席巻しているのだ。
自らの国土で少数派に転落したウイグル族は、さらなる人口減少へと誘導されつつある。ウイグル族の15歳から22歳の結婚適齢期の女性に都市への移住・就労が強制され始めたからだ。2006年からの5年間で、40万人が天津、青島、上海などの大都市に移される予定で、信じ難い低賃金で働かされる。
一人っ子政策のために、中国の親たちは堕胎や産み分けで男児を選びがちだ。結果、20年には適齢期の男性4000万人が結婚できない事態に陥る。ウイグル女性は、安価な労働力と漢人男性の伴侶(はんりょ)の供給源になるわけだ。
中国共産党政権はさらにウイグル族の中華民族化に力を入れる。貧しいウイグル族の幼児(おさなご)たちを親元から離し、集団生活で学ばせる。言葉は中国語、学習内容は社会主義イデオロギーだ。中国共産党の指導に従順であれば優秀とされ、小学、中学、少数だが、高校、大学にも進学させてもらえる。こうして子供たちの心は漢人になっていく。
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ダライ・ラマ法王が訴える「文化の虐殺」は、新疆においても粛々と進行中なのである。
中国共産党はウイグル族の土地で、過去46回も核実験を行った。その一方で、同地区の豊かな天然資源や希少金属を持ち去っていく。弾圧と搾取の構造はチベット族に対しても同じである。
異民族を力で抑え込む中国共産党は、北京五輪を成功に導き、近い将来、台湾制覇のため南進すると思われる。そうなれば、日本にとっても深刻な危機が到来する。
だが、彼らの目標は多くの深刻な犠牲を生み出すことなしには達成不可能だ。環境保全と経済成長、民主化と共産党一党支配、人権など普遍的価値観の尊重と漢民族中心の愛国主義、軍事力膨張と国際調和。どれをとっても厳しい二者択一となる。前進するには、常に片方を切り捨てなければならないという異形の国家体制を作り上げた中国は、先の読みにくい不確実の時代に突入しているのだ。切り捨てられる側の不満はすさまじく、暴発すれば中国共産党の基盤が大きく揺らぐ。華やかな舞台となる北京五輪は、皮肉にも中国共産党の衰退を加速させかねない。
日本が備えるべきは、実は、そのような近未来の危機である。福田首相が念頭に置くべきは、自国民も含めておよそ誰も幸福にしてこなかった中国共産党独裁政権の基盤が揺らぐとき、漢民族も異民族も含めた中国の人々、そして国際社会に向かって、いかなる普遍的価値観に基づいた言葉を発することができるかという点である。
この種の危機に際して、日本はなによりもまず、道義によって立つ国であることを明言しなければならないだろう。であれば、福田首相は、いま、中国共産党の常軌を逸した価値観を丸ごと呑(の)み込む卑屈な微笑を、胡主席に見せるのは慎むことだ。そのうえで、価値観を同じくする同盟国、米国との関係重視の姿勢を常に明らかにすることを忘れてはならない。日中関係を大切にしながらも、日米関係が現在の日本の戦略の基盤をなすことを肝に銘じてほしい。