中でも、(1)の供給のために要する費用算定が、不当廉売の立証において重要なポイントになる。この費用算定に関して公正取引委員会や過去の裁判結果の見解では、販売費用(売上原価)に一般管理費や販売費などを加えた総販売原価を費用と見なして判断することになっている。
この費用は、有価証券報告書の損益計算書を参照すれば、すぐに分かると考えがちだが、不当廉売に当たるかどうかを判断する基準となる総販売原価を、公開されている有価証券報告書やアニュアルレポートなどから推定するのは、容易でない。
例えば、スカイマークとANAの例で、スカイマークがANAの料金を不当廉売だと証明するには、先に挙げた3路線の販売価格が、ANAの国内線の全フライトの(1シート分の)費用を下回っていることを示さなくてはならない。しかし、ANAの有価証券報告書には、路線ごとの損益計算書は掲載されていない。
ましてや、1シート当たりの総販売原価は掲載されていない。ここまで細かい費用情報は企業秘密であり、また、ANAがそこまできめ細かく費用を社内で管理していない可能性すらある。費用割れであるというスカイマークの主張を厳密に検証するためには、公取はANAの費用体系と事業の実態を綿密に調査して、1シート当たりの総販売原価を割り出す必要がある。
推定するしかなかったがために強いられる不利
ヤマト運輸と日本郵政公社の係争で、そもそもヤマト運輸が問題視したのは、郵政公社が、年賀はがきをはじめとするはがきや封書などの信書便における公的に認められた独占利益や路上駐車など民間業者には許されていない便益を用いて、ゆうパックの価格を低く抑えて、ゆうパックのシェア拡大を図っているということだ。
ヤマト運輸が、この主張を立証するためには、ゆうパック事業がそもそも赤字であるか黒字であるのかを明らかにする必要がある。しかし、日本郵政公社は、ゆうパック事業を含む「小包事業」に関する損益は開示していたものの、「ゆうパック事業単体」の損益は、公社の時期においても公表していなかった。
ヤマト運輸は、裁判所にゆうパックの事業に関わる費用などの文書提出命令の申し立てを行ったが裁判所はこれを留保した。裁判所は、むしろ、公取の強制調査権並びに専門的解析能力に期待してはどうかとヤマト運輸に示唆を与えたことから、ヤマト運輸は公取委にゆうパックの不当廉売性について調査を請求した。しかし、民事で行われている裁判であるということを理由に、公取委は調査を行わなかったようである。
一般に、企業の費用情報は、株式市場に上場されていなければ公開されていない。上場している企業であっても、個別事業の損益計算書までは公表しないことが多い。ましてや、ANAの特定の路線や郵政公社のゆうパック事業のように不当廉売で問題になっている特定のセグメントの損益については明らかにされていない。
結果として、有価証券報告書レベルでの費用情報が開示されていたとしても、不当廉売事件において見るべき「総販売原価」を特定することは容易ではない。公取委が事件として取り上げて調査するとしても、加害者の費用情報を入手して、事件に関わる部分の総販売原価に当たる費用を会計データや事業実態を分析して算定しなければならない。
そのため被害者が差し止め請求訴訟を起こす場合、加害者側の費用情報の開示はほとんど期待できないことから、公表されたデータを用いてできる限りの推定を行わなければならず、被害者側の主張を立証することは容易ではない。
費用情報の開示による不当廉売立証の容易化
しかし、冒頭に示した改正独禁法で導入された文書提出命令の特則によって、上記のヤマト運輸が感じていたようなジレンマは、一定程度解消されることになる。被害者は、加害者の行為の違法性をより容易に立証できる可能性が高くなったと言える。