「フリー・チベット」の叫びは広がる
2008年05月07日
「私はもう、10年以上も日本に住んでいるわけですが、チベットのためにこんなにたくさんの方々が集まって下さる非が来るとは、正直、想像もしていませんでした」
それは、挨拶をした在日チベット人小原カルデンさんだけでなく、チベット問題に関わる多くの人の本音だっただろう。5月6日、日本青年館で行われた集会「チベットを救え!」とそれに続くデモには、約3000人もの人々が参加。チベット問題の平和的な解決を求める声に、ウィグル人、モンゴル人など中国領内で少数民族とされている人々やその支援者が合流し、この問題ではかつてない規模の行動となった。ゴールデンウィーク最終日、さわやかに晴れた原宿の通りに、「チベットに自由を!」「本物の自由を!!」の声が響いた。
この催しは、胡錦涛・中国国家主席の来日に併せて行われた。冒頭、在日チベット人が3月の騒乱以降のチベットで203人が死亡したと報告し、黙祷。
続いて、呼びかけ人の牧野聖修氏が、「ダライ・ラマ法王の非暴力と対話は、単なる運動論ではなく、法王の生き方そのもので、中国は耳を傾けるべきだ。中国はチベットに本物の自由を与えるべきだ」と挨拶した。
チベット亡命政府のあるインド・ダラムサラからやってきたカルマ・チョペル・ダグルンツァン亡命政府議会議長が、「もし今、中国指導部が我々の気持ちを汲んでくれなければ、完全な独立を求めて権利を行使する」「チベットにいる兄弟姉妹たちは、もう生きるか死ぬかの状況」と、せっぱ詰まった気持ちを訴えた。
さらに、チベット問題を考える議員連盟会長の枝野幸男衆院議員は次のように述べた。
「まずはお隣同士支え合い助け合うのが本来の国際貢献。(それなのに、日本より)もっと遠い欧米の方がむしろしっかり現状を見つめてチベットの人たちを支えてきた。今回、多くの血が流され、多くの人が何とかしなければ、という思いに駆られている。この問題は1、2週間で解決するものではない。オリンピックまで、あるいは人の気持ちが冷めるまで先送りしようというのが中国の考え方のようだが、本当に自治が確立し、ダライ・ラマ法王がラサで笑顔で挨拶されるまで、この問題は続いている。福田首相が、(ダライ・ラマ法王の代表と中国側の)形だけの対話を承認したら、日本は(チベットにタイする人権侵害の)共犯者になってしまう」(ここで会場からは長くて大きな拍手)
「自分たちの行政府の長が、虐殺の共犯者になることを認めるわけにはいかない」(再び長くて大きな拍手)
集会には、チベットと同じような抑圧を受けている中国領内のモンゴル人やウィグル人も参加した。、
「モンゴルは自分の国があるじゃないかと言われるが、400万人ものモンゴル人が中国領内の内モンゴル自治区に住んでいる。私たちは少数民族ではありません。私たちは自分の土地に住んでいるのに少数民族と言われる。武力でなく、中国と話をする必要がある」(ケレイト・フビスガル内モンゴル人民党日本支部代表)
「私たちも50年前からずっと虐殺、弾圧、いじめを受け続けてきた。今やウィグル人、チベット人、モンゴル人が一緒になって行動しなければ、民族が消されてしまう」(イリハム・マハムティ世界ウイグル会議日本エージェント)
他に、日本の僧侶、宮司、さらには台湾人や民主化を求める中国人なども、それぞれ壇上でチベット問題への共感や支援を訴えた。
デモの列には、チベットの旗が林立。ウィグル人による東トルキスタンの青い旗が混じり、参加者は手作りの様々なバナーやプラカードでそれぞれの思いや訴えていた。
原宿通りでは、携帯で写真を撮っている若者や歩道橋の上から拍手を送っている男性などの姿もあって、問題が市民の間にも浸透していることを伺わせた。
それにしても、なぜ、チベット問題でこれだけの人たちが参加したのだろうか。
もちろんこの3月以降の報道の多さもあっただろう。チベットでの騒乱やその後の中国側の対応、ダライ・ラマ法王の訴えなどが、日本でもかなり伝えられた。
だが、それだけではないような気がする。
北京オリンピックの聖火リレーで、中国は各地で多くの自国民を動員し、愛国心を盛り上げてきた。長野にも4000人とも言われる中国人が押しよせ、沿道やゴール付近は中国の旗で埋め尽くされた。そして中国語のシュプレヒコール。数は力、力は正義と言わんばかりに、数で圧倒するやり方に、違和感や恐怖や反感を覚えた人は少なくなかっただろう。
しかもギョーザ事件で、自分たちに非のある可能性は絶対に認めないという強硬な対応を見せつけられたばかりだ。
そんな風に、中国が強さを見せつけることで、自分たちの主張や正当性を押し通そうとすればするほど、その中国の力による人権侵害を受けてきたチベット人たちの訴えが、より現実的で、より身近な切実なものとして、日本の人たちにも伝わってきたのではないだろうか。
ダライ・ラマ法王はあくまでも非暴力を訴えているし、中国政府が盛んに流しているラサでの騒乱でも、チベット人は武器らしい武器は持っていない。一方の中国政府といえば、軍事増強を進め、核兵器まで所有している。天安門事件で自国民に対して発砲し、装甲車でひき殺した”実績”もある。この圧倒的な力量の違いは、日本人の判官贔屓の心情を刺激する。
そのうえ、チベット人はこれだけ政府の対応が消極的な日本に対しても、ダライ・ラマ法王にしろ、その出先機関である日本代表部のラクパ・ツォコ代表にしろ、恨み言は一切言わず、むしろ感謝の言葉を口にしている。あくまで丁寧で謙虚だ。それに対して中国政府は……。
力に頼れば頼るほど、力を誇示すればするほど、日本の人たちの心は中国から離れていく。それを和らげようというのか、胡錦涛国家主席は、上野動物公園にパンダのつがいを貸与(贈与ではない)すると、福田首相に伝えたそうだ。
パンダは可愛い。来れば、大いに歓迎されるだろう。
しかし、可愛い可愛いパンダといえども、ここまで心と頭に深く刻まれたチベット問題やギョーザ事件を消し去る魔力は持ち合わせていないだろう。むしろ、オリンピックに続いてパンダまで政治的に利用しようとしていると、中国に対する反発が増すかもしれない。
ダライ・ラマ法王の代表と中国政府関係者との対話があった、という報道も、多くの人は冷めた目で見ているに違いない。外に向かっては対話をしているポーズをとり、内に向かってはダライ・ラマ法王にすべての責任を押しつける、という中国のやり方からは、早期に問題を解決しようという誠意は感じられない。
解決を先送りすれば、人々は問題を忘れ、事態は沈静化する。そんな計算が、中国政府にはあるのかもしれない。
だとすれば、少し認識が甘いのではないか。
今回の集会とデモで明らかなように、「フリー・チベット(チベットに自由を)」のムーブメントは、チベットだけの問題ではなくなっている。中国への反発やチベット人たちへの同情や共感を抱く人々に加え、内モンゴルや新疆ウイグル自治区出身の人々やその支援者が加わって、チベット支援の船団は、かつてないほど大きくなっている。デモでは、中国のベトナム侵略を批判するバナーを掲げている参加者もいた。
方向性や手法の異なるグループとの連帯の広がりは、チベットの人たちにとって、諸刃の剣とも言えるかもしれない。しかしこれに、ビルマ(ミャンマー)やスーダンなど、中国が支援する政府によって人権侵害や虐殺が行われている国から逃れてきた人たちが加れば、さらに大きなうねりとなって、中国の人権問題を糾弾する流れを作っていくだろう。
たぶん、このような流れが起き始めているのは日本だけではない。チベットの問題に関しては、枝野議員が集会の席で指摘しているように、日本の動きは欧米に比べると常に遅く、鈍かった。その日本でも、これだけの広がりが見えてきたということは、おそらく世界のあちこちで、様々な連帯や同情や共感が広がっているはずだ。
中国が事態を放置している間に、この動きが世界中に野火のように広がれば、中国国内の民主化の動きも再び燃え上がる可能性がある。いくら規制や言論弾圧をしても、今は情報伝達のツールは多い。いったん点火すれば、火の周りは早いだろう。
もしかして、世界で最大の独裁体制が炎上する日は、そう遠くないのかもしれない。
……というのは少し先走りすぎだろうが、中国は、先送りすればするほど問題が大きくなる可能性を、もっと深刻に考えるべきだ。そして胡錦涛主席を迎えている福田首相は、真の友情関係を結ぼうとするのであれば、先延ばしは中国にとって、あるいは中国政府にとって、決して得策ではないと、友人として言葉を尽くして忠告して差し上げたらどうなのだろう。