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神谷秀樹の「日米企業往来」

「経理の松下」とサブプライムの教訓

 そして返せないようなお金は貸さないようにする。使途が間違っていると思えば、「そんな金の使い方はするな」と諭す。金融とは本来同じものである。ところが現代の金融からは、上記の通り「人」という要素が消えてしまった。

融資を断られた松下の財務部長が受けた助言

 松下電器産業6752の創業期に財務部長を務めた方の話を伺ったことがある。商売が伸び、運転資金を必要とするので、住友銀行(現三井住友銀行)8316に借りに行った。支店長は会社の財務諸表を見て、「あんたのところは売掛金が多すぎる。明日から5時を過ぎたら全社員で売掛金の回収に当たりなさい。そうすれば借金などしないで済む」と言われたそうだ。

 財務部長は会社に戻ると、さっそく支店長の指示を社員に実行させた。当時の社長は創業者の松下幸之助さん。幸之助社長の奥様は、毎晩、売掛金を回収し終えて帰ってくる社員のために、味噌汁を作って待っていたという。

 こうした日々が続き、数カ月したある日、売掛金はすっかり減り、本当に借金しなくてよいようになった。財務部長はそのことを銀行支店長に報告し、礼を述べた。それからしばらくたってから、松下は工場の建設資金を必要とすることになった。同じ支店長に借金の申し入れに行くと、その支店長はその場で了承したという。

 顧客とバンカーとの関係がこのようなものであれば、不良債権など生まれないのである。現代の金融と過去の金融。どちらが正しい金融の在り方なのかは、素人でも分かろう。

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このコラムについて

神谷秀樹の「日米企業往来」

日米の巨大金融機関で勤務した後に、顧客と投資家と投資銀行家の3者の利害が一致する投資銀行を実現したいと一人で投資銀行を設立した筆者。日米の企業風土や人生の価値観などを指摘する。

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著者プロフィール

神谷 秀樹(みたに・ひでき)
ロバーツ・ミタニLLC創業者兼マネージング・ディレクター

神谷秀樹

1953年東京都生まれ。小学校時代をタイで過ごし、75年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、住友銀行入行。ブラジル・ミナス・ジェライス連邦大学留学を経て、84年ゴールドマン・サックス証券に移籍。92年に日本人では初めて米国で投資銀行の「ミタニ&カンパニー・インク」を設立、95年に「ロバーツ・ミタニLLC」に社名変更。米国在住。著書に『ニューヨーク流 たった5人の「大きな会社」』(亜紀書房)。これまでに大阪府海外アドバイザー、フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院客員教授などを兼務。

(写真:丸本 孝彦)

ロバーツ・ミタニLLCのサイトはこちら

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