北東要塞において戦端が開かれてから、既に一週間近い時が流れた。
レコン・キスタの圧倒的な兵力による攻勢に晒されながら、粘り強く持ち堪えていた王統派の防衛戦。
終りの見えない攻防が、また今日も始まるのかと思われたその日、不意にレコン・キスタの攻勢が止んだ。
「なんだ、何かあったのか?」
「わかりません。どうもあちらさんが妙な混乱をしてるようですが……ん、伝令が入りました」
事態の変化に、前線で困惑したように言葉を交わしていた二人の王軍仕官。一人が虚空を見上げ、司令部からの伝令を受け取り始める。
「ふむ。迂回していた艦隊群が到着でもしたか?」
「いえ……これは、なんと! ははははっ!」
突然笑い声を上げ始めた相手の反応に、もう一人の仕官は少し腰を引きながら、恐る恐る尋ねる。
「ど、どうした?」
「レコン・キスタの後方部隊が壊滅しました! 奴らの兵站線はズタズタだ!」
攻撃は戦場の遥か後方、レコン・キスタの要港たるダータルネス港周辺において、突如として現れた王統派の艦隊群によって行われたとある。
これは北東要塞を目指し、予め敵戦力の包囲殲滅を図るべく迂回路を取っていた艦隊群による攻撃───ではない。
「ん、なら何処の艦隊だ? そんな攻撃力のある艦隊はあったかね?」
「それが傑作ですよ。やったのは、定期便の改装戦艦──イーグル艦を運用してる平民士官の連中ですよ!」
この攻撃部隊の艦はいずれも、平時において定期航路で運用されていたフネが改装され、ウェールズの指示により通商破壊用の高速戦艦として、戦線に投入されたもので構成される。
「ほぅ。戦力としては疑問視する声が多かったが、こうも上手く嵌まるとはな」
「殿下の采配だそうです」
「なるほど……これは勝ったかな?」
前線で歓声を上げる王統派とは対照的に、レコン・キスタの陣は目に見えた動揺が広がっていた。
アルビオン中を網の目のように走る定期航路は伊達ではない。本来なら後方に位置するはずの領内で、レコン・キスタの兵站線はたやすく蹂躙されて行った。商船が改装された程度のものである以上、武装は貧弱なものだったが、そのぶん船足の早さは他の追随を許さない。戦力をこの会戦に集中していたレコン・キスタにもたらされた被害は、壊滅的なものがあった。
そもそも、王統派では平時において定期航路に建造された港が兵站基地として機能している。王統派は十分な戦略物資に恵まれ、交戦能力・志気ともに高いものを維持していた。
対するレコン・キスタは定期航路の受け入れを拒絶した結果、商人たちの協力も得られず常に兵站不足に喘いでいた。いくら兵力数で勝っていた所で、運用するために必要な物資がそもそも存在しなければ意味はない。限られた物資を辛うじて運用していたのがレコン・キスタの実情だった。
そこに、止めとばかりに行われた兵站線への攻撃だ。
戦略物資が届かない以上、前線における志気は加速度的な勢いで低下していく。補給路を絶たれた軍ほど脆いものはない。負け戦の臭いを嗅ぎ取った者たちの行動は軍の崩壊を加速させる。
志気の崩壊を畏れたレコン・キスタは兵站維持のためにも、数少ない保有する戦列艦を後方の巡回に回さなければならなくなり、あと一歩の所まで行っておきながら、ついに要塞を攻めきることができなかった。
レコン・キスタの包囲殲滅を図るべく、迂回路を取っていた艦隊群の到着も、間近に迫っている。
時間の経過はもはや王統派に利することは合っても、レコン・キスタ側にとっては百害あって一利なし。
もはやレコン・キスタは大規模な攻勢を仕掛ける以前に、内部分裂の一歩手前の段階まで追い詰められていた。
* * *
「……まさか、ここまで読んでいたのだろうか」
「どうしました、ボーウッド提督?」
「いや……大したものだと思ってな」
副官ホレイショの問い掛けに、艦橋に立つボーウッドは曖昧な言葉を返していた。
ボーウッドの指揮する艦隊群はレコン・キスタの正面戦力と対峙していた。それ故に、戦場の空気の変化には誰よりも敏感だった。どこか恐慌を来たしたように急速に志気を霧散させていくレコン・キスタの陣が目の前にある。
「大したものですか?」
「平民仕官達の運用だよ」
「ああ、なるほど。確かにあれほど効果的な使い方はなかったでしょうね」
目を輝かせながら、副官が同意を返す。
兵站線の攻撃に割かれた艦隊は、もとが商船だけあって武装は貧弱だ。
たとえこちらの戦場に投入されたとしても、あまり戦力にはならなかっただろう。
ろくに期待もされていなかった部隊の上げた一大戦果に、王統派全体の志気は鰻登りの勢いで高まり続けている。
これで王軍の平民士官に対する認識も、変わらざるを得ないだろう。
(あるいは……それも見越した上での采配だったのだろうか)
自らが杖を捧げた主君の意図に考えを巡らせるボーウッドの横で、副官が興奮したように言葉を続ける。
「最後は艦隊決戦で雌雄を決するものとばかり思っていましたが、もはやレコン・キスタにその余裕はなさそうですね」
「ああ、既にやつらの兵站線は崩壊している」
定期航路の受け入れを拒絶したことで、ただでさえレコン・キスタに協力する商人は少なかったのだ。投資に敏感な商人たちのことだ。もはや奴らが積極的な協力を得ることは難しいだろう。
「おそらくは、こちらの包囲網が完成する前に、最後の攻勢を仕掛けてくるだろうが、もはや我々は圧倒的優位な状況が既に約束されているようなものだな」
「ええ。しかし、定期便の改装艦かぁ。まさか殿下の推進なさっていた航空事業が、戦争でも役立つとは思いもよりませんでしたよ。我々は幸運でしたね」
「幸運……か」
ひょっとすると、殿下はあの時点で既に、内乱の勃発まで読んでいたのかもしれない。
仮に殿下の推進した事業が行われていなかったなら、南部や西部もどう動いたものかわからない。
一見すると、その時点では何ら関連性を持たないように思われた一つ一つの施策が、それぞれ複雑に絡み合い、あらゆる方面に影響を及ぼし合いながら、今の王統派絶対優位とすら言えるような現状をつくり出している。
僅かの間、思考に沈んでいたボーウッドの耳に、敵艦隊の出現を知らせる警鐘が届く。
「おや、やはりレコン・キスタは最後の攻勢に出ることを選んだようですね」
「そのようだな。まあ、ここまで戦略的に優位な状況を殿下に構築してもらったのだ。あとは戦術的な勝利をもぎ取ることで、王統派の勝利を決定的なものとするとしよう」
軍帽のつばを一度動かし、頭を戦場に切り換える。
もはやそこに居るのは一人の軍人としての顔だ。
「艦隊全速前進、左砲戦準備」
『左砲戦準備! アイ・サー!』
後は、詳しい戦線の推移を言うまでもないだろう。
北東要塞において王統派はレコン・キスタの攻勢に堪え続け、防衛戦の維持を完遂。
到着した艦隊群によって包囲網が完成、レコン・キスタは四方から降り注ぐ圧倒的な砲火に晒された。
レコン・キスタの艦隊勢力は恐慌を来し、ついに撤退を開始する。それはレコン・キスタ全軍が一斉に、後方に向けて突撃を開始したに等しかった。一点に向けて押し寄せる膨大な数の兵力を前に、その戦域を担当する王統派の将兵は声なき悲鳴を上げる。司令部に詰めるウェールズ達も、戦況の変化に、こりゃまずいことになったと青い顔になったという。
そのまま進めば、王軍全体の崩壊という最悪の事態にまで発展しかねなかっただろう。
しかし、ロイヤル・ソブリン号を筆頭に要塞陣地の艦隊群を指揮するサー・ヘンリ・ボーウッドは状況の変化を見て取るや、自らの裁量権を用いて、あえて包囲網に穴を作るよう全軍に指示を下す。
撤退を開始した敵軍はそれこそ死に物狂いになって、意図的に作り出された包囲網の穴に殺到した。
練度が低いと言っても、死兵となった戦力は侮れないものがあった。しかし、逃げ道が僅かばかりといえども示されれば、雪崩を打って逃げ出す弱兵に過ぎない。
背を向け逃げ出した敵軍に対して、王統派はこれまでの鬱憤を晴らすかのように凄まじいまでの追撃を加え続けた。
レコン・キスタ軍がダータルネス港に辿り着いたとき、彼らは大半の航空戦力を磨り潰し、制空権そのものを喪失していた。
* * *
アルビオンを半ば横断するような勢いで、壊滅的な敗走劇を繰り広げたレコン・キスタ。
なんとかダータルネス港に辿り着くも、もはや彼等に蜂起当初の勢いはなく、ダータルネスはまるで死んだような沈黙に包まれていた。
そんなダータルネスの一角、司令部の置かれた建物の奥深くで、闇に紛れ言葉を交わす男女が二人。
「ど、どうすればいいのですか!? わ、私の軍が……手にしかけた国土が、こんなにも呆気なく……」
嘆きの声を上げるクロムウェルに向けて、女はそっと手を伸ばす。首筋をなで上げるように優しく顎先を持ち上げると、耳元に口を寄せ、小さくつぶやく。
「甘えるな」
「ひ……っ!?」
深い闇のような、ブルネットの長髪が揺れる。怪しい輝きを宿した双眸が目の前にあった。膨れ上がる剣呑な気配に飲まれ、クロムウェルは震え上がった。
「我が主から、あれだけの支援を受けておきながら、この貧乏ったらしいアルビオンごときすら手にできなかったのも……すべてはお前の器量が足らなかった。ただ、それだけのことよ」
「ぉ、おおおぉお……ミス! ミス・シェフィールド! どうか、どうかお許しを……御慈悲を……!」
クロムウェルは必死になってシェフィールドの足元に縋り付きながら慈悲を請う。そこにレコン・キスタ盟主としての威厳などカケラも存在しない。
「私にはあの御方しか、あなた方しか頼れる相手がいないのです! どうか、どうか御助力を……!」
「そうね……なら、クロムウェル。アンドバリの指輪をこちらに」
クロムウェルは自らのより所が奪われる恐れに、反射的に身を引いていた。
「で、ですが……」
「クロムウェル」
再度響いた恫喝に、クロムウェルはおずおずと指輪を差し出した。
差し出された指輪を受け取ると同時、フードに覆われたシェフィールドの額が輝きを発する。何かを確かめるように目を閉じた後で、彼女はそのまま指輪を懐に入れると、クロムウェルに背を向けた。
「私は少し外に出るわ」
「お、お待ちください! いったい何処に!? わ、私はいったいどうすれば───」
「水の力は心と身体を司る」
クロムウェルの嘆きを立ち切るように、その言葉は放たれた。
「死体を動かすことなど、アンドバリの指輪が秘めた力の一つに過ぎない。北部の山嶺から、トロール鬼の兵団を連れて来ましょう。彼らを王統派にぶつける事で、侵攻を阻むことが可能になるはずよ」
彼らをこちらの陣営に引き入れに行く。ただそれだけよ。シェフィールドは幼子をあやすように優しい言葉で告げた。
トロール鬼はアルビオンの高原地方に生息する身の丈5メイルにも達する戦意旺盛な亜人達だ。クロムウェルは耳朶に染み渡る言葉の意味を理解するや、その顔色を急速に取戻していく。
「明日には戻るわ。抜けた兵力は彼等で補うのね、クロムウェル」
「おお、感謝を! あの御方に! あなた方に感謝を、シェフィールド!」
過剰に修飾された感謝の言葉に応えず、彼女───シェフィールドは踵を返す。
無能な男だった。
ここまで手筈を整えてやったというのに、結局、ここに至るまでの間、王統派にもたらされた損害らしい損害は見えない。
いや……むしろ賞賛すべきは、こちらの奇襲に対する隙のないアルビオン王政府の対応か。事前に、ある程度こちらの動きを予測していたのでもない限り、ああも迅速な対応は取れない。
アルビオンの現王はいささか頭の堅い人物だと聞いていた。
しかし、北東要塞で繰り広げられた戦いは、自分の目から見ても驚嘆に値するような戦術がいくつも導入されていた。あれほどまでに柔軟な発想が、あの凡庸な王に出来るとは思えない。
「……やはり一番怪しいのは、変人と噂に伝え聞くアルビオンの皇太子の存在ね」
シェフィールドは冷徹に計算を巡らせながら、レコン・キスタの果たすべき役割に関して、自らの備えるただ唯一の行動理念に従い、更なる修正を加えて行く。
クロムウェルにはああ言ったが、もはやダータルネスが陥落するのも時間の問題だろう。
「でも、この程度で終わってしまっては、我が主も興ざめというもの……」
ならば、はたしてこの国に、我が主の『遊び相手』と成り得るような者が存在するのか。
「もはや用済みとなった彼らをぶつけることで、せめてそれを見定める試金石とすることにしましょう」
どうせ放っておけば、いずれ散る存在だ。ならば、できる限り派手に散ってこそ、多少の面白みも湧くというもの。
シェフィールドは一瞬猛禽のような笑みを浮かべると、ついで目深に被ったフードから顔を上げ、自らの仕える主に想いを馳せる。
「いましばらくの間、お待ち下さい。ええ、きっと楽しい対局になりますよ、ジョゼフさま」
頬を朱に染めながら、そっとつぶやく彼女の顔に浮かぶ表情は、どこか恋する少女のように、ひどくあどけない微笑みだった。
- 2007/07/20(金) 00:14:08|
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