ラーメンの三代要素といえば、麺と具とスープ。だが伝え聞くところによると、「油そば」には肝心のスープがない。その代わり、油で溶いたタレを、ゆでた麺にからめて食べるのだという。
発祥地といわれる東京・武蔵野地区のラーメン界では、「油そば」以外に、それぞれの店ごとに、「もんじゃそば」「手抜きそば」「あぶらーめん」などの名前でもメニューに載っていて、それが最近、東は都心方面に、西は八王子周辺にまで急速に広がりつつあるというのだ。
(中略)
「JR中央線武蔵境駅から歩いて十分。こぢんまりした、ごく普通のラーメン屋だ。だが、午後三時すぎなのに満員で、客足が途切れない。客の大半は亜細亜大の学生。普通のラーメンやチャーハンもメニューにあるのに、九割が油そばを注文する。
ここの油そばは、いたってシンプル。ナルトとチャーシュー、メンマがのっているだけで、ツユは見えない。学生たちは、熱いうちに特製のラー油と酢をドバドバとかけ、コショウをふり、グルグルかきまぜて、かき込む。
まねしてグルグル、ひと口食べてみた。んー。なんとも形容しがたい、微妙な味。けっしておいしくはない。はっきり言おう。マズい! なぜこれに行列ができるのか。味覚に自信を失った記者は、学生たちに話を聞いてみた。
「入学したとたん、『亜細亜大に入ったら、油そばを食え』と先輩に連れてこられた。最初はマズかったです。でも二度三度と食べるうちにクセになって、今じゃ雀荘やサークルの部室でも出前をとって食べてます」
「自分で味つけできるのがいい。ラー油をひと回し、醤油をふた回し、酢をふた回し半、という具合にね」
油そばとは、亜細亜大生の通過儀礼だったのだ。腹もちがいいので、特に柔道部など体育会系に人気だという。
やはり珍々亭が油そばの元祖なのか。先代店主の小谷進一さん(六五)を自宅に訪ねた。リハビリ中の身をおして、開発秘話を語ってくれた。
「一九五五年に開店したときは普通のラーメン屋でした。客から、酒のつまみをと言われて特別に作ったのが油そばの原型です。ヒントは、伯父の中華料理店で修業したとき、調理場で従業員が食べていた“まかない料理”。小腹がすいたときに、余った麺にタレと油をからませていたのを思い出したんです」
それが評判となり、五七年から定番メニューに。「油そば」という素朴な名前は、小谷さんのオリジナルだ。しつこい味が食べ盛りの学生にウケた。味の秘訣は−。
「ラードをベースにした油に、チャーシューを煮込んで肉汁が染みだしている醤油を加えます。それに長ネギと調味料をまぜ、麺が熱いうちにまぜるのがコツです。うちの特製ラー油も欠かせません」
全国の亜細亜大OBから、「あの味をもう一度」と宅配の注文が絶えず、子連れで青春の味を確かめにくる人も多いという。 |