「創氏改名」の実態 ―総督府の資料から考える― |
2005.11.26 |
京都大学教授 水野直樹 |
はじめに―「創氏改名」をめぐる疑問 ・強制でなかったのか? ・名前を奪ったというのは、どのような意味でか? 族譜はどうなったか? ・創氏率(80%)に対して改名率(10%)が低かったのはなぜか? ・本当に日本人風の名前になったのか? 1 「創氏改名」合理化論 (1)「強制ではなかった」論 「創氏改名は朝鮮人が望んだもの」(麻生太郎(当時自民党政調会長、現在外務大臣)) 「朝鮮名を維持した人物もいた。だから強制がなされたわけではない」 (2)「末端の行き過ぎ」論 ・1948年頃大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史的調査』(通巻第三冊朝鮮篇第二分冊「朝鮮統治の最高方針」32頁) 「氏制度の施行は半島統治上一時代を画する重大な制度であり、朝鮮人の要望に応えると共に、内鮮一体の具現化に資せんとしたのである。然しながら飽くまで自発的なるべき創始〔ママ〕が地方官庁により、自己の成績の尺度と考えられ、形式的皇民化運動に利用せられ、強制的なものとなり、創氏戸数七割以上という成績にも拘らず、多くの反感を買った。」 (3)「強制の責任は朝鮮人官僚にある」論 ・杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』(展転社、2002年。韓国でも訳書が出ている) 「創氏改名」に「かなりの強制があった事は事実」だが、「最も熱心に遂行したのは、朝鮮人ジャーナリストに煽られた朝鮮人地方官僚だったと考えられる。」 2 従来の研究と課題 (1)従来の研究 宮田節子・金英達・梁泰昊『創氏改名』明石書店、1992年(宮田「創氏改名の実施過程」)。 金英達『創氏改名の研究』未来社、1997年。『創氏改名の法制度と歴史』明石書店、2002年 青野正明「朝鮮総督府の「創氏」構想―1920年代を中心に」(『桃山学院大学総合研究所紀要』第28巻第2号、2002年) 水野直樹「朝鮮植民地支配と名前の「差異化」――「内地人ニ紛ハシキ姓名」の禁止をめぐって」(山路勝彦・田中雅一編著『植民地主義と人類学』関西学院大学出版会、2002年) 同 「植民地支配と名前――朝鮮支配初期の「名前」政策についての研究ノート――」 (『二十世紀研究』第2号、2001年) 同 「朝鮮人の名前と植民地支配」(水野編『生活の中の植民地主義』人文書院、2004年) *鄭周洙『創氏改名研究』(図書出版東文、2003年7月) (2)課題 @当時の資料にもとづいて強制の実態を明らかにすること A批判的言動の弾圧・取り締まりの実態を解明すること B植民地支配政策・特質との関連でとらえること(特に創氏改名以前の「名前」政策) C朝鮮人側の反応・対応を明らかにすること 3 「創氏改名」政策の意図 (1)朝鮮の姓(父系血統の親族集団を表わす)を 日本の氏(イエの呼び名)に変える 家族制度の日本化、そのための「創氏」 「設定創氏」(届け出)と「法定創氏」 … 法的強制 (2)2文字からなる日本式の氏をつけさせる 事実上の強制 ただし、朝鮮的な「氏」がよいとする見解もあった (3)「改名」には力点置かれず 「改名」は許可制、手数料も必要 4「創氏」強制の実態 (1)「創氏は強制ではない」 ・朝鮮民事令改正公布(1939年11月10日)に際しての南次郎総督談話 「本令〔朝鮮民事令〕の改正は申す迄もなく半島民衆に内地人式の「氏」の設定を強要する性質のものではなくして、内地人式の「氏」を定め得る途を拓いたのであるが、半島人が内地人式の「氏」を称ふることは何も事新しい問題ではない。」(朝鮮総督府官房文書課編『諭告・訓示・演述総攬』1941年、676頁) ・12月28日総督府法務局長宮本元談話 「半島人の極少部分で、『氏』制度が創設されたのは必ず内地人式の『氏』を設定しなければならぬ法意だとか、内地人式の氏を設定しなければ、内鮮一体の統治方針に反対するのだとか、解釈してゐる向きがあるとのことだが、それは誤解である。今迄半島に於ては家の称号が無かったので、此の度家の称号である『氏』を定めることになったのであるが、好むと好まないとに拘らず一律に内地人式氏を設けねばならぬ性質のものではない。」 ・1940年1月東京帝国大学法理研究会での宮本講演 「氏制度の設定に依り半島人は氏の設定を義務附けられた次第でありますが、内地人式氏の設定に付ては法令上何等義務附けられたるものに非ざるは固より法令の運用上に於ても、聊かたりとも強制的又は勧奨的意図を有せざる所であります。換言すれば半島人に内地人式氏を称し得る途を拓いたに過ぎないのであります」(宮本元「婿養子、異姓養子及氏制度に関する朝鮮民事令の改正」)と述べている。 ・3月5日総督府局長会議での南総督発言 「創氏改善〔ママ〕について一部には未だ誤解してゐる向きがあり、特にこの制度を強制してゐるといふことは絶対に無」く、「創氏せよというのは強制するという主旨では絶対にない」。 (2)朝鮮人指導層の「率先垂範」―前半の特徴 ・講演会・講習会の開催、主要都市での創氏相談所設置など ・『京城日報』の見出し(2月から5月) 「二刑事/創氏へ名乗り/本町署の嚆矢」 「校長さんが名付の親に/先生方も揃って“創氏”」 「揃って創氏/楊州署の五警官」 「先づ我らから垂範/議員の創氏を満場一致可決/京畿道会一寸寄り道」 「お揃いで創氏披露/御自慢の平北道議二十三氏」 「揃って創氏/学校長打合会」 「“創氏”へ垂範/京城府の職員が率先」 「開城署の警官も大半創氏」 「創氏は先づ教職員から/平北で慫慂」 「幹部に倣って全員/近く一斉に創氏/全鮮に範を示す忠北道庁職員」 「全郡守が創氏へ/平南の創氏熱旺盛」 全戸数に占める「創氏」戸数 2月末 0.4% 3月末 1.5% 4月末 3.9% 5月末 12.5% 6月末 27.0% 7月末 53.7% 8月10日 80.3% (3)「民衆ノ各層ニ徹底セヨ」―総督の大号令 ・4月23日道知事会議での南総督訓示 「紀元の佳節を卜して施行せられたる氏制度は半島統治史上まさに一期を画するものでありまして、往古の史実に顧み、大和大愛の肇国精神を奉ずる国家本然の所産であると共に内鮮一体の大道を進みつつある半島同胞に更に門戸を開きたるものに外ならず。各位宜しく本制度の大精神を究め管下民衆の各層に徹底せしめられたし。」(朝鮮総督府官房文書課編『諭告・訓示・演述総攬』1941年、205頁) 同会議の諮問事項「氏制度の趣旨の周知徹底方に関し執りつゝある具体的方策如何」 ・5月下旬の京畿道府尹郡守会議諮問事項「氏制度に関し現に採りつゝある具体的事項並にこれが有終の成果を収めんとする方法は如何」 ・5月以降、各地の都市・農村で創氏相談所の増設、「創氏実施週間」、「相談班」、無料代書など 忠清南道牙山郡での状況 「五月五日から一週間を創氏実施週間と定め、郡と面と別々の相談班を組織し〔中略〕夜間を利用して各部落に郡面職員が出張、相談に応じたところ傍観視してゐた連中も案外動いてその場に殺到し恰も郡面の出張所が出来たやうな盛況を呈した。〔中略〕週間中の集団指導から引続き個人的に指導を行ったのですが、〔中略〕六月十日頃までには一人残らず完了する見込です」 |
「民族問題研究所(韓国)『植民地朝鮮と戦争美術』(2004年)」より。 クリックすると拡大します。 |
(4)「全戸数ノ氏届出ヲ完了セヨ」―末端行政機関への指示 ・釜山地方法院長の指示文書 地戸第三五九五号 昭和十五年六月十二日 収受 15年6月14日 第七六号 釜山地方法院長 管内府尹邑面長殿 氏設定督励に関する件 氏に関し過般来屡次協議会其の他文書を以て各位に対し其の重要性に鑑み一般民衆に周知徹底方強調し来りたる處各位の努力に依り其効果遂次〔逐次〕現はれ民衆の認識する所となり氏の設定届進増しある状態なるが之を総戸数に比すれば未だ一割程度に過ぎず甚しきは三分以下の所もあり。しかるに右届出期間は余日少く今に万全の計画を立て之に対処せずば愈々期限切迫し一時に数百件届出ありたりと仮定せば如何にして迅速に処理するか到底其の術なき虞あるを以て来る七月二十日迄に全戸数の氏届出を完了する様特段の配慮相成りたし。 追て先づ氏の設定届を提出せしめ名の変更は後日為す様取扱ひ相成りたし。 (韓国政府記録保存所所蔵) ・他の地域(京畿道開豊郡)でも「来月〔七月〕二十日までには全郡民手続完了」の見込みと報じられる。 ・地方法院の勧奨ビラ(別紙) (5)「全校生徒が氏設定を完了」 ・5月初めには、総督府学務局は学校教職員の創氏状況を調査するために各道に指示を出すことを決定(『毎日新報』5月7日)。 ・平壌の西門高等女学校では期間終了までに「全校生徒が氏設定を完了させる予定である」 ・京畿道高陽郡宗仁面の仁昌小学校では七月下旬に「児童四百六十余名が一斉に創氏した」 ・開城公立商業学校では「内地人式『氏』の設定を強要している」ため父兄から反発を受けていることを報告した警察文書(朝鮮総督府警務局『昭和十五年 氏制度ニ於ケル民心動向ニ関スル書類』)。 |
5 取り締まりの実態 (1)警察署長会議における検事の指示 忠清南道警察署長会議(6月28日)忠清北道警察署長会議(7月2日)での松前大田地方法院検事正の訓示 氏制度の周知徹底方に付ては道当局の御指示もありしこととて、或は相談所を設置し或は座談会を開催し熱心に努力されつゝあるは深謝に堪へざる所でありますが、氏制度創設の理由に付て特に留意すべき点を述べんと思います。〔中略〕 (三)氏制度の施行は八紘一宇の大精神に基くものなること 朝鮮統治の最高指導方針たる内鮮一体は畏くも一視同仁の 聖旨を奉体して生れ出でたるものと拝察致すのでありますが、氏制度の創設は此の内鮮一体の顕現に法律上門戸を開きたるもので、是れ即ち大和大愛の肇国精神たる八紘一宇の発露に外ならないのであります。 然るに巷間当局は氏設定を強制するものに非ずと発表して居るので暫く形勢を観望するのであると公言し居るものが智識階級に相当多数あるとのことを仄聞しましたが、是は彼等が当局の真意を全く誤解せるのであります。〔中略〕 以上の次第でありますので各位は氏制度の周知徹底に付て更に渾身の努力を傾注され所期の効果を挙げられむことを切望して已まないのであります。」 (2)弾圧事件の事例 ・忠清北道金漢奎事件 金は親族と創氏の問題について話をする中で、「自分は氏創設には断然反対である。一体創氏は何故に為すものか。今政府の制度に従ひ止むを得ず創氏を為すも、子孫に於て祖先たる自分等を憎むかも知れぬ」などと述べ、さらに「内鮮一体」といいながら差別が改められていないことを批判するとともに、将来朝鮮が独立したならもとの朝鮮姓に戻ることになるであろう、と語ったとされる。 保安法違反で起訴され、懲役一年の判決 担当検事談話「創氏制度は興亜大聖業の完遂上における画期的なもので実に内鮮一体化の世紀的英断として今や半島の津々浦々に至るまで只管感激の歓声に溢れてゐる現状の下に、こんな不穏極まる反国民的言動は断然容赦の余地がない、神聖なる我が国体に対する不遜行為たるのみならず忠良なる半島同胞の名誉を傷けることも又甚大なものである」 ・京畿道柳大興事件 一九四一年一二月下旬、京城(現ソウル)郊外の農村で国民総力部落連盟理事長を務める柳大興(創氏名・柳本大興)という農民が知り合いとの宴席で、米の供出が農民を苦しめていること、棉花栽培が強制されていることなど農村の実情を語るとともに、創氏について次のように話したため警察に検挙されたことが記録されている(処分としては起訴猶予となったと思われる)。 「朝鮮人の創氏は私の面では九割八分程度に達するが、其の中八割以上は皆何の意味か解せず、当局が無理矢理に勧めるから仕方なく創氏した実情で、私も柳(ヤナギ)として別に柳本と創氏する必要もなかったのであるが、人に強制する立場上柳本と創氏したるも、一般部民は之れに対し非難している。私も反対者の一人である。」(京城地方法院検事局文書) 6 「創氏改名」における差異化の側面 植民地支配秩序を維持するための差異化・差別化 反対論(警察、日本人)への配慮 (1)氏設定の方法 ・「姓+姓」の氏(朴李)、「本貫+姓」の氏(安東金)は禁止 ・日本にある苗字にならうのではなく、姓・地名・本貫などからつける 「姓の他に別に家の名称を現はし、日本式の氏、例へば金姓を名乗る家ならこれと関係のある金子とか金井とか従来の姓を利用して氏を名乗らせようといふのである」 「改正令によって新たに氏を設定せむとする者は、其氏の名称を選ぶに際して旧姓に因む内地の氏の称に類似の氏の称号を選ぶ事が可能である。」(安田幹太(弁護士・元京城帝大教授) 「新聞、ラヂオ、パンフレット、講演、精神総動員を通じ内地人式の氏即ち二字制の氏を設け得るものにして、日本既存の氏を踏用せしむる趣旨にあらざること〔、〕日本に於ける苗字は地名を採り来れるものなるを以て之に倣ふべきことの周知徹底を図り、〔下略〕」 (朝鮮総督府法務局民事課『朝鮮に氏制度を施行したる理由』1940年2月、19頁) ・門中(宗中)会議での氏設定 1940年4月12日氏制度に関する裁判所検事局監督官打合会での法務局長希望事項 第二 氏制度の事務処理上の希望 「7 氏は申す迄もなく各家を表彰する称号でありますが故に各家を区別し得るものたることを要するのであります。然るに往々にして宗中会議を開き宗中会員が同一の氏を設定せんとする者の存するのを見受けますが、斯の如きは氏の性質を理解せず之を姓の観念と混同せるものでありまして氏制度施行の精神に反するものでありますが故に、斯る傾向は厳に之を抑制する様御配慮を煩わしたいのであります。」 しかし、現実には黙認ないし奨励 宗中会議での決議事例 (下記「通告文」) |
「民族問題研究所(韓国)『植民地朝鮮と戦争美術』(2004年)」より。 クリックすると拡大します。 |
(2)「改名」 ・後回しでよい 上掲の釜山地方法院長指示文書 「内地人式の氏を定めた場合に必ずしも名を変更するの必要はなく、寧ろ個人の個性を現す意味合からはなるべく従来の名を使用した方が適当〔下略〕」(朝鮮総督府法務局民事課長岩島肇の談話) ・従来の名を日本語読みすればよい 「七、内地人式氏名のつけ方 氏は出来るだけ地名からとる 名は出来るだけそのまヽにして国語の訓で読む」 (緑旗連盟『誰にもわかる氏の解説』) ・「改名」率 氏設定期間内 1,201,764人 氏設定期間後 1,109,599人 計 2,311,363人(総人口の9.6%) (3)創氏改名の実態と評価 朝鮮総督府法務局「昭和16年 第78回帝国議会説明資料」中の「創氏制度実施の状況」 (『朝鮮総督府帝国議会説明資料』復刻版第5巻、68頁) 「(四)氏の種類 〔前略〕成るべく姓、本貫、住所等に因みたる氏を設くる様指導し以て氏の有する尊厳性を冒涜せしめざる様細心の注意を払ったのであるが今設定されたる氏を見ると能く其の指導方針に副ひ皇国臣民として相応しき氏を設定してゐるのである。 即ち其の種類は目下鋭意調査中であって正確なる数字は判明しないが数万に達するものと推定され従来の二百五十余姓より生ずる同姓同名の不便は一掃せられ能く家の称号としての使命を果し又氏の名称に付ても本府の指導方針に従ひ金本、梁山、平山等姓又は本貫等に縁由せるものを定めて居り内地人の姓氏を混乱せしめるとの非難は杞憂に過ぎざりしことを立証したのである。」 7 おわりに ・日本的イエ制度を表わす「氏」を押し付けるという意味で同化・皇民化政策の一環 日本的な家族制度の植え付け→天皇への忠誠心(戦争への動員の基礎) ・氏の設定に関しては朝鮮総督府による強制力の発動 ・一方で、「差異」(差別)を残さねばならないという支配者の意志が作用 「創氏改名」によっても差異の残る氏名を持つ朝鮮人が大多数 ・同化・皇民化とともに差異化・差別化を図るという植民地支配の特質 |