今日は、北神戸でサーパス戦が行われ、11対2で快勝しました。
私は、ブルペンで肩を作りましたが試合での登板はありませんでした。今日は、足を上げて右足を捕手方向に踏み出すときに、右の腰と右の肩の開きが少し早かったように思います。明日は、その点を注意していきたいと思います。
ところで、今日の相手チームの5番打者は、怪我からの完全復活を目指して調整中の清原さんでした。清原さんは、私たちの世代の人間にとってはスーパーヒーローです。特に埼玉出身で子供の頃、西武ライオンズのファンであった私は、ライオンズの帽子に背番号3(ライオンズ時代の清原さんの番号)のバッチをつけて、所沢の西武球場に通ったものでした。プロに入ってからは、巨人時代に何度か対戦をさせて頂きました。やはり感慨深かったですが、まさかの500号のメモリアルアーチを献上してしまい、市民球場全体の観客が総立ちで清原さんを祝福する中で、非常に孤独で悔しい時間をマウンド上で過ごしたことを思い出します。
あれだけの実績を残されたスターが現役にこだわる姿は、敵味方関係なく凄いと思いますし、実際に今日、目の当たりにした清原さんには、昔と何ら変わることのないオーラがありました。それだけに、今日の試合で2打席連続で見逃し三振に倒れた後、ベンチから球場中に響くような大声で主審を恫喝していたのには、とても大きなショックを受けました。もちろん、清原さんにしか分からない事情があったと思われますし、微妙な判定もあったのかも知れません。しかし、あの憧れの清原さんが・・。私だけではなく、ブルペンにいたみんなが驚き、そしてショックを受けていました。
清原さんには、いつまでも憧れのヒーローであって欲しい。私たちの勝手な願いなのかも知れませんが・・。今日、目の当たりにした出来事には驚きましたが、繰り返しますが、清原さんにしか分からない事情があったのだと思います。
明日、対戦する機会があれば、幸せを感じつつも、全力で立ち向かって、抑えて自信にしたいと思います。
今日は、午前9時から大野練習場で練習を行いました。昨日、一昨日と時間が確保できずに断念した、体のバランス強化トレーニングと、肩と肩甲骨の強化トレーニングを重点的に行いました。
昨日は、八代から移動して、夜遅くに自宅に戻ったので、今朝の6時半起床は少し厳しかったです。皆さんは、どれくらい睡眠をとっていますか?私は、昔から人よりたくさん寝るタイプでした。全日空にいたときは、全く運動をしていなかったので、5時間程度でも元気でしたが(但し休日に寝溜め)、プロになってからは、8時間は寝ないと翌日スッキリしません。欲を言えば9時間は寝たいところです。もちろん、睡眠の質も大切です。いい眠りにつく為に、リラックス効果のある香りがする枕を使ったり、音楽を聴きながらお香を焚いたり、寝る前に半身浴を長めに行ったりしています。
また、自宅のベットはいろいろと調べた上で選んだ「畳ベット」です。私の理想は畳の上に、薄めの敷布団を1枚敷いて寝ること。柔らかいベットは好みではありません。
このように、睡眠に対してはそれなりの対策を練っています。それは、いい睡眠がいい野球に繋がると考えるからです。ただ、それでも眠れない時もあります。そう、打たれた時、そして意外にも会心の投球をした時です。
打たれた時は、説明不要でしょう。悔しくて眠れない。これは、ある意味当然です。
会心の投球をした時。この時は喜びが大きすぎて、何度も抑えた場面を思い出してしまうので、興奮状態がずっと続きます。また、やっと眠りについたとしても、翌日の新聞の記事を早く見たくて、早朝に目が覚めます。深い眠りにつくのは新聞に目を通して満足してからになります。
あと、長いイニングを投げた時は、内容に関わらず寝付きが悪いですね。長時間に渡って出続けたアドレナリンは、やはり引っ込むのにも時間を要するのでしょうか。
試合でたくさん投げたら、疲れて眠れると考えるほうが普通ですが、そうではない選手のほうが多いようです。ドジャースへ行った黒田も、先発した日は朝まで眠れないことが多いと言っていました。
いずれにしても、選手にとって睡眠はとても大切です。特にこれから暑くなってくると、体力の消耗が激しいので、睡眠は、栄養と共に重要な要素になってきます。暑くなっても元気にグランドに立ち続ける為に、今の時期から、睡眠時間をしっかりとって、質の向上の為の工夫も続けていきたいと思います。
今日は、熊本県八代市でウエスタンリーグのソフトバンク戦が行われましが、私の登板はありませんでした。試合は、投手陣が崩れ、4対11で敗れました。
四球やエラーの後に痛打を浴びる悪循環で、内容の悪い試合でした。
ところで、私は八代市に初めて来ました。私は、初めて足を踏み入れた土地に来た場合、時間があれば散歩をすることに決めています。元々地理が好きな私は、その街の雰囲気を肌で感じたいという気持ちが強いからです。
八代は、のどかな田園風景が広がるいいところでした。高い建物が少ない為、とても見晴らしがよく、都市部では決して見ることができない大きなこいのぼりが、夏の始まりを感じさせるような暖かい風に吹かれて、泳いでいました。
この仕事をしているお陰で、色々な場所に行くことができます。移動は大変で、疲労も伴いますが、私にとっては楽しみでもあります。
帰りは、新八代駅から博多駅までJRの「リレーつばめ」という特急電車に乗りました。そう言えば数カ月前、電車好きの息子が「お父さん、これに乗りたい!」とリレーつばめの写真を見て言っていたのを思い出しました。その時、私は「いつか一緒に乗ろう!」と答えたはずですが、図らずも今日、私一人で乗ることになってしまったので、せめて携帯電話で撮った写真を見せてあげようと思います。
この雁ノ巣、八代での2連戦は、移動の関係で試合後に練習時間が確保できなかった為、いくつか消化できなかった練習メニューがありました。明日の練習で取り返したいと思います。
今日は、福岡市にある雁ノ巣球場で、ウエスタンリーグのソフトバンク戦が行われ2対1で勝ちました。
私は、1対1の同点の8回に登板して、1イニングを3人で打ち取り、9回に味方が勝ち越した為、私に白星が付きました。
課題は、今日も力むことなく丁寧にいろいろな球種を投げて、打ち取ること。結果的には1球だけ力んだ球がありましたが、それ以外は低めへの意識も強かったですし、狙ったところに配球することができました。特に、左打者2人に対して、シュートを投げた後に、習得中の新しいスライダーで、連続空振り三振に仕留めることができたのは、収穫でした。打者の反応を見る限り、全くタイミングが合っていないので、変化の軌道が良くなっているのだと思います。これからも、この球を優先的に使い、完成度を高めていきたいと思います。
2軍に降格後、今日で10日が経ちました。今日のように少しずつでも前進して、昇格に向けてのアピールを続けたいと思います。
今日は、大野練習場で9時から2時間余りのやや短めの練習がありました。
投手陣の練習内容は、ストレッチ、アップ、キャッチボール、ノック、ロングラン(約20分)、体幹トレーニングといった感じで、私は、それ以外にブルペンでなく平地で捕手を座らせて、軽いピッチングを行いました。目的は、習得中の新しいスライダーのリリースポイントの確認です。まだ、成功率は6割から7割くらいですが、決まったときは、従来のそれより打者の近くで変化し、キレも増していると思うので打者にとっては見極めが難しい球になるはずです。今後も失敗を恐れずに試合でどんどんこの球を使い、自分のものにしていきます。
遠征と遠征の合間の、半ドンの練習。どうしても気が緩みがちですが、今日も、やるべきことに全力で取り組むことができました。それは、ルーキーの頃の苦い経験が教訓となっているからです。
若かった私は、まだまだ野球の恐さを知りませんでした。あの時も今日のような軽めの練習日で、やや体調が優れなかった私は、その日の練習を何を意識する訳でもなく、適当にやり過ごしました。恐らく、キャッチボールの質もとても低いものだったと思います。その時、私は1軍に帯同していて調子も良かったのですが、その日を境にボールの掛かりが悪くなり、一気に調子を落としてしまったことを覚えています。
いい加減な気持ちで取り組んでしまった、たった1度のキャッチボールで、私は投球フォームを微妙に狂わせてしまったのです。ピッチングがそれ程までに繊細なものだとは、当時の私は気付いていなかったようです。
さすがに、当時に比べたら投手としての経験を積み、フォームも固まってきた今では、そんなに簡単にフォームを崩さないかも知れませんが、以来、グランドに立つからには、絶対に気を抜いた練習はしないように心掛けています。
いい加減にやり過ごすくらいなら、やらないほうがずっと自分の為です。
他の投手に比べて、投手としてのキャリアが短い私は、こうやって毎日、気持ちを込めた練習を繰り返してその差を埋めていくしかありません。今、34歳ですがその気持ちは全く変わりません。これからも自分に足りないものを身につける努力を、地道に続けていきたいと考えています。
今日も、ナゴヤ球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。試合は、緊迫した投手戦となり結局1対1で引き分けました。
私は登板はありませんでしたが、ブルペンで軽めの投球練習をしました。状態は少しずつ上がってきているように思います。これからも1つ1つの練習、登板を大切にして、もっといい状態にしていきたいと思います。
この3日間のナゴヤ球場での試合で感じたのは、ファンの人達の熱心さでした。いいプレーには惜しみない拍手がありますし、ミスにはヤジも飛びます。それぞれの応援するチームに深い愛情を注ぐのと同時に、野球そのものを愛してることがよく伝わってくるいい雰囲気でした。
ファームの場合、ブルペンはほとんど野外に設置されているので、場内の雰囲気を肌で感じることができますが、その中でもナゴヤ球場は、観客席から非常に近いところにブルペンがあるので、ファンの方々の声をとてもよく拾うことができました。
昨日、私がマウンドに登ったときの、「広池!ブログ見てるぞー!」もなかなかパンチが効いていましたが、今日も、いくつか面白いのがあったので紹介します。
まずひとつ目は、ブルペンの前を通り掛かった白濱捕手(広陵高校出身)に対して。
「白濱!カープには今、広陵(出身)が1人しかいないのだから頑張れ!」
この声に、ブルペンで待機していた投手は一同爆笑。佐竹(広陵高校出身)の顔がどんどん赤くなってきました。完全に忘れられていましたね佐竹・・。選手にとって名前を間違えられたり、忘れられることは辛く、恥ずかしいことなので、次はよろしくお願いします!
次は、私がブルペンで投球練習を開始したときのこと。
「広池さん頑張って!飛行機は全日空しか乗ってないから!」
うーん。これはリアクションに困りましたね。もちろん私も全日空が大好きなので、嬉しいことなのですが・・。
最後は、相手が代打に前田選手を送ったときのこと。甘めの球を、バックネットへファールを打った直後に、1塁側中日ファンからこんな声が聞こえてきました。
「まえだ!まえだ!それは、うしろだ!」
これは、ツボに入りました。前もって準備していたといか思えない、絶妙のヤジ。文字だけではお伝えできませんが、その間合い、リズム感も絶品で、間違いなく、今日イチ(その日1番の良い出来のこと。選手やコーチがよく使います。)でした。
グランドにいると、観客席からの声は想像以上によく聞こえます。プロなので、ミスをしたときなどは、厳しくヤジられるのも当然ですが、それ以外のときは、選手も、お客さんもみんなが明るくなれるようなご声援をよろしくお願いします。
今日も、ナゴヤ球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。
今日は、守りにミスが出て、その後、投手も踏ん張ることができず失点を重ねる展開となり、最終回の追い上げも届かず敗れ、チームの連勝は7で止まりました。
私は、1イニングを打者3人で打ち取りました。右打者3人との対戦でしたが、昨日思い描いた通り、いろいろな球種を低めに集めて、力むことなく投げることができました。
今取り組んでいる、新しいスライダーも、3球投げて1球は抜けましたが、あとの2球は効果的に低めに決まりました。打者の反応を見ても、いい軌道で変化している感じがあるので、モノにする為に、試合で多めに投げていきたいと思います。
最近、どこへ行っても、ファンの方々から「ブログ読んでます。」という声を多く耳にするようになりました。それは、ここ名古屋でも例外ではありません。今日は、登板時に私の名前がコールされマウンドに登ると、球場にいる誰もが聞こえるような大きな声で、「広池、ブログ読んでるぞー!」と声援をくれたファンの方がいました。さすがに、ちょっとだけ恥ずかしかったですが、私のブログを読んで下さる人の多さを改めて知る結果となりました。これはとても嬉しいことです。これを励みに、野球のほうの状態を上げていきたいと思います。
今日は、ナゴヤ球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。
私の登板はありませんでしたが、試合は今日も勝ちました。ファームは育成、調整の場であり、勝敗は二の次という考え方もありますが、試合である以上、勝つほうが良いに決まっています。
負けている試合より、勝っている試合での緊張感の中でプレーするほうが、いい経験になると思いますし、1軍でプレーしたときに、その経験が少なからず役に立つと思います。
そういった意味では、ファームであっても、試合に関しては、勝ちにこだわるというのも一つの考え方だと思います。ただ、試合の為の調整はさほど必要ないと思います。ガンガン練習して、残った体力で試合を全力で勝ちにいく。このスタンスがいいのではないでしょうか。
私の体調も戻ってきました。走り込み等の練習も再開して、再び土台作りに励んでいます。技術的には、スライダーの修正に取り組んでいます。投球の際に、今までよりも左腕を体の近くを通して、前で放すイメージを持って、キレとコントロールをつけていきたいと思います。
登板があれば、決して力任せになることなく、改良中のスライダーも含めた、いろいろな球種を丁寧に投げて、内容の伴った投球をしたいと思います。
今日は、午前中に大野練習場で練習をした後、名古屋へ移動です。移動の時間があるので久しぶりに、入団への道の続きのお話をさせて下さい。前回は、4月17日の更新分で、ドミニカ(共和国)行きが決まり、選手契約の可能性が復活したところまでお伝えしました。
私は、12月を埼玉の実家で過ごしました。キャンプ参加により、動くようになった体をなまらせない為に、トレーニングは続けました。
最初は、突然の全日空退社、プロテスト受験という事態に戸惑っていた家族も、元々は野球に対する理解があるので、その頃には、心から応援してくれました。特に、小さい頃、私を野球に導いた父と、私の影響もあってか野球好きになった姉は、私のプロ挑戦を喜んでいるようでした。
ちょうど1年前、帰省客でごった返す羽田空港で接客に追われて大忙しだったのとは対象的な、静かな年末年始を過ごすと、いよいよ出発の日がやってきました。
1998年1月8日。私たちは、成田空港を11時出発のニューヨーク行きの飛行機で日本を離れました。日本からドミニカ共和国への直行便はないので、米国を経由していきます。
一緒に旅立ったのは、白武スカウトと、トレーナー、ドミニカのアカデミー担当の社員、そして選手は、新人の遠藤竜志、小林幹英、1年目から6勝を挙げ、飛躍を期待される、2年目の黒田博樹でした。球団からすれば、期待の投手ばかり。温かいドミニカでしっかり肩を作って、キャンプ、オープン戦でしっかり投げてもらう為の自主トレでしょう。そんな中に、テスト生の私も少しだけ仲間に入れてもらうことになりました。
約12時間の長いフライトの間、私はつくづく思いました。
「よく、ここまで来た。やはり、いちばん最初の市民球場での入団テスト。あの日の奇跡があったからこそ全てが始まった。しかし、今になって思えば、あの日の奇跡は、学生時代、野球に対して全力で取り組み、野球に全ての情熱を傾けたからこそ起きたのではないか。そうだ、全てが偶然な訳ではない。だから胸を張っていこう。さあ、頑張るぞ。大きなチャンスを掴むために。」
私たちは、ニューヨークの空港近くのホテルに1泊し、翌日にドミニカ入りしました。
ドミニカはとにかく暑い。一応北半球なので冬のはずなのですが、真冬の日本からやってきたこともあり、その温度差には驚きました。空港から滞在予定のホテルまでは、カープアカデミー所有のマイクロバスで向かいました。窓からは、見たこともないくらい青いカリブ海と、どこまでも続く熱帯雨林が見えました。
「凄いところだ。こんなところにずっといたら性格が変わりそうだ。」
練習は翌日から始まりました。初めて訪れたカープアカデミーはとにかく広大でした。試合ができるグランドが2面、内野守備練習が可能なサブグランド、屋根付きのブルペン、打撃練習が可能な室内練習場、ドミニカ人選手が寝泊まりする宿泊施設と、広い食堂。そして、各施設の周りに広がる大きな草原。その草原には山羊が放し飼いされ、のどかな雰囲気を醸し出します。さらに、その草原の外側にアカデミーをぐるっと1周する、「外周」と呼ばれる道があって、投手がランニングに使っていました。
カープアカデミーの選手たちは、その日、試合をやっていました。もう一つのグランドは、ボストンレッドソックスのアカデミーに貸しているらしく、あの伝統のユニフォームを着た選手たちが、練習に励んでいました。
幹英、黒田、遠藤、そして私の4人は、初日ということもあり、サブグランドでキャッチボールやランニング等の軽めの練習で引き上げました。それでも、眩しい日差しと、暑さのせいでみんな汗びっしょりでした。
ホテルに戻った、午後のことでした。部屋の電話が鳴りました。
「もしもし、広池さんですか?黒田です。ちょっとプールへ行きたいんですが、日焼け止めを持っていませんか?」
黒田とまともな会話をしたのは、これが初めてでした。空港で会ったときや、グランド上では挨拶程度で会話はありませんでした。
当時の私にとって、黒田は憧れのプロ野球選手。全日空に勤めていた時に、テレビでたまたま黒田の東京ドームでの初勝利を目撃して以来、注目していた選手でもありました。
私は、電話が掛かって来たこと自体嬉しかったし、プロ野球選手が私の存在を認め、名前を呼んでくれたことが不思議な感覚でした。この文章を読んで下さっている皆様なら、この感覚を分かっていただけると思います。
幸運なことに、私は日焼け止めを日本から持参していました。
「日焼け止め持ってるよ。今からそっちの部屋に持っていくよ。」
「いえ、自分が取りに行きますよ。」
「いいよ、いいよ。俺が持って行くから、部屋に居て。すぐに行くから。」
「わかりました。じゃあ、お願いします。」
私は、日焼け止めを持って大急ぎで黒田の部屋に向かいました。
日焼け止めを手渡すと、今では考えられないくらい丁重に礼を言われました。まあ、ほぼ初対面だし、私のほうが年上なので、当然なのですが・・。話を聞けば、黒田自身が持っていた外国製の日焼け止めを、午前中の練習で塗ったところ、肌に合わず困っていたそうです。私が持って行った日焼け止めが日本製であることを知るととても喜んでいました。
私は、プロ野球選手の役に立てたことが、嬉しくてたまりませんでした。部屋に戻って、日本製の日焼け止めをドミニカまで持って来た自分を自分で褒めてやりした。
「よくやった。でかしたぞ!」
その日の夜は、選手だけでホテルのバイキングで食事をすることになりました。途中までは、何事もなく食事は進みましたが、黒田がジュースのあるコーナーに行った時に事件は起きました。黒田がそのコーナーにいた係員にジュースをくれるように、ジェスチャーを交えながら頼んでいますが、係員は一向にジュースをコップに注ごうとせず、黒田に向かって一生懸命何かを説明しています。ドミニカ共和国の公用語は、スペイン語です。現地に着いて2日目の私たちにとって、それはまさに未知の言語。何を伝えたいのか、想像がつきません。英語なら何とか乗り切れるかも知れないと思って、チャレンジしてみましたが、全く通じません。一同困惑していると、黒田が怒った口調で言いました。
「もういい!自分は帰ります。飯くらいちゃんと食わせろよ!」
黒田は、帰ってしまいました。私は、とても残念に思いました。せっかくの楽しい時間が、コミュニケーション力の不足で台無しになりました。私は、考えました。
「もうこんな思いはしたくない。早くスペイン語を身につけよう。帰るまでには、簡単な日常会話くらいはできるようにしよう。」
私は、部屋に帰って早速、日本から持ってきた、「スペイン語入門」の教材を開きました。CD付きだったので、これまた持参した小さなステレオを使って、発音の練習もしました。
「いずれにしても、2月からは、選手は自分1人だ。少しくらい理解できるようにしておかないと、野球にも支障を来たすぞ。」
それから、毎日、少しずつのスペイン語の勉強も私の日課となりました。
それにしても、黒田。後で振り返ると、気が短いですね。郷に入れば、郷に従うべきです。ここに来た以上、スペイン語が理解できなかった私たちが悪いのです。後日、わかったことなのですが、あの時、ジュースコーナーにいた係員は、そこに置いてあるジュースを飲むには、お金がかかるので、現金にするか、部屋付けにするかを聞いていたそうです。それなら、金額を明記したメニュー表でも準備しておいてくれれば、何となくお金がかかることくらいは理解できたはずなのですが・・。でも、それこそが日本人的な感覚であって、南国特有の、おおらかで、のんびりとした性格のドミニカ人にこういった感覚を押し付けてはいけないのです。
黒田が、メジャーリーグに挑戦すると聞いたとき、すぐにこの「ドミニカ・ジュース事件」を思い出して、大丈夫かな?と思いました。野球の実力は文句なしですが、海外での生活面で苦労しないか心配しました。しかし、それは杞憂に終わりそうです。私の心配をよそに、名門ドジャースの先発投手として、立派にその役目を果たしています。考えてみれば、もうあれから10年もの月日が流れています。野球選手としてだけでなく、人間としても、ひと回りも、ふた回りもスケールアップしたのでしょう。流石です。これからも、大舞台での奮闘に、注目していきたいと思います。
名古屋に着いたので、今日はここまでにします。私も、黒田の奮闘を励みに、精進していきます。
今日は、尾道でウエスタンリーグの阪神戦が行われました。チームは4対3で今日も勝って、6連勝です。
私は、8回1点リードの2死無走者から登板して、打者2人に対して、1安打1奪三振の無失点でした。
出て行っていきなり左に打たれているようでは、話になりません。
苦しい1週間でしたが、内容はともかく、今日、登板したことで、小さな一歩ですが踏み出すことができたような気がします。
睡眠もとれるようになってきました。悔しさは薄れていませんが、疲れがそれを上回ったようです。
間もなく、尾道を出たバスは、大野練習場に到着します。到着後は、上半身のウエイトトレーニングをして、家に帰りたいと思います。
明日は、大野練習場で練習した後、名古屋へ移動です。練習は短めになるとは思いますが、私にとって無駄にできる日なんてありません。やるべきことに全力を尽くしたいと思います。
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