本日はこどもの日ということで子供の話題を。
バッテリーと言ってもディープサイクルとか単三乾電池とかそういうバッテリーではない。しばらく前に実写版の映画が公開されて、NHKで週一ドラマを放送中のあさのあつこ原作の少年野球の物語のこと。テニスの王子様は週刊少年ジャンプに連載された許斐剛作のマンガで、2006年5月に公開された実写版映画を5月4日にテレビ和歌山が放送したのを観た。そして、どちらもよく似てるというか、共通点がたくさんあると思った。
物語の主人公は中学生で、いきなり登場したときからそのスポーツの天才であり、そこに至る努力とか苦労は物語の伏線としては出てくるが深くは描かれない。いまどきのお話に大リーグボール養成ギプスや虎の穴、貧乏人のコンプレックスなどは必要ないのである。主人公が中学生なのは、与しやすい消費者の代表選手ということか!? このあたりはビデオゲームなどのアプローチに通じるものがあると思う。
運動部の監督やコーチ、先輩、先生などと最初は衝突するが、物語が進むにつれて理解者が多くなり和解に至る。試合相手である他校の選手も最初は悪役として描かれるが、試合が終わる頃には好敵手にかわっている。全体として、みんないい人的な物語進行に揺るぎがなく、安心して観ていられる。本当にかわいそうな人やとことん敗者は絶対に出て来ない。
話が中学生レベルであれば、あり得ない技やストーリーの飛躍など、何でもありなのは言うまでもない。恋愛に関してはさらっと出て来るだけ。これは平均的な中学生にとってディープな恋愛はリアルなものではないから。それにくらべると家族関係の話題は比較的多い。これは観る者のニーズがそちらにあることの反映。
バッテリーでは主人公の祖父、テニスの王子様では父親がそのスポーツの名手である。これはストーリーを飛躍させるときの仕掛け役であると同時に、観る者にとっては自分にはそんな父親や祖父はいないからへたくそでも仕方がないと思える安全装置でもある。そして、何よりも重要なのは、父親や祖父にそういう役割を求める観客の願望を写す存在として配されているのであるから、劇中では監督やコーチ、先輩、先生を越えた絶対的な存在でなくてはならない。主人公との衝突と和解、反発と尊敬、信頼と愛情。ああ、スポーツドラマ……。
ところがである。技や試合のことはまあいろいろ出てくるが、スポーツの本質について深く語られることはない。スポーツの本当の面白さとは、なんてことともまったく無縁。このことは、監督やコーチ、先輩、先生などを絶対者として配置せず、主人公の保護者であるところの肉親にその役割を充ててるのとディープなところで関係があるかもしれない。厳格なスポーツの世界からの逃避。どんな子でも家へ帰ればいい子と言ってもらえる安心感。そういうのと重なる部分があるのではなかろうか。
ここまで考えてきて、ふと思った。有名な釣りマンガに同じようなのがあったよね。中学生ぐらいの主人公が最初から天才少年で、祖父が釣り名人。監督兼コーチ兼先輩役のサングラスの青年。ほのかな恋心があるのかないのかよくわからない幼なじみの女の子。釣りの相手はしばしば魚離れした化け物魚。とても不可能そうな釣技。「そんなことあるわけないやん!!」と思わず突っ込みを入れたくなる無理矢理なストーリー展開。
そして、自然や環境のことを語っていそうで本当の問題点には至らず、釣りの本当の面白さを語ってないという点でも見事な一致を見る。だけど、このマンガの影響で釣りを始めたってやつがけっこう多いんだよね。その結果は、釣りの本質を理解してないという点で見事に一致することベルトコンベア工場の大量生産品のごとし。
科学的に説明不可能なとても起こりそうにもないことをまるで見て来たかのように語る。「そんなことあるわけないやん!!」と思わず突っ込みを入れたくなるぐらい論理展開がワープする。こういうのって、タックルやルアーのセールスによくあるよね。相手がコンベア量産品なら、それでちょちょいのちょいのがっぽり大儲け。釣りだけでなく、環境や生態系の話の中にもさりげなく紛れ込ませてあるから気を付けないといけない。
そして最後までわからない疑問が一つ。釣りキチ三平は学校行かんでええんか!? こどもの日にこういうことを書くから、またぞろビオトープとアシ原のバーター取り引きを歓迎する類の人達から嫌われることになるんだろうね。だけどやっぱり言わずにはいられない。三平くん、ちゃんと学校行かんとろくな大人になれへんぞ!!