まず本題に入る前に、ちょっと個人的なことなどを。
・ 青山学院大学について: わたしは青山学院大学にはちょっとした思い入れがある。受験したことはないけど、本気で受験しようと思ったことは何度もある。というのは、青学はキリスト教(プロテスタント)の学校で、わたしも実は、5歳頃から16歳頃まで、ほぼ毎週、日曜日はプロテスタントの教会学校に通っていた。敬虔なクリスチャンには程遠いが、母親が代々プロテスタント系なので、その影響で。 また青山学院はサザン桑田など有名人を多数輩出していることでも有名だけど、わたしも小学校4年から高校3年頃までサザンの熱狂的なファンだった。 それだけに、青学にはちょっとした親近感というか憧れがあった。 (ついでに言えば、過去に好きになった女性も、片想い両想い含めて、青学出身のコが多かった気がする・・・) 今でも、青山学院大学には「いいイメージ」が強く残っている。
・ 2ちゃんねるについて: わたしは1999年頃から2ちゃんねるを見ている。新聞記事の引用から裏情報、怪情報まで何でもアリの世界なので、興味深く、おもに情報源として役立てている。もちろん全てが信用できるわけではないが、慣れてくるとだんだん、真実味のある書き込みといい加減な書き込みの違いが区別できるようになってくる。
しかし、わたし自身は書き込みはまず滅多にしない。この9年間で、数えるほどしか書き込みしたことがない。理由は特にないけど、しいていえば、「匿名」でやりとりするのが好きじゃないからかな。 本名を晒すことに気が引けるような内容であっても、せめてハンドルネームを用いて、お互いメールアドレスなど連絡手段を明らかにしたうえで、対等な形でやりとりしたいのだ。 2ちゃんねるだとそれができにくいから、おもに「見るだけ」になってしまう。まあ、見るだけでもここは面白い。
何だかんだ言っても、2ちゃんねるという存在そのものに「真実」が内包されていると思うし、存在意義は高いと思う。利用価値も高いと思う。
・言論の自由について: 日本は言論の自由が保障されている、いい国だと思う。今回の騒動も、言論の自由を謳歌した、ひとつの形ではないだろうか。
言うまでもなく、自由には責任が伴う。自由なAさんと自由なBさんがぶつかり合えば、当然、そこには争いが起きる。そういったことも含めて、言論の自由は保障されている。
言い換えれば、言論の自由を主張するからには、自分の言葉に責任を持てなければならない。自由なことを書くのはいいけど、その結果、何が起きても、自分で責任をもつこと。 他人に不快感を与えるようなことを書けば、当然その報いが来る。
さて、本題です。
1. 瀬尾准教授とのかかわりを回想してみる :
わたしは瀬尾先生(←今のところ処分が決まってないので先生と呼んでみることにする)、とは、一度もお会いしたことがない。2005年4月に瀬尾先生からメールをもらい、わたしのHPの中の連帯保証人制度に関する記述の中に間違いがあることを指摘され、それに関するメールのやりとりが2−3回あったのと(今でもわたしのHPにその一節が残っている)、わたしが拙著『連帯保証人』という本を執筆するにあたり、参考文献として、瀬尾先生の連帯保証人に関するホームページの一部を引用させてもらったことがあるくらいで、それ以外はこれといった接点がない。
あとは、わたしの関係者のふたり(ひとりはうちの社員、もうひとりは元公的金融機関職員)が、自分の立場を明らかにしたうえで、瀬尾先生の主宰する「連帯保証人制度」を研究しあうメーリングリストに加入させてもらってしばらく議論を交わしていたことがあったが、ここで彼らは、瀬尾先生と考え方が合わなかったらしく、一人はメーリングリスト除名に、もうひとりは自主退会してしまうという憂き目にあったことがある。確か1−2年前のことだ。
まあ、そんなことがあったので、わたしのような何の肩書きもない若造が瀬尾先生の聖域にむやみに踏み込むべきではないと考え、こちらからコンタクトすることはほとんどなかった。 でも、遠目にみて、瀬尾先生の「連帯保証人問題」への力の入れようは並々ならぬものがあり、中身にやや違和感が残るものの、有名大学の教授や助教授(准教授)が連帯保証人問題に力を入れるのは非常に少ないケースで評価に値するので、連帯保証人問題をこれから徐々に大きく提起したいと思っていたわたしは、これを陰ながら応援したいと思っていた。なにしろ、連帯保証人問題というのは、これまでほとんど問題提起されてこなかった深刻な問題だから。
「陰ながら応援したいと思う」のに、なぜコンタクトしなかったのか?というと、これは簡単にいえば、「考え方がちょっと違う」と感じたからだ。 テーマだけ見れば、是非応援したい。すごく応援したい。仲間にも入りたい。 でも、瀬尾先生の論調は、どちらかというと 「連帯保証人は完全な被害者だ!悪いのは借りた人(主債務者)だ!主債務者は詐欺だ!罰せられるべきだ!!」 という主債務者を非難する考え方に偏っているように見受けられた。 わたしのような「連帯保証人は確かに被害者だ。だけど、連帯保証契約にハンコを押してしまった保証人自身にも責任がないとはいえない。少なくとも法律上は同等の責任を負わされる。だから、この現実を受け止め、自分も債務者なんだと自覚しつつ問題解決に臨んだほうが、気持ちはどうあれ、解決への道のりは早くなる」 という問題解決重視的な考え方とは、ちょっと合わないと思った。 まあ、ちょっと合わないのは研究しあう者同士ならよくあることなのであまり気にしないが、それに加え、前述のとおり、うちの関係者が、ちょっと考えが合わないからといって叩かれてメーリングリストを除名された話を聞いたものだから、正直、こりゃ議論にならんな、なんかちょっとコワイな、と感じるようになり、徐々に瀬尾先生の活動への興味も薄れ、先生のホームページやブログも、2006年秋頃を境にほとんど見なくなっていった。
2.今回のニュースを見て :
多くの皆さんと同じように、記事全文とミラーサイトを読んで、正直、とても不愉快になった。
特に、次の発言に、極めて不愉快になった。
・奨学金問題に絡め、光市被害者を「卒業したら間髪いれずに孕んでそのままぜんぜん働かず、挙句の果てに平日の昼間から家でぶらぶらしていたため殺されちゃう」
・昭和天皇に「本心は戦争に反対だったのなら焼身自殺でもなんでもしていさめたらよかったですね」
・「子供の数と母親の教育レベルについては、統計的に有意な負の相関」さらに「日本で人が5人ふえると、途上国で40人ふえたのと同じだけ資源をくいゴミをだします」
・自殺した大臣にたいし「せっかく死んでくれた」などと死者に鞭打つ発言
・年収300万円以下の人間は「食べ残しの皮と種」
・品川区立立会小隣在住 、「小学校は迷惑施設」児童を「そのうち万引きをしたり泥棒をしたり殺人をしたり」呼ばわり
・光市の事件に対し、「いずれにしても、元少年が殺されれば、報復が果せた遺族はさっぱり幸せな思いに浸るに違いない。自分の血を吸った蚊をパチンとたたき殺したときみたいにね。それだけは喜んであげたい」
これを書いたのが准教授であろうがなかろうが、正直いって、これだけを読むと、同じ血の通った人間の発言とは思えない。
ここに引用した以外にも、改めて瀬尾先生のブログを読むと、人の命を軽く見ているとしか思えない発言や、想像力が欠如していて片面でしか物事を見ることができずそのうえ断定的排他的な研究者としてあるまじき発言が多数見られて、これにはかなり驚いた。 また、ご本人は「個人的に書いた」「大学とは関係ない」と謝罪文で釈明しているそうだが、ブログ内で自分の本名肩書きを出したり、ゼミ生の名前を出したり、実際に現時点で大学に多大な迷惑をかけている点で、もはや無関係とは言えないだろう。 要するに、ブログの文章を読む限りでは、教育者としても研究者としても大学関係者としても失格であると言わざるを得ない。 大学側が処分を検討しても当然だ。 いやそれどころか、ここまできて処分が軽微なもので終わったら、在学生や卒業生や関係者が黙っていないだろう。
ここで繰り返すけど、わたしは瀬尾先生と会ったことがない。メールのやりとりを数回した程度だ。だから、瀬尾先生のことをあたかも知り尽くしたかのように、これ以上突っ込んで非難することはできない。全人格を否定することもできない。もしかしてもしかしたら、瀬尾先生は根はすごくいい人で、だけど個人的に何か深い深い事情があって、このような暴言を吐くようになったのかもしれない。(もちろん想像でしかないけど。) だから、公にされている彼女が書いた文章の是非を判断する「以上」のことはできない。
言論の自由。 瀬尾先生は、どんな事情か知らないけど、いくつものブログを並行して連載していて、そこに好きなことを書いていた。中には人格を疑うようなびっくりすることも書かれていた。その結果、これだけ叩かれた。当然だ。 大学側から何らかの処分もあるだろう。それも当然だ。これは言論統制ではない。言論の自由を謳歌した、ひとつの結果だ。自由には責任が伴うのだ。
わたしは瀬尾先生に対して、個人的な嫌悪感は持っていない。いや正直にいえば、全く嫌悪感がないといったらウソになる。でも、お会いしたことがないわけだし、共通する研究テーマのようなものもあったわけだから、少なくとも、全人格を否定することはできない。 ブログの一連の書き込みは確かに読んでいて胸くそ悪くなったけど、(「文は人なり」という言葉もあるけど)、でも、瀬尾先生がそんな根っからの冷血人間だとは思いたくない。 願わくば、今回の騒動ならびに今後下されるであろう大学側の処分が、瀬尾先生にとって良いクスリになってくれることを祈りたい。 人は何度でもやり直せると思う。 ピンチはチャンス。大ピンチは大チャンス。人間万事塞翁が馬。 今回のことで存分に叩かれて(一連の発言については当然叩かれるべきだ)、それを転機にして、悪い部分を治してくれれば、それで良いと思う。
・・・と、わたしはこう感じたのですが、皆さんはどう感じましたか?
これを読んでいる読者さんの中には、瀬尾先生と面識のある方も少しいるでしょう。また全く面識がなく、はじめてニュースで知ったという方もいるでしょう。それぞれ感じ方が異なると思います。
わたしも自分の考えが常識的なのかどうか自分ではちょっと自信がないので、もし「アンタの考えはおかしい!」という方がいらっしゃったら、当ブログのコメント欄でも直メール(ooneko@nekojiro.net)でも遠慮なくご指摘ください。但し、匿名での暴言みたいなのはご勘弁ください。
猫
しかし、よくよく考えてみると我々大人もある意味「教育者」ではないでしょうか?
昨今の少年達の問題も、あながち学校の「教育者」、家庭の「教育者」だけの問題でもないような気がします。
世の中の一般的な大人全体の「モラル」が問われる問題だと思います。
今一度、自分の言動や考え方、振る舞いを考えてみます。
じつは、昨日から今日にかけて、何名かの方々から、「S准教授に相談したことがあるのですが、〇△Xでした」 というメールを頂きました。
・・・が、内容はここでは触れません。ご想像にお任せします。(おおむねご想像の通りかと思います)
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