1992年4月、ロック歌手が26歳で逝った。揺れる若者の心などを歌い、「10代の代弁者」とも呼ばれた尾崎豊さん。ほぼ同世代としては、今もくちずさむほど歌はわが身にしみこんでいる。だが、年月が過ぎ、世間から忘れられてはいまいか。そんな思いを抱きながら、尾崎さんの歌を通して若者の心の研究を続ける市民団体「岡山少年ソフトミュージアム」が呼びかけた会合に参加した。色あせるどころか、若い世代にしっかり影響を与えていることを再認識した。【相原洋】
■時代をとらえて
集まったのは長く団体の活動に参加してきた若者や、尾崎さんの歌に影響を受けた中高年ら。関東だけでなく東海、関西、中国地方からも駆けつけた。
作品に込められた尾崎さんの思いを青少年の心の教育に生かそうと、団体が第1回の教育シンポジウムを開いたのが98年。会合では、代表の岡山県立大准教授、児玉由美子さんが10年の活動を振り返った。各年のテーマは時代を的確にとらえていた。
80年代は校内暴力が横行し、90年代は普通の子がキレた。98年のテーマは「なぜ少年は荒れるか」「家族のコミュニケーションはどうあるべきか」。17歳少年がバスジャック事件を起こした00年は人と人のきずなを探った。
ネットで出会った少年たちの練炭心中が多発した03年は「ネット社会における少年の心の闇を探る」。尾崎さんはもっぱらライブで自分の思いを人々に伝え、反応を確かめることにこだわった。ネットの多用で人間関係が希薄になる中、相手に思いを面と向かって伝えることの大切さを考える場にもなった。
■生徒の落涙から
活動は、97年に児玉さんが授業で尾崎さんの歌を取り上げたことに始まる。
前年、教え子が事件を起こし、自ら命を絶った。成績は良く、親思いだった。「学生は人とのつながりに悩んでいるのでは」。心を大切にする授業ができないか思案する中で出合ったのが尾崎さんの歌だった。没後5年が近づき、ちまたに尾崎作品があふれていた。若者に影響を与え続けていると知り、ライブの模様を学生に見せた。普段は無表情なのに涙を流した。感想を書かせると、心の内を赤裸々につづった。なぜ、反応するのか。尾崎作品は児玉さんの研究テーマになった。
■広がるすそ野
それにしても、どうして少年教育に尾崎さんなのか。尾崎作品とリスナーの心、社会的背景を分析した児玉さんの考えはこうだ。
日本の戦後の経済成長と教育・家族のあり方の変化が密接に関係している。高度経済成長を支えるため、家庭は父親不在の母子家庭となった。右肩上がりの夢を信じる大人は良い大学、会社へと子どもに夢を託し、家庭は教育戦争に巻き込まれていった。尾崎さんは日本がその頂点にあった時、少年なりに感じる矛盾を詩や音楽、体で精いっぱい表現した。苦しみや悩み、自分の心の「傷」を隠さないところが多くの少年の心をとらえたという。
児玉さんは尾崎作品をとりまく現状と展望についても語った。(1)尾崎作品を勉強するミュージシャンが増え、尾崎スピリッツの裾野が広がっている(2)歌はアジアでもヒットするなど浸透し、グローバル化している(3)親から子へ、兄から弟へ、世代を移して歌を聴く人が増えている--。
今年は少年による殺人事件も。「認めてもらえないといら立ち、どうなってもよくなり、結果、誰でもいいから殺したいということになる。尾崎さんの『一人一人の持つ正義を大事に』『個人としての価値を見いだしてあげよう』という趣旨の歌を通じたメッセージは、今の少年にも伝わるでしょう」
■高校の授業でも
この場での一番の驚きは尾崎さんが複数の教科書に載っていたことだった。参加した高校教諭が持参した「倫理」と「現代社会」の教科書を見せてもらった。尾崎さんの顔写真とともに2ページを割いた副読本も。尾崎さんがどんなことを伝えようとしたのかを学ぶことで、日々自己矛盾を感じながら過ごす自分をいかに高めるか考えようというわけだ。授業で尾崎さんを知り、ファンになる生徒もいるという。
毎日新聞 2008年5月5日 地方版