Trap or treat
緩やかな勾配。行列を作ってそぞろ歩きながら、あちこちの家でお菓子を貰い、皆のテンションも上がってくる。
なぜなら、この坂を登り切ったところには、本日のメインイベントともいえる、難攻不落の城が待ち構えているからだ。
「Trick or treat!!!」
閉じられた門の前でいっせいに叫ぶ。
するとその門は、開き手も存在せぬまま重々しい音と共にゆっくりと開き、
「はーっはっはっはっはっ!! よくぞ今年も参った。諦めを知らぬ悪戯妖精達よ!」
黒い外套に、白い仮面。ファントム・オブ・ジ・オペラも斯くやという装いの男が、高笑いと共に登場した────── 。
‥‥‥‥と言っても何の事やら判るまい。
実はこれ、うちの町内会の恒例行事なのだ。
この地域の子供会は、こんな純和風の界隈にも拘わらず極めて先進的な気質で、町内会をも巻き込んで、10月31日にはハロウィーンパーティなるものを開催している。
必ずしも休日前夜とは限らないにも拘わらず、毎年欠かさず実行されるのだから、うちの町内会は余程のお祭り好きか、ノリがいいか、根性があるか、いずれかに違いない。───── どれもだな。
なんと言ってもここの大元締めは、ご近所で知らぬ者のないお隣さんだ。
内容は至極シンプルで、仮装をした子供達が町内を一周してお菓子を貰い歩き、最後に集会所でちょっとした打ち上げをしてお開きになる流れだ。
それが一挙に大規模展開を見せるのは、かれこれ3年ほど前からの話になる。
幼い少年のたわいもない悪ふざけから、この荒唐無稽変転怪奇なからくり屋敷は万聖節前夜を迎える度に出現することになった。
‥‥‥まあ、それはさておき。
「出たな、ファントム!!」
純和風の武家屋敷に不釣り合いな出で立ちの男を前に、同じく様々な西洋モンスターの扮装をした子供達は気勢を上げる。
「今年こそお宝をいただくぞ!」
「ふ‥‥‥、難攻不落の我が城で、果たして君達の望む獲物を見つけ出すことが出来るかな?」
子供達に対して、更に大仰しい仕草でポーズを決める謎の男。
「なにを!!!」
「今年こそは負けないからな!!」
「いつまでも同じだと思うなよっ!」
更にノリノリで言葉を返すモンスター集団。
いやもー、気合い充分、やる気満々といった風体だ。
毎年酷い目に遭わされているのに、懲りもせずよく挑戦する気になるものだと正直感心させられるぞ、友人共よ。
集団の最後尾で、ジャック・オー・ランタンの扮装をした俺は、カボチャの仮面の中で密かに溜息をついた。
つまりこれは、3年も前から毎年繰り返されているお約束の祭り事というわけだ。
「意気込みだけは一人前のようだな、諸君。しかし、我が僕の布いた罠を見事乗り越え、珠玉の至宝をその手にする自信は本当にあるのかね?」
男はわざとらしくコツコツと足音を響かせながら、門の前を行ったり来たりすると、おもむろにマントを翻して、門の奥へとその手を指し示す。
芝居がかった動作につられて視線を移せば、屋敷の玄関口には、行く手を立ち塞ぐように、真っ赤な執事姿の長身白髪の男が佇んでいた。
ただその面だけが、正体を隠すかのように凹凸のない仮面で覆われている。‥‥‥‥って、正体隠すまでもなくバレバレなんだけど。
仮面の男は慇懃な態度で一礼する。
「ようこそ皆様。我らがファントム・パレスへ」
幽霊屋敷──── 確かに間違いではない。
数年前までは、確かにこの屋敷は巷でそう呼ばれていたらしいし。
「此度も主のご要望に従い、様々な趣向を凝らさせて戴きました」
どこか不気味な冷気を漂わせながら、仮面の執事は淡々とした言葉を吐き出す。
その異質な空気に中てられて、仮装をした子供達も一瞬息を呑む。
ま、これももはや、お約束の流れだ。
「バトラー。お客様方へ今回の趣向をご説明して差し上げたまえ」
「YES,マスター」
主人の言葉にバトラーは威儀を正して一礼する。
3年前これを始めた時には、あの扮装をあれ程嫌がっていたくせに、なんなんだこのノリの良さは。
俺はカボチャの被り物で表情が見えないのをいいことに、あからさまに脱力して二度目の溜息をつく。
常に高笑いと共に言葉を発する屋敷の主ファントム。
その背後に、影のように不気味な存在感を漂わせて佇むバトラー。
コイツらの正体が誰であるか、今更語るまでもない。
仕込みは一週間も前から行っていたし、今日なんか、朝も早くから二人がかりで屋敷内の改造を行っていた。
昨年にも増す熱の入れっぷりだ。
なんか、こんな事よりも、オトナとしてもっとやるべき事が他にあるんじゃないかって心底思う。
そもそも二人がこんな事を始めたのも、実にくだらない理由からだった。
「とりっくおあとりーとっっ!」
当時小学二年生だった俺が、ふざけてシーツを被って正兄にそんなことを言ったのが始まりだった。
「ほう、この私に計略を仕掛けると?」
子供会行事を楽しみにしていた幼気な少年の悪ふざけを、
「それはまたたいした意気込みだな、士郎」
なぜかその男は、妙に挑戦的な瞳で受け取った。
「へ?」
キョトンと聞き返してしまったのは当然だろう。
当時の俺は、その『英語の決まり文句』の意味すら理解していなかったのだ。
「ふむ。幾多の苦難を乗り越えてその先にある饗応の場へと辿り着く。‥‥‥‥なるほど、報酬とは労働の対価として与えられるもの。賞品はそう容易く手に入るものではないと士郎に悟らせる為にも、これは悪くない催しだな」
子供会のお知らせを手に、何故か曲解に曲解を重ねていく正兄。
つーか、おまえ、わざと間違っているだろ?
──── などと、たかだか小学二年生の素直な少年がその脳裏に浮かばせるはずもなく‥‥‥‥。
「ハロウィンを楽しみにしていろ、士郎」
ただ、妙にやる気の正兄の姿に、いわれのない不穏な空気を感じたのは、幼いながらも間違った直感ではなかったのだ。
その数日後、たまたま旅から帰ってきていた切嗣に、俺は正兄に対する不安を述べたのだが──── これは明らかに、相談相手の選択を誤っていた。
俺の話を聞くや否や、切嗣は飛び跳ねるように正兄の元へと走っていってしまった。
「やだなー、正嗣。どうしてそんな楽しそうな企みをお父さんに教えてくれなかったんだい?」
「ほほう、これは結構大掛かりだね。どうせならここは──── 」
「どうだい。一部屋だけっていうのもなんだから、この際、屋敷全体に趣向を凝らして‥‥‥‥‥」
切れ切れに聞こえる切嗣のはしゃいだ声をBGMに、俺は世界が不吉な影に塗り潰されていくのを感じていた。
───── そして、迎えた当日。‥‥‥‥から数えて三年目の今。
いつも通りの厳かさで、バトラーがルールを説明している。
「‥‥‥今回も基本は変わりません。幾多の罠を乗り越え、この屋敷の何処かに在る宝を手にして戴きます」
宝というのは、この場合、正兄がそのもてる技術を余すことなく注ぎ込んだ菓子細工のことである。
一年目は、オーソドックスではあるものの、技術の限りを尽くした高さ80cmもあるお菓子の家だった。
二年目は、より宝物らしく趣向を凝らした、飴細工をベースに作られた黄金の宝冠。
三年目は、雰囲気満点な宝物倉に封じられた聖剣。剣全体が菓子で作られていたというのも驚きだが、その周囲を彩る宝石やら金貨やら全てが実は菓子で出来ていたというこの凝りっぷりはどーよ?
というように、迷宮と化したその屋敷の中、何処かに隠されているその宝を見つけ出すのが、挑戦者達の最終目標だ。それを手にした瞬間、挑戦者側の勝利が確定する。
が、当然、そこに至るまでの道程が、そう容易いものであるはずもない。
宝の隠された場所に辿り着く過程には幾多の試練が用意されている。選択を誤ると、容赦ないブービートラップが発動するのだ。
そしてこの三年間、一度たりともその至宝に手が届いた者はいない。というか、常に最後まで残るのは俺で、俺も後一歩のところで宝に手が届かないという結末を迎える以上、ここの罠は完全に俺を想定して設置されているとしか思えない。
「罠を起動させても脱落者と宣告されることはありませんが、その罠に掛かった場合は、脱出不能となった時点で脱落と認定されますのでご注意下さい。尚、こちらは土足厳禁となっておりますので、あしからず」
最後に気の抜ける注釈をつけて、バトラーは一歩扉の脇へとその身を避けた。
「それでは皆様、幸運をお祈り致します」
バトラーの手によって扉は押し開かれ、友人達は我先にと屋敷の中へと駆け込んでいく。
それを俺は、極めて冷めた気持ちで見送っていた。
「どうした少年。キミに我が迷宮へと挑む勇気が欠けているとは思えんが?」
「あのさ、爺さん」
「ファントムと呼びたまえ」
まったくノリが悪いよなー士郎は〜、とでも言いたげに、切嗣はあさっての方を向くと視線だけで俺を見返してくる。
そんな爺さんの無言の抗議はスルーして、俺は今一番の疑問を口にした。
「うちの玄関って、いつから両開きになったんだ?」
さっき家を出た時は、間違いなくいつのも引き戸だったと思うんだけど。
「我が屋敷の執事は実に優秀だ。彼の手に掛かれば扉の改造など、ものの30分もあれば済むこと」
あー、うん。そうだね。アイツならその程度のことそのくらいの時間で片付けるよね。つーか、それ執事の技能違うし。親方とか改名した方が良くないか?
「正兄‥‥‥、普通、そこまでするか?」
「主の望まれたこと。私としては従うまでです」
しらっと執事口調で答える誰かさん。
このイベントが終わるまでは、ファントム&バトラーを貫き通すつもりか‥‥‥。
「さて少年。そろそろ仲間の元へ向かいたまえ」
「えー? 俺いいよ」
「友達を見捨てるのか? 正義の味方ともあろう者が聞き捨てならんな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
確かに耳を澄ませば、屋敷内の各所から阿鼻叫喚が響き始めている。やがてそれは徐々に沈静化し、ものの数分もしないうちに、屋敷の中は元の静寂を取り戻していた。
うわー。
行きたくねー。
しかし、この屋敷に挑む全メンバーが脱落するか、誰か一人が攻略に成功するかするまで、罠に掛かった仲間が解放されることはない。
つまり、俺が挑戦しなければ、我が友人達は明日の朝まであのまま放置され、下手をすると登校すら許されなくなってしまうのだ。
「やるしかないか‥‥‥」
こうなれば早めに決着をつけるに限る。
友人及びその父母の迷惑を考え、邪魔な被り物を取ると、俺は渋々とからくり屋敷と化した我が家へと歩みを進める。
その背後から声がかかった。
「ああ、少年。ひとつ警告を」
ゆっくりと近づいてくる気配。
見ずとも判る。慇懃さの大安売りをしたようなこの口調はあの紅い執事のものだ。
「もし作為的に罠に掛かるような真似をすれば、ペナルティとして翌朝まで皆様をこの屋敷から解放することが出来なくなります。心して戴きましょう」
こんの、クソ兄貴!!
見事に目論見を見抜かれ、半眼でそいつへと振り返る。
「ホントいい性格してるよな、バトラーって」
「これも修行。幸運をお祈り致します」
嫌味ったらしい執事口調で、その男は俺へと頭を下げる。慇懃無礼って、きっとコイツの為にあるような言葉なんだな。
「楽しんできたまえ、少年」
フッと気障な笑顔を浮かべる屋敷の主へ苦笑して答えると、扉の向こうへと踏み入った。
「今回は特に趣向を凝らしておいたからねー─── ♪」
自動的に閉じつつある扉の向こうから、本っっっっ当に愉しそうな声が届き、俺は唐突にある事実を思い出した。
そうだった。
基本的にこの屋敷の罠は全て親父の立案によるもの。
だから俺は決して忘れてはならなかったのだ。
罠のえげつなさはいかにも正兄的だが、あの人の裏を二重にも三重にもかいたような悪質極まりない発想は、そもそも全て切嗣によるもので、100%親父・作となればなるほど、その性質は質が悪くなっていくという事実を!
あの笑顔に騙されて、俺は何度、地雷埋設地帯に足を踏み入れてしまったことか‥‥‥!!
そろりそろりと廊下の中央を進んでいく。
どちらかの壁を背に移動したいところだが、そこには確実に罠が仕込まれているに違いない。
人間心理を巧みについてくるこの屋敷の罠は、ひとつの罠を回避して辿り着いた先に次の罠の起動スイッチが仕込まれている、といったような性格の悪さを備えている。
人の行動原理を緻密に計算してその行く先に罠を張っておく、罠を躱してホッと一息ついたところに次の罠が起動する、罠に見えるものが罠ではなくてその罠を解除する装置に見えるものが本物の罠の起動装置だったりする。
この三年間、辛酸を舐め続けさせられてきた身としては、とにかくリスクは最小限に抑えて行動してしまう。
だから俺は、廊下から両脇の部屋も目で確認するだけで決して踏み込まず、罠に掛かった友人達も横目で見捨て、ひたすら先を目指す。
救出に向かわないのは薄情なようだが、仲間の救済に伴う困難は、罠を回避する難しさの比ではないのだ。故に俺は、果敢に討ち死にした友の冥福を祈りながら、涙を呑んでゆっくりと廊下を進み続ける。
こんな非道とも取れるからくり屋敷ではあるが、あの二人は妙なところでフェアで、決して攻略できない罠は設置しない。落ち着いて対処すれば、どこかに活路は開かれているのだ。
この屋敷の罠には幾つかの不文律が存在し、例えば、罠の発動条件は、罠は起動装置がある周囲の罠が発動する・罠の発動までのインターバルは長くても一分・一度発動した罠は再度発動しない・発動した罠は一律ではないが一定時間を置いて必ず停止する等がある。
つまり、その部屋の罠は、その部屋の中にしか及ばないということだ。
そのため、一番気をつけなければならないのは廊下の罠の起動で、部屋の罠に追われて廊下に飛び出しその罠に掛かるといったことのないよう、一旦廊下の仕込みを全て確認し、奥から順に手付かずの部屋を攻略していくのが無難な方策なのだ。
しかし、そんな心理すら相手は利用してくるのだから、この屋敷の住人達は本当に食えない。
何の障害にも遭わず辿り着いた最奥の扉。
露骨過ぎる『宝物庫』の文字。
あからさまな罠の気配は、それこそが引っ掛けなのか。
飛び出し式の罠を警戒して、正面には立たず、扉の影に身を隠すようにそれを開く。その先に現れたのは‥‥‥‥。
──────── 壁だった。
「おい‥‥‥‥」
おもわず壁に向かってツッコむ。
もはや空間が歪んでいるとしか思えないほど、屋敷内の地図が変化してしまっている我が家だが、最後がこのオチってどーよ?
おもわず脱力していると、灰色の壁に、おもむろに白い文字が浮かび上がってきた。
疲れを感じたまま、壁に浮き上がった文字を読む。
『迷宮の奥に答えはない。至宝は秘されず、全ての者の前に明らかである。祭壇に供物は揃い、生贄の羊に聖痕は現れた。諦めを知らぬ冒険者よ。友の亡骸を踏み越え、始まりの地を目指せ』
いかにも冒険ものに出てきそうな謎めいた碑文だが、とどのつまり、ヒントは罠に掛かった仲間全員の所に出てるから、それをひとつづつ集めて玄関に戻れば答えが解るよ、って意味だろう。
まったく、とことんいやらしい遣り口だ。
人がわざわざ奥まで来たのを逆戻りさせたあげくに、敢えて避けて通った、仲間達が罠に掛かっている部屋を全て回らせようってんだから。
同じ部屋に罠がある場合、後ろに隠されているものほど質が悪くなるので、出来れば一度罠の発動した場所は敬遠しておきたかったのだが。
諦めて再び友の亡骸が眠る部屋へと向かう。
「あ、やっほー、衛宮〜」
最初の部屋に入るなり、鉄格子の向こうで手を振る我が級友。
どうやら檻の罠に引っ掛かったらしい。
「よう、遠藤。そこになんかヒントみたいなもの出てない?」
入り口の所から踏み込まず遠目に尋ねる。
「いや。特に見当たらないけど‥‥‥」
キョロキョロと辺りを見渡しながら答える友人。
他には何もない部屋。となると─── 。
「悪い。肩貸してくれ」
友人に格子の側まで寄ってもらい、その肩を足場に檻の上を覗く。
やっぱりあった。
折り畳まれた白い紙。
はっきり言ってめちゃくちゃ怪しい。
これ取った瞬間、絶対罠が発動するだろ。
逡巡すること数秒、意を決して白い紙を剥ぎ取る。
途端に天井から捕獲縄が飛び出してきた。
反射的に捕まっていた手を離し、自然落下によってそのロープを避ける。
「だー───── っっ」
着地した瞬間足下を襲ったロープを檻に飛びついて回避すると、次々と張り巡らされるそれを必死で飛び越え躱し部屋の外に飛び出す。床に何も仕込みがないことは確認済みなので、思いっきり踏み出して、ただ勢いで壁に手をつかないようにだけ気を配る。
そのまま振り返れば、蜘蛛の巣のようにロープの張り巡らされた室内。
「負けんなよ、衛宮ー!」
「おう」
もはや姿の見えない友の声に答えると、俺は更に次の部屋を目指した。
──── で、幾つもの部屋を巡り、辿り着いたその部屋。
室内にはロープで簀巻きにされ蓑虫のように吊り下げられた友人の姿。
この屋敷に挑んだ仲間を数えると、ヒントはコイツのもので最後となる。
「衛宮―。オマエの父ちゃん達やりすぎじゃねーのか〜?」
「悪いな、佐々木。あの人達のやることに常識を求めることこそが間違いなんだ。四年間この屋敷に挑戦し続けてまだ理解していなかったのか」
「でも、年々エスカレートしてんだろー」
「ま、それは認める」
「ところでここから降ろしてくんない?」
「悪いけど、そこまで無謀になれない。俺はそれほど自分を過大評価してはいないんだ」
「ちぇーっ」
天井で揺れる友人と軽口を叩きながら、妙にごちゃごちゃした室内を見渡す。オガ屑やら岩やら、何なのだ、この趣向は。
何故か入り口にあった箒で目の前のゴミを掃き散らし、足下の罠を警戒しながら、そこに隠されているであろうヒントを探す。
やはりあった、白い紙。
屈み込むと、罠の起動を警戒しながら、ゆっくりとその紙に手を伸ばす。
触れると同時に目の前のオガ屑が揺れ、とっさに警戒して動きを止めた俺は、紙を取り上げた姿勢のまま、ひょこっとオガ屑の中から顔を出したそいつと目が合った。
それはトコトコと俺に近づくと、そのまま俺の腕にしがみついてくる。
「なんだこりゃ」
自分の腕に貼り付いてきた掌大の人形を持ち上げる。
なにこれ。
クッキー?
うわ、まだ動いてるよ、気色悪っ!!
そいつを放り捨てて周囲を見渡せば、今週のビックリドッキリメカよろしくウゴウゴと沸いて出るクッキーマン。
俺の体へと取り付き、圧倒的な物量で押し潰そうとしてくる。
「でー─────── いっ!」
それを手にしていた箒で払い除け、砕きながら、部屋の脱出を試みることとなった。
しかし、おかしいぞ。
行きに比べて帰りが長すぎる。いや、そもそも我が家にあんな長い廊下は存在しない。一部屋一部屋もこんなに広くない。これは空間が歪んでいるとしか思えないのではなく、間違いなく空間が歪んでいる。
どう考えても切嗣が魔術でどうにかしたとしか思えない。
「──── だから君達は心してかからねばならない」
3年前、このイベントを開始した時、切嗣が子供達に向かって言っていた言葉を思い出す。
「屋敷の中には不思議な仕掛けがいっぱいしてある。君達には想像も付かないような、スリルとサスペンスとユーモアが溢れんばかりに施された罠が」
今と変わらぬ黒衣のマントに白き仮面の扮装の男は、どこか得意気にそう言った。
「なんといっても、僕たちは偉大なマジシャンなんだからね」
マジシャン ───── 普通に訳せば手品師。
別訳 ───── 魔術師。
そうだよな。
魔術師が張る罠だ。そう簡単に攻略できるはずもない。
だって、その罠には、本当にタネも仕掛けもないのだから。あらゆる物理的な意味で。
漸くクッキーマンゾーンから脱出し、玄関へ続く曲がり角を曲がる。
そして目にした。
決して目にしてはならないものを。
真っ直ぐの廊下、玄関への道を立ち塞ぐように、竹刀を持った仮面の怪人はその場に佇んでいた。
「おーっほっほっほっほっほっほっほっほっ。我こそはこの道を護る最後の番人」
「なにやってんだ、藤ねえ」
「誰が藤ねえよ。言っとくけどね、此処に居るのは近所で評案の美少女剣士ではなく、秘宝の守護者タイガー・ウィスタリア!!」
バッとマントを翻してポーズを取る怪人。そのマントの下から現れたのは、本当にテレビでお馴染みの美少女戦士が着ていそうな、ヒラヒラフリル付きの奇天烈なミニスカスーツ。
いい年して恥ずかしくないのか、この人。
俺はいっきに疲れを感じつつも、何とか理性的に話を進めるべく、再度仮面の少女(?)へと声をかける。
「で、なんでその美少女剣士とやらが通路の番人をやってんだ?」
「美少女剣士じゃなくて、秘宝の守護者だってば」
「どっちだっていいだろ。藤ねえは藤ねえなんだからさ」
「よくないもん! プリティでキュアキュアな正義の美少女戦士とミステリアスな悪役美女幹部はぜんぜん違うんだから!」
「わかった、わかった。わかったから、質問に答えろよ」
脱力しつつも最初の質問への解答を求めると、藤ねえ‥‥‥もとい、タイガー・ウィスタリアは恨みを込めた眼差しで俺を睨め付ける。
「だって、士郎ばっかりお菓子貰ってずるいじゃない。私が小学校の時には、こんなイベント無かったんだから。士郎ばっかり特別なんて許せないわよ」
「あのな。行事としてなかったんならしかたないだろ。そもそも、俺だけ特別ってそんなの完全に言い掛かりじゃないか」
これはあくまで子供会行事で、俺は一参加者に過ぎないのだから。
「言い掛かりだろうと何だろうと構わないの! とにかく、士郎には苦労して貰わなくちゃ、せっかくのハロウィーンの意味が無いじゃない」
いやちょっと待て藤ねえ。
ハロウィーンは別に俺の特別鍛錬の日とかそういうのとは違うぞ。
なんか、今年に至っては、もはや罠の傾向云々どころか方向性事態がおかしくなりつつあるようだ。
そもそも、からくり屋敷の攻略イベントに、なんで番人とか、守護者とか登場し始めるんだよ。
罠というよりは、これは人為的な試練──── いや、妨害じゃないか。
「ちぇすとー──── っ!!!」
唐突に、藤ねえの竹刀が正面から飛び込んでくる。
それをとっさに上体を捻らせることで躱し、続いて横殴りの斬撃を身を沈めて避ける。
人がモノローグに浸っているうちに攻撃を仕掛けるとは、本気で油断のならない虎だな。
更に上段から振り下ろされた剣戟を横っ飛びで回避すると、飛び退いた位置からバックステップで身体を移動し、恐怖の竹刀魔神との距離を取る。
「ふっふっふっふっ。少しは成長しているようね」
竹刀片手に嫌な笑いを浮かべる虎仮面。
「一年経って進歩がなかったらそれこそ問題だろ」
「だぁがしかぁぁぁしっ!!!!」
極めて冷めた態度で受け答える俺に対し、どこまでも大仰しい身振りで藤ねえは宣言する。
「このタイガー・ウィスタリアの手から逃れられると思うなっ!!」
なんか、すっげーノリノリなんだけど、藤ねえ、もしかして、ずっと参加したかったのか? ────── したかったんだろうな。藤ねえだし。
どうやら、このお祭り好きの虎藤を倒さねば、目的の玄関には辿り着けないらしい。とはいえ剣道界最強の虎を相手に剣で挑むのは無謀この上ない。
ならば。
後は計略を持って打ち崩すのみ!
「許せ、藤ねえ!」
勢いよく壁を叩く。
きょとんとなる藤ねえを置き去りに、俺は急いで隣の部屋へと飛び込んだ。
次の瞬間、勢いよく降り注ぐ洗面器の雨。
「ふにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜 っっ!」
猫科の悲鳴を上げる藤ねえの頭上にそれは次々とヒットし、最後にはお約束のタライがゴインとトドメを喰らわせて、美少女剣士が正体であると自称する虎が正体である秘宝の守護者を、その技のひとつも披露する暇も与えず撃沈してしまう。
しかも、タライの駄目押しと同時にパカッと廊下が二つに割れ、散乱した器物とその中に埋もれるコスプレ剣士を跡形もなく呑み込んでしまった。
ナイスだ正兄。
予想に違わぬベタな仕込み。
まさか二重構造とは思わなかったけど。
もはや何事もなかったかのような綺麗な廊下を諦観の念と共に一望すると、ゆっくりと玄関へ向かって歩み出す。
玄関は目の前だが、最後の最後でいったいどんな罠が仕込まれているのか知れたものじゃない。俺は過去三年間、この最後の詰めの場所で、裏の裏の裏の裏をかかれて脱落の憂き目を見ている。
そもそも、肝心の宝がどこに隠されているのか。今回に至っては、未だその謎すら解けていないのだ。
罠に掛かった友人達から集めた暗号を繋ぎ合わせると、そこに浮かぶのは、『玄関』の二文字。
はっきりいって意味がわからん。
こうなると、答えは玄関に辿り着いてからしか得られないと考えるしかない。
───── が。
「はーっはっはっはっはっ!! よくぞ生き残っているな、少年。我が屋敷最強の番人を打ち下すとはたいしたものだ」
唐突に響いた高笑いと共に、廊下の天井に暗い穴が開き、そこから黒衣を纏った仮面の怪人が羽のように舞い降りてきた。
何なんだ、この手品師さながらの演出は。
「今度は何だよ、爺さん」
「何だとはご挨拶だな。最後まで生き残った勇者に、当主自らがお相手しようと馳せ参じたというのに」
開催四年目にして、からくり屋敷は怪人も跋扈する怪奇空間と成り果ててしまったらしい。
「罠の回避だけでも大変なのに、これ以上難易度上げてどうするんだよ」
そもそも切嗣相手じゃ、やらずとも勝敗は見えている。
「ふ。お相手といっても、なにも剣を交えて戦おうというわけではない。いわば、私とキミ、どちらが先にお宝に辿り着くか、その勝負を行おうというのだよ」
「なんか、それ、圧倒的に俺に不利じゃないか?」
「ヒントによって目的の場所は理解しているのだろう? ならば、見事私を退けて、先にその場に辿り着けば、キミを勝者と認めお宝を進呈しよう」
ファントムは大仰しくマントを翻して宣言する。
なるほど、それならば少しは勝機が見えなくもない。問題は、この怪人を退ける方策なんてあるのかってことだけど。
「というわけで、GO!!」
「あ、きたねーぞ! 待て、こら、じいさん!!」
合図もそこそこに駆け出していった、怪人黒マントの後を、俺は慌てて追いかける。まったく、こういう大人げないところは相変わらずというか‥‥‥。
切嗣の駆け抜ける位置を寸分違わず追跡して追いかける。アイツが通った場所は、当然、安全地帯ということになるからだ。
とはいえ、このまま後ろを走っていては、切嗣に先を越されてお宝を取り逃がすことになる。
──── が。
玄関の扉に辿り着く寸前で、突然、切嗣がバランスを崩した。
一瞬俺の視界に入ったのは、何故か上がり口の床にめり込んだ切嗣の片足。
床板の一部がいつの間にか軟化していたのだろう。──── なんて呑気に考えている余裕はない。
俺は勢いを殺すことも出来ず、そのまま切嗣の背中に衝突する。
当然、バランスの悪い切嗣はそれを支える事なんて出来るはずもなく。二人もんどり打って玄関口へと転げ落ちることになった。
そこに狙い澄ましたかのように、何か白い塊が落ちてくる。
「え?」
なんて、声を上げる暇もなかった。
落下物が何かなんて確認する暇もない。べっちゃりと降り注いだナニカによって、俺と切嗣は、仲良く三和土に貼り付くことになった。
「おーい、正嗣〜〜〜〜。お父さん、これ、聞いてないよ〜〜〜」
俺と一緒に身動きひとつ取れなくなってしまった切嗣は、自分を絡め取る鳥もちの中から顔だけ持ち上げて、無表情で(といっても仮面で見えないが)俺達を見下ろす紅い長身の男に抗議する。
「敵を欺くにはまず味方から、と申します。お赦しを、マイ・マスター」
対して、執事の仮面を物理的以外にも最後まで被り通したその男は、しれっとした口調でそんな台詞を宣ってくれた。
「それでは最後の一人が脱落となりましたので、これで今年の催しを終了させていただきます。ご苦労様でした」
慇懃に一礼すると、男はそのままその場を後にする。
「って、ちょっとまったぁぁぁぁあっ!!」
玄関先に縫い止められてしまった肉親を気に留める風でもなく、無情に背を向ける男を慌てて呼び止める。
このまま放置しようとするその根性にも物申したいが、それ以上に、最後まで解けなかった謎が残っているのだ。
「結局、今回の宝って、いったいどこにあったんだよ?」
叫く弟に対し、漸く仮面を取り外したその男は、いつもの兄の表情に戻り、呆れた視線を投げ掛けてきた。
くいと顎で指し示す先を視線で追えば、いつもとまったく趣を変えてしまった玄関へ辿り着く。
仄明かりに浮かぶ荘重な扉。幾多の宝石(もちろん贋物だろうが)をちりばめた、凝った彫刻を施されたそれが視界に映る。
「‥‥‥だから、どこに──── 」
「まだわからないのか? おまえ達の目指すお宝は、ずっとおまえ達の目の前にあったのだがね」
正兄の言葉に、おもわず玄関の扉をまじまじと見つめ直す。
「へーえ、これがね〜」
と、いつの間に地下から舞い戻ったか、唐突に出現するタイガー・ウィスタリア藤村。てくてくと扉に近づくと、おもむろに取っ手をもぎ取った。ポキって勢いで。
‥‥‥‥って、玄関の取っ手がなんでそんな簡単に取れるのさ!?
「あ、ホントだ、甘ーい♪」
金箔を張り付けた取っ手型べっこう飴をひと舐めして、幸せを体現する笑顔を浮かべる藤ねえを眺めながら、俺は今度こそ完全に力尽きた。
衛宮家道場。
本来集会所で行われる打ち上げは、急遽場所を変えてここで開催されていた。
大人達は思い思いに料理(衛宮正嗣制作)を平らげ、酒(藤村組提供)を酌み交わし、道場中央では、拡げられたビニールシートの上で巨大なスイーツに挑む子供達の姿。バリバリと重そうな扉を破壊していくその光景ははっきりいって異常だ。
そうか。この扉、ウェハースで出来てたんだね。
チョコレートコーティングされた扉の破片を片手に取って眺めながら、虚しさと疲労と脱力感で黄昏れる俺。
向こうでは自称美少女剣士が、その恰好を組の若衆に褒め上げられてなんかいい気になってるし‥‥‥。
そういや、あの衣装って切嗣が用意してあげたんだって? てことはまさか、正兄のお手製じゃないだろうな。
肝心の二人の姿を探して視線を道場の外に移してみれば、庭から屋敷を眺めながら、真剣に次の構想を話し合っているどこぞの黒赤主従。早すぎだよ。つーか、いい加減その扮装脱げよ。
来年で俺も卒業だってんで、変な気合い入ってるんじゃないか心配になってくる。
ホントに、俺、こんな人達に育てられてて大丈夫なのか?
番外編その二。
衛宮家日常茶話(え?)のハロウィーンネタ。
お祭り好きなパパスと、そのパパンには基本的に逆らえない息子達。
最終的に物事には手を抜けない息子達のせいで、幽霊屋敷の攻略難易度は年々グレードアップ。
が、本人達は原因にまったく気づいていないところがご愛敬。
ちなみに、正兄がどこまで能動的にこのイベントに参加していたのかは謎である。