2008.04.12 Saturday
村上春樹最新インタビューまとめ〜やたら長い長編執筆中、テーマは『恐怖』
af_blog: 物語は世界共通言語---村上春樹インタビュー
経由で、信濃毎日新聞に掲載された村上春樹の最新インタビューを読みました。その記事を元に村上春樹のコメントをまとめてみます。
■走ることについて
「『羊をめぐる冒険』を書き終えて、すぐ走り出したんです。これを書いて、長編小説を書くのは大変なことだなあと思った。運動して、体をしっかりしていないといけないと思ったのが動機ですね」
「三十代と同じ物語を書いていては駄目で、一作ごとに新しい可能性を広げていかないと物語というのは発展していかないんです。そのためには何か広げていく力というのが必要。それが走ることなんです。毎日長い時間座って考え、書くことは大変です。『一に足腰、二に文体』ですよ」
「走ることについて語るときに僕の語ること」ではさらに、「身体を絶え間なく物理的に動かし続けることによって、ある場合には極限まで追い詰めることによって、身のうちに抱えた孤絶感を癒し、相対化していかなくてはならなかった」と、創作過程の苦しみを走ることで昇華させている的内容を書いていました。
走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
■自身の作品、文体について
(作品が世界的に支持を受けていることについて)「理由ははっきりとはわからないですね。でも物語の面白さと文体が割とユニバーサルな浸透力を持っていたからではないかと思います」
「物語は世界の共通言語ですよ。面白い物語は誰でも読む。例えばディケンズの物語が面白ければ、どこの国の人でも読むんですよ。僕の文体は日本語の日本語性みたいなものに、あまり寄りかからない文体です。だから翻訳過程で失われるものが、比較的少ないのではないかと思いますね」
「特に9/11以降、次に何が起きるか分からない、予測の付かない世界を生きている。僕の書く小説は次に何が起きるか分からないという物語なんです。共感を呼んでいるとしれば、そのあたりかもしれません」
(「世界の混沌をそのまますっぽりと呑みこんで、しかもそこにひとつの明確な方向性を示唆するような、巨大な『総合小説』を書いてみたい」と以前語ったことについて)
「僕の考える総合小説はいろんな人のいろんな視線があって、いろんな物語があって、それが総合的な一つの場を作っている小説です。そのためには三人称にならないと書けないですね」
「やがて哀しき外国語」で「日本語で小説を書きながらもう一度日本語を相対化すること、日本人でありながらもう一度日本人性を相対化すること――僕はそれがこれからの大事な作業になってくるのではないかと思っている。」と書いていたのを思い出しました。「物語」を語るために言語の解体を模索しているのが村上春樹という作家なのかもしれません。
やがて哀しき外国語 (講談社文庫)
村上 春樹
■物語論
「物語を書いていくことは、自分の魂の中に降りていく作業です。そこは真っ暗な世界。生と死も不確かで混沌としている。言葉もなければ、善悪の基準もない世界」
「でも魂の世界まで降りていくと、そこは同じ世界なんですよ。それゆえに物語がいろいろな文化の差を超えて、理解し合えるのだと思う」
「だからこそ、世界中、これだけ文化が違っているのに、神話というのは、似通っている部分がすごくあるのだと思いますよ」
「人というのは、そんなに上とか下とか、前とか後ろとかで決められるものではないんです。それぞれの人には物語があり、その物語の中で生きている。それが人を救うんです。僕の書きたいのはそういう物語。明るい物語ではないけれど、ある暗さの中で共振するものを見出すことで、救われるような物語です」
集合的無意識について彼ほど強く意識している作家は少ないように思います。「自分の魂の中に降りていく」というのもユング心理学的アプローチ(フォーカシングとか)だなぁ。そして、文化の差を超えた物語の根源的な構造を探すというのは神話学的でもあるように思います。
■故河合隼雄氏について
「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちっと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」河合隼雄→Kousyoublog | 故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。
「物語というものは非常に有益なこともあるのですが、一方でものすごく危険なことでもあるのです。このことを河合先生は本当によく分かっていた。単なる研究者ではなく、実際の患者を診てきた人ゆえの、戦場をくぐり抜けてきたみたいなすごさがありました」
村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
河合 隼雄,村上 春樹
■「アンダーグラウンド」について
「あの人(オウム真理教の実行犯)たちは、どうしてあっちの方に行ってしまったのか。そのことはちゃんと解明しておかなくてはいけないことです。皆死刑にしておしまいということではいけないことなのです」
(サリン事件の被害者たちについて)
「この人たち一人一人はそれぞれに弱いところもある。でもその六十何人もの普通の人たちの声が、一つのボイスになると、すごい説得力を持っていて、信頼してもいいような力を感じました。自分が変わるような経験でしたね」「だからこそ」「そのボイスが、戦争みたいなことに引きずりこまれないことを真剣に望んでいます」
アンダーグラウンド (講談社文庫)
村上 春樹
■戦争、日本人
(リー・クアンユー元シンガポール首相が、占領時の日本人は残酷だったが、英国人の捕虜となると皆良心的で懸命に働き、街をきれいに清掃していたという事例を紹介し)
「これは日本人の怖さみたいなものを物語っている話だと思うんですよ。良心的で懸命に街をきれいにする日本人が、ある日、突然、残虐行為を働く人間になってしまう可能性も示している。きっとどの国民にもあるのでしょうが、日本人は特にそういう面が強いのじゃないかという気がしてしょうがないのです」
(日本人はこれまで一生懸命働けば、生活が豊かになり、幸せになって行くんだという幻想を持っていたが、打ち砕かれてしまった)
「だから自分とは何かという事実に向き合わなくてはならなくなってしまった。でもそれはすごく不安なことなんです」
日本人が極端から極端に振れる可能性については、山本七平も詳しく書いていたなと思う。臨在感的把握という指向が、そういう特性を強めているかもしれませんね。
■団塊の世代について
「僕らの世代は大学時代に理想主義を掲げ、革命というものを信じていないのに革命闘争をやったような、ちょっと"いいとこ取り"したような面があると思うんです」
「もうこれは終わったのだと思って、今度は企業戦士となり、どんどん経済を発展させてバブルを作り、次にはそれがはじけてチャラにしてしまった。この中核にいるのは団塊世代です。だから誰かが責任をとらなくてはいけないと思うんですよ」
「僕もその団塊世代の一員ですから、小説家として、その落とし前はつけなくてはいけないと思っているんです。日本の戦後の精神史における落とし前ですね」
「小説家としての戦後の精神史の落とし前」とはどのようなものだろうか。団塊世代を清算するような物語を春樹的アプローチで描くのだとしたら、面白そうかもしれない。そして、そういうのは物語、小説であってほしいと思う。
■次回作について
「今、次の長編を書いています。長いんです。やたら長いの!」
「毎日五、六時間も机に向かい、もう一年二カ月ぐらい、ずっと書いている」
(次回作のポイントは)「それは『恐怖』です。手応えはある。僕の重要な作品になるような気がする」
■これから
(来年還暦)「でも枯れたくないですね。『悪霊』を書き、さらに『カラマーゾフの兄弟』を書いたドストエフスキーのように年を取るごとに充実していきたい」
「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ時に、新作近そうと思いましたが、やはり!期待して待っています。「恐怖」がテーマというと「レキシントンの幽霊」の「七番目の男」を思い出しました。あの短編集全般的に恐怖がテーマだったなぁ。新作読むまでは何があっても死ねないな(笑)
レキシントンの幽霊 (文春文庫)
村上 春樹
関連エントリー
・Kousyoublog | 羊をめぐる冒険
・Kousyoublog | 「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著
・Kousyoublog | レキシントンの幽霊
・Kousyoublog | 故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。
・Kousyoublog | 「「空気」の研究」山本七平著
・Kousyoublog | 神話学とは何か